高野喜久夫と檀一雄

今月の詩
                      2015年3月
 時が経つのは早い。
 1年前の春休み、「もし4月からも西陵に行けるなら、新年度はこんなことをしよう」と思い立ったこのプリントも最終回になる。
 今月は、大好きな長あーい詩を紹介したいので、私のおしゃべりはできるだけ短くします。
 福岡県は全国的にみるとかなり特異な作家や人物を輩出(はいしゅつ)している。
 『土と兵隊』の火野葦平(甥っ子はアフガニスタンの復興に尽力しているペシャワール会中村哲医師)、『押し絵の奇蹟』の夢野久作(長男の杉山龍丸はインドの緑化に生涯を捧げ、最後には香椎にあった自宅まで売り払った)をはじめ、現在では甲斐大策(宗像在住。画家。ペシャワール会の協力者。彼の文章も紹介したいと思っていたが時間切れ)、『こころのワクチン』に載せた藤原新也(写真家。いつも動き回っているので、いまはどこにいるのか知らない)、去年文化勲章を受章した画家野見山暁治(『四百字のデッサン』はお勧め。アトリエは糸島半島唐津湾が一望できる高台にある。若いころ「ぼくは見たものしか描けない」と言っていた彼は今、「見えるものの奥にあるものを描きたい」と言うようになった。今年94歳。)『蕨野考(わらびのこう)』の村田喜代子中間市在住。芥川賞受賞作家。)など。まだ私がしらない魅力的なひともきっとたくさんいることだろう。
 その人たちの特徴は、時流に阿(おもね)ることなく、自分の足元を深く深く掘り進んで行く点と、広大なロマンに自分を投げ込んで悔いない点にある気がする。
 『今月の詩』12月号に紹介した文芸誌『こをろ』最終号(同人だった若者たちがみな兵隊に取られてしまって出せなくなった)には、友人の眞鍋呉夫(福岡商業出身)が「命の放火魔」と名づけた柳川出身の檀一雄が下のような詩を寄せている。
     花あかり
     月おぼろ
     眉うすく
     きみがかんばせ(顔)
      にほひよる
     あやしきゆふ(夕)
      ひめごとの
     ほそきこころ
     歌にこめ
     きみがひとみに
     花うちくぐる
     かぐは(芳)し今宵

     いきものの
     いきたるけはひ(気配)
花々の
     はなやぎみ(満)てる
     くるしくも
     尊くおもふ
     ひとときの
     よぎ(過)りゆくさま 
 その本質は詩人だった檀一雄の小説をひとつ挙げるなら『リツ子その愛』『リツ子その死』。
 福岡女学院卒業の夫人が病を得て、一粒種(ひとつぶだね)の太郎君を遺して、1946年に療養先の西区小田(「コタってどこだ?」と思う者は北崎中出身者に訊きなさい)で亡くなるまでのいきさつを基にしたものだ。その冒頭には師の佐藤春夫(詩人。『海の若者』/若者は海で生まれた。/風を孕(はら)んだ帆の乳房で育った。/すばらしく巨(おおき)くなった。/或る日 海へ出て/彼は もう 帰らない。/もしかするとあのどっしりとした足どりで/海へ大股(おおまた)に歩み込んだのだ。/とり残された者どもは/泣いて小さな墓をたてた。)が弟子の句をはさんだ献辞を寄せている。その句に言う。
      国破れ妻死んでわが庭の蛍かな
 檀一雄はきっと自分や律子さんだけでなく、その人生で出会った多くの人々の「生きたるけはひ」を書き残したかったのだ。その「けはひ」は今も確かにこの土地のそこかしこで息づいている。
 かれは自分が癌だと分かったとき、再婚した夫人(女優檀ふみさんのお母さん)と能古島に移住した。そのときのリヤカーで引越し荷物を運んでいる写真には生活者の喜びが満ち溢れている。
 毎年5月下旬には能古島で「花逢忌(かおうき)。」が行われる。興味のわいた人は行ってみたら?
石の上に雪を
雪の上に月を
やがて
こともなき
静寂(しじま)の中の
憩(いこ)ひかな

