Hyへ

2015/03/08

 本日はポカポカ天気。
 雪がなくなるのを惜しむ男もいるのか。まさに千差万別。ひと様々。島倉千代子のあの歌は何という題名だったか、「○○もいろいろ、××もいろいろ」大好きな歌だった。いつか島倉千代子のCDは買う。
 昨日の月を見て、満月なのかどうか乱視の悲しさではっきりしなかった。
 今日になって、「そうだ。Kのカレンダーには月齢が表示されている!」確かめたら今夜が満月。夜も晴れてくれたらいいけれど。

 封書が届いた。
 実は同日、今年になって連絡を取るようになった男(学生時代にいっしょに安達太良山に登った都立高校のメンバーの一人)からもドサッと封書が届いたので中身を見たらなんと「第130回南原繁研究会」の分厚いレジュメだった。いろんな仕事をしたらしいが、今はタクシーの運転手をしながらその研究会の世話係を引き受けているらしい。次回の講師は加藤陽子とあった。
 そんなわけで、送ってくれたものを読むのは少し先になる。

 一昨日が卒業式。毎度のことだがインチキ教師もその日だけは自分を「教師なんだな」と思う。あとはいつも自分に違和感を覚えつつの40年だった。
 式が終わって4階のアジトで服を着替えて、(今度送るつもりの)宮柊二山西省』を入力していると卒業生が入ってきて、
 「なにか書いてください。」
 では、と、このはる見にいこうと思っている三輪田米山の「鳥舞魚躍」を書いて意味を説明したら、「はい。ぼくも自分の人生を目一杯楽しみます。」少しは教師らしかったか。
 その夜、祝賀会を終えて夜中に帰ってきて、ヨメさんもチビたちも寝ているから、届いていた川田順『住友回想記』を開いたらそのまま読みふけってしまった。出てくる人物は縁もゆかりもない人たちなんだが丸っきり飽きない。名文とはそういうものなんだな。1951発行。たぶんいちども開かれていなかった本。不思議な感じがした。で、まずはそれを読み終えようと思う。