 予定外に長くなってしまった。
 今月は、合唱曲にもなっている高野喜久雄水のいのち』を紹介します。
「一度でいいから皆といっしょに歌ってみたい」と思っている詩です。
 まだ3.11の記憶が生々しい者は、これを読み終えたあと、「でも先生、水には僕たちの命や生活を破壊する魔性が潜んでいるんですよ」と言いたくなるかもしれない。でも、魔性は私たちの中にも潜んでいる。それを鎮めるために君たちは勉強している。勉学の究極の目的は決して他のことじゃない。
 『水のいのち』にこめられているものは、祈り、だ。
 祈りのない人生なんて。
 『第九』もいいけれど、年に一度必ずこの歌を歌う学校が日本中に一校ぐらいあっていい。

    『水のいのち』   高野喜久夫

         1雨

       降りしけれ雨よ、降りしきれ
       すべて
立ちすくむものの上に
また
横たわるものの上に

降りしけれ雨よ、降りしきれ
すべて
許しあうものの上に
また
許しあえぬももの上に

降りしきれ雨よ、わけへだてなく
涸(か)れた井戸
踏まれた芝生
こと切れた梢
なお 踏み耐える根に

降りしきれ
そして 立ちかえらせよ
井戸を井戸に
庭を庭に
木立(こだち)を木立に
土を土に

おお すべてを
そのものに
そのものの手に

   2水たまり

わだちの くぼみ
そこの ここの
くぼみにたまる
水たまり
流れるすべも めあてもなくて
ただ
だまって
たまるほかはない
どこにでもある 水たまり
やがて
消えうせてゆく
水たまり
私たちに肖(に)ている
水たまり

わたしたちの深さ
それは泥の深さ
わたしたちの言葉
それは泥の言葉
泥のちぎり
泥のうなずき
泥のまどい

だが
わたしたちにも
いのちはないのか
空に向かう
いのちはないのか
あの水たまりの にごった水が
空を うつそうとする
ささやかな
けれどもいちずないのちはないのか

うつした空の
青さのように
澄もう と苦しむ
小さなこころ
うつした空の
高さのままに
在ろう と苦しむ
小さなこころ

   3川

何故 さかのぼれないか
何故 低い方へゆくほかはないか

よどむ淵 くるめく渦のいらだち
まこと 川は山にこがれ
きりたつ峰にこがれるいのち
空の高みにこがれるいのち

山にこがれて 石をみごもり
空にこがれて 魚をみごもる

さからう石は 山の形
さかのぼる魚は 空を耐える
だが やはり 下へ下へと
ゆくほかはない 川の流れ

おお 川は何か
川は何かと問うことを止めよ
わたしたちもまた
同じ石を 同じ魚を みごもるもの
川のこがれを こがれ生きるもの

   4海

空をうつそうとして
波ひとつなく 凪(な)ぐこともある
岩と混じれなくて
ひねもす
たけり狂うこともある

しかし
すべての川はみな
そなたをさして常に流れた
底に沈むべきものは沈め
空にかえすべきものは
空にかえした

人でさえ 行けなくなれば
そなたを さして行く
そなたの中の 一人の母をさしていく

そして そなたは
時へてから 満ち足りた死を
そっと岸辺にうち上げる
見なさい
これを 見なさい と云いたげに

   5海よ

ありとある 芥(あくた)
よごれ 疲れはてた水
受け容れて
つねに あたらしくよみがえる
海の 不可思議

休みない 汀
波の指 白い指 くりかえし
倦(う)まず くりかえし
数えつづける
海の 不可思議

くらげは 海の月
ひとでは 海の星
海蛍 海の馬 空にこがれ
あこや貝は 光を抱いている

そして 深く暗い 海の底では
下から上へ
まこと 下から上へ
雪は
白い雪は 降りしきる

おお 海よ
たえまない 始まりよ
あふれるに みえて
あふれる ことはなく
終わるかに みえて
終わる こともなく
億年の むかしも いまも
そなたは
いつも 始まりだ
おお 空へ
空の高みへの 始まりなのだ

のぼれ のぼりゆけ
そなた 水のこがれ
そなた 水のいのち

たとえ 己の重さに
逆らいきれず
雲となり
また ふたたび降るとしても

のぼれ のぼりゆけ
みえない つばさ あるかぎり
のぼれ のぼりゆけ
おお