 天皇についての話は難しいな。
 天皇に戦争責任があるのか、ないのか。一昔前かまびすしかったとき生徒から質問されたから「責任があるよ。なぜなら天皇だから」
 ただ、個人的にギルティなのかどうかという点が難しい。ノット・ギルティだと言ってしまえば簡単なんだろうが、それでは国内外に感情を煽られる者がいくらでもいる。「じゃあ、ギルティと言ってしまえ。」しかし、天皇に個人性はない。天皇がギルティなら日本全体が永遠にギルティなのだ。(分かりやすいですねぇ。「歴史問題を決着させる」とはそういうことです。日本がギルティであれば、アメリカを含めた周辺諸国は自分たちのしたこと(歴史)に一切の責任を負わずにすむ。「はやく歴史問題を決着させろ。」しかし、歴史上の出来事の何と何がギルティなのかの判別は事実上不可能だ。──だから極東裁判では「平和への罪」という意味不明の罪状をこねくり上げた。──日本の近代史全体が、ということになると、我々は歴史的不可触民になってしまう)
──もうすぐドイツのメルケルが来日して講演を行うという。どんな話をするのか興味津々だが、あの人は食えない人だから、肩すかしを食わされそうな気がする。現在の顔と名前が一致する政治家のなかで随一とみなしている人物。
 明治憲法といまの憲法と、天皇の地位については何も変わっていないと言う人たちも多いが、オレは違うと思う。(ただし、まともに明治憲法を読んだことはないし、これからも読まないはず)
 明治憲法天皇制とは「日本のしでかしたことの最終責任は天皇にある」というシステムだった。ただし、「日本のしでかすことに天皇は口出しするな」
 つまり、天皇には何の権限も与えずに責任だけ取らせるという仕組みだ。「天皇は日本全体の犠牲のために飼っている人質」──自分の考える歴史的天皇制です。──
 個人的な話を付け加える。跳ばし読みしても論旨にはいっこう差し支えない。
 ちょうど40年前、『ムヂョオ』を一晩で書き上げたとき、「もうこれで当分は書かなくてすむ」と思った。その次に思ったのは「もし書くなら次は天皇制だ」その時の天皇制のイメージが上に書いたこと。「イケニエとして大切に斎(いつ)き養っている聖なる羊」。その次作の題名だけは『洲唄(しまうた)』と決めている。これは、わが先生がチビチビ、いやグビリグビリやりながら話した敗戦直後の思い出話をどうにかして残すための最終的な宿題にしている。
 明治天皇は平和主義者だったという話がある。本当にそうだったのかも知れないが、それ以上に戦争をするのが怖かっただろうと思う。もし日本が負けたら、縛り首になるか、火あぶりになるか、相手の思うままなんだから。歴史的に言うなら、豊臣秀吉に部下全体の命とひきかえに切腹を命ぜられた高松城主のイメージだったんじゃないかな。「それがお前の唯一の仕事なんだ。それまでの一切はわれわれが補弼する。」
 美濃部達吉(だったかな?)の天皇機関説がなぜ圧殺されたのか。99,9%までは「その通りだ」と皆は(軍人達も)思っていた。「天皇に口出しはさせん。」ただ、「機関説」では、天皇に最終責任を帰せられない。当事者の自分たちが責任をとらなくちゃならなくなる。
 天皇の名で命じるから国を動かせる。軍も動かせる。が、彼ら(政治家も軍人も官僚もマスコミも)は自分たちが責任をとる気などはまったくなかった。──いまのマスコミやいわゆる知識人たちもそう──2、26の将校達も同様。「天皇から裏切られた」なんてよくぞ言えたもんだ。天皇という木偶人形を担いで国を動かそうとしただけで、天皇が口をきくなんて予想もしていなかった。2、26の将校達を陰で煽っていた将軍達も同然。現実的なことに天皇がしゃしゃり出て来たときは恐慌状態に陥ったはずだ。「あいつは口出ししちゃいかんはずじゃなかったのか!?」
 昭和天皇が自分の意志を表に出したのはその2、26とポツダム宣言受諾のときだけだったという説には、たぶんそうだったっmだろうな、と思っている。あとは無骨なほどに明治憲法を護った。それも当然で、天皇みずからが国体を破壊するような行為に出るはずがない。
 敗戦後、マッカーサーに会って「いっさいの責任は私が負う。ただ日本人を飢え死にさせないでくれ」と言ったのが美談みたいになっているが、かれは自分の役割をそのまま愚直に果たしたに過ぎない。(そうできる人は多くはないとは思うが、たぶん、B級裁判を克明に調べたら相当数の人々を発見するだろう)
 記者会見のとき質問した中村浩二なる人物が、上の簡単明瞭な常識さえ持たないバカだったとは思わない。知った上で質問したのは大向こうを意識したパフォーマンスだったんじゃないかな。それに多分、唐突な質問だったわけではなく、前もって「こういう質問をする」と天皇にも知らされていたはずだ。つまりあれは一種の「やらせ」です。
 その「やらせ」で、「ことばのアヤ」だと言ったその率直さには感心するのを通り越して「そんな人に天皇を続けさせてはいけなかった」と思う。ほかに言いようがなかったのかという気もする、が、昭和天皇今上天皇も偏差値50の人だ。選ばれてなった人とは違う。(「オレたちが選んだわけじゃない」はい、その通りです)茨木のり子が猛反撥したのは、そこにある論理ではなく、天皇の発した言葉の軽さに対してだったんじゃなかろうか。しかし、公の席で「責任がある」と言うのも「責任はない」というのも天皇の役割を逸脱することになる。それを避けながら正面から答えるなら、ああでも言うしかなかった。それに対する詩人の反応は感情的。(論理より感情やイメージのほうが遙かに大切だとは重々分かっているつもりです)
 単純化して言うと、「天皇は日本国民に対しては責任がある。外国に対しての責任はない。」それが、昭和天皇が護らされた明治天皇制だ。だけど、そう明言したら紛糾するどころか日本は国際社会で生きていけなくなる。もう多くの日本人にとってさえ分からなくなった明治天皇制を外国人に理解していただくなんてことは不可能だ。
 戦後憲法下の天皇はまったく違う。もういっさいの責任を?ぎ取られている。今の天皇は責任さえとることが出来ない。その何の権限も責任も与えられていない「象徴天皇制」という、明治憲法以上にアヤフヤなシステムそのものとして今の天皇(という人間)がある。なのに何だかとんでもないものを背負わされている。あの方たちが正気を失わずにいることにただただ頭が下がる。しかし、もう息子夫婦はそうもゆくまい。
 ただ、昭和天皇はもっとはやく(最初の機会は新憲法に変わったタイミングで)皇太子に譲位すべきだった。遅くとも東京オリンピックの開会宣言は新天皇、戦争中は小学生だった若者にやらせるべきだった。それが日本の新しい顔になったはずなのに残念でしかたがない。「ネコに鈴」をつけるべき者がいなかったんだろうね。マスコミ関係者も含めて。
 「そんなことをしようとしたら右翼から殺されていた」かも知れない。でも、それを怖れて最低限のやるべきことをしなかった人間が、「敗戦後の経済が右肩上がりするのに反比例して、戦後的精神は左肩下がりを続けた」と発言する。──そうね。その見本があなたなんだよね。──国民全体の「精神」の優劣を簡単に口にする人をオレはまったく信用しない。彼の理屈(左肩下がりの線グラフ)で言うと、中国を侵略していたころの日本人のほうが敗戦後の日本人より精神的には遙かに優れていた、ことになるのか?「明治の日本のほうが今の日本より品格があった」という本を出して人気者になった男も同断。今の日本のほうが明治時代より百倍もマシだ。嘘だと思うものは明治の下層民にいまの日本を見せてみろ。
 草創期の玄洋社のようなホンモノの右翼ならマスコミや政治家なぞ相手にせず、ちょくせつ昭和天皇狙撃を画したはずだ。(福岡県人の精神構造みたいなものはワタクシには見えるのです)「責任を取れ。そうしないともう日本人は天皇制を棄てるぞ」

 学生時代「天皇制があるから日本人は政治的に未熟なんじゃないか」と感じていた。いまもそう感じる。しかし、もし天皇制を廃止して大統領制にしたら、この国はいまの韓国とオッツカッツの国に、いやそれよりヒドい国にアッという間になってしまう。いい悪いとは関係なしに歴史の厚みとはそういうものだし、その自分たちの歴史の厚みを捨てた人々は、この間のテロ前後のフランス人みたいに皆で腕を組んで「連帯」するしかない。──これを読み直している3/8の新聞にマルグリット・デュラスの言葉が載っていた。現代のフランスが文化的、政治的に遅れている理由を聞かれ「それはサルトル(のせい)だ。」デュラス健在。サルトル実存主義は哲学ではなくロマンだ。フランス国内だけでなく、その哲学的衣裳をまとったロマンにポーっとなった人間の何と多かったことか──いまの日本のほうがまだマシだ。マスコミや知識人なる人々の気楽さ、ノーテンキさを見てみろ。みな安心して大向こうを意識したパフォーマンスに熱中している。オモテ舞台に出たがる男や女たちの99%は信用しない。でも大丈夫。1%でも信用できる人がいるならオレたちは生きていける。
 なんだか、オレの日本社会のイメージはいまのイスラム社会とあんまり変わらない気がする。
 でも、自分としては大切なことを話したつもりです。

 と、ここまで話して、近代天皇制の不思議さに気づいた。
 日本人はすべての責任を天皇に押しつけている。つまり天皇は日本の責任の掃きだめだ。なのに天皇は丸っきり責任を感じている様子がはない。そのことに多くの日本人がむかっ腹をたてている。
 近代天皇制とは、一種の浄化装置なんだ。日本人の責任のローンダリング装置。責任の浄化槽。
いわば、自分たちが身につけていたくない、手を汚したくないものの一切を投げ込む場所が天皇という機関。天皇制が機関なのではない。天皇という人間を機関にしたのが明治憲法。その装置はあまりにも性能がよかった。何しろ許容限界量がない。すべてのものを跡形もなく浄化してしまう。そしてその浄化槽はいつも完璧に清潔だ。
 自分たちが自分の手に負えない一切のものを押しつけているのに、天皇は平気な顔をしている。多くの人はそのことにむかっ腹を立てている。そうなると、イジメと似た精神構造になってゆく。「どこまで耐えられるのかトコトンやってやる」
 しかし、耐えがたいのは、むかっ腹を立てている人々のほう。何故ならその浄化槽はいつも自分たちの頭上にある。何時までたっても自分たちの手と頭で浄化槽を支えさせられている。自分たちの汚物を投げ入れ押しつけた容器を、自分たちが素手と頭で担がせられている。汚水や悪汁や悪臭がいまにもしてきそうで耐えがたくて「なぜこんな目に遭わなきゃならないんだ」とその理不尽さがおぞましい。なのに、汚物をなすりつけた相手はこちらの頭の上でまったく平然としている。
 「いっそのこと揺さぶり落とすか?」
 しかし、陰で天皇に悪態をついている者も、揺さぶり落とそうとは決してしない。落とした途端に、これまで押しつけ、投げ入れた自分たちの一切のものが、自分たちの頭上と体と足元に散らばるのを知っているから。そういう意味では天皇制についての国民的コンセンサスは今もあるのです。
 近代天皇制に限ったことではないのかも知れない。網野善彦の「最下層民と天皇の同一起源」説は、そういうことを指していたのかもしれないな。
 
 教員になったとき、「教員になった以上、何を教えるのか?」と考えて、二つの目標を設定した。 ひとつは「宗教心の種を播く」こと。周りをみていて、あまりにも希薄になりすぎていると感じていたから。別になに教でも、なに宗でも構わないし、宗派に所属する必要もない。でも、宗教心は生きていくための根っこだといまも思っている。いや、あのころより遙かに強く思っている。
 あとひとつは「社会というものの具体的なイメージ」を持つとっかかりを与えること。50年近く前、「反体制」を唱える同輩に不思議だったことは「社会をショートカットして体制」だったことだ。体制がなかったら社会は成り立たない。(いまの中東諸国の北部がいい見本)
 たぶん同輩たちは自分たちが勝手につくったイメージと闘っていた。つまり、自分の頭の中と闘っていたようなものだ。いまもそういう、自分が頭の中に作った「現実」を危ぶんだり、批判したりしている人が大勢いる。オレも例外じゃない。

 「日本の戦争を食い止めることは出来なかったのか」ということについても、いまはずいぶん考え方が変わってきた。
 たとえば、ほんの最近まで福岡県人を前にしたら、わざとのように広田弘毅をこき下ろしてきた。「人間として優劣はどうでもいい。一国を預かる政治家として無能だった。」しかし、彼に限らず、たとえ一時しのぎにしろ「体制」を維持することに精力を使い果たした人たちに責任を押しつけることもまた、無い物ねだりに過ぎないのかもしれない。体制を維持できなくなれば社会は崩壊する。
 「負けっぷりの悪さ」についても同様に考える。未曾有の敗戦の後にも体制(つまり社会を支えている骨格)を残すためには、あの往生際の悪さが必要だったのかもしれない。念のために言っておくが「国体護持」の「国体」は必ずしも天皇制である必要はなかった。ただあの時、(あるいは今も)それ以外の具体的なイメージを持ち得た者は、真面目な人間の中にはほとんどいなかった。それは日本人が愚かだからではない。天皇制があまりにも機能的だったからだ。
 国体はさいわいに護持されて、我々は安心して野放図に成長することができた。ただし、常に自分たちの精神的汚穢物が頭上にあるような生き心地の悪さはつきまとう。「それを、言葉のアヤで済ませるなんて許せない」

 人間も、鳥や魚同様に、自分の見たいものしか見えないし、見たいようにしか見えない。生きてゆけるように、もともとからそういう具合に創られている。が、ただそれだけの人には何も見えてはこない。
 今年のインチキ教師の仕事もほぼ一段落しかけている。
 そう思った途端に大寝坊をするようになった。これで結構大きな精神的負担を感じていたんですよ、きっと。

 若い頃から敬遠している大のニガテのパスカルがこんなことを言っているそうです。
「人間は遠くのことほどには身近なことへ想像力を働かせることができない。」べつの表現にすると、「遠くのものごとほどには身近なものごとにリアルさを感じない。」たぶん、そう言いたかったんだと思う。遠くのものごと、自分に直接的な影響を及ぼしそうにないことがらに対してのみ、人は安心して現実感を持つことができる。いまの人間たちもそうだ。もちろんその「いまの人間たち」のなかにはワタクシも含めての話です。だって、そうじゃない人たちはたぶんカウンセラーかお医者さんの世話になっていると思うから。