私家版
二十世紀の俳句 一人一句
二〇一五年編輯

病床やおもちゃ併べて冬籠    正岡子規
 一八六七〜一九〇二

 倫敦にて子規の訃を聞き
手向くべき線香もなくて秋の暮  夏目漱石
    一八六七〜一九一六

未来ひとつひとつに餅焼け膨れけり  大野林火

梅の花この世ばかりを見て歩く       三森鉄治

老妻のひゝなをさめもひとりにて   山口青邨

そっと、そっと、詩は花となる花となって、うちふるえる
杉山参緑

障子開け国原の春容るるなり     伊丹三樹彦

日暦に初蝶とある妻の文字       宇佐見魚目

ひらがなのやうないちにち桃咲いて   清水衣子

来世またをみなと生まれむ雛納め   殿村菟絲子

いつか死ぬ話を母と雛の前       山田みずえ

朧夜のたしかに酔うてゐたる母     黒田杏子

女身仏に春剥落のつづきをり      細身綾子 

更衣母子で暮らす日が減りゆく     岡本差知子

産みに行く車燈に頭を下げ給いし母よ  寺井谷子

肉親や一本道を葱提げて       津沢マサ子

単帯水のごと展べ形見わけ       大石悦子

菜の花や百萬人の炒り卵        向田邦子

晩年とはいかなる嘘や石の上     宇田喜代子

豆腐屋のつばめ八百屋のつばめ来る  椹木(さわらぎ)啓子

燕とぶ日よ宿題を児に課さず      樋笠 文

春愁や絵よりパレット美しき      八染藍子

原子めく檸檬でいたいんです いたいんです 松本恭子

春愁や癒えて着られぬ服ばかり      朝倉和枝

春落葉えたいの知れぬものも掃く    鍵和田釉子 

 夫に癌を告知せず
紅梅よ吾れの運命を夫知らず       上野章子

時間まだ夫婦にのこる花明かり    ながさく清江

花冷や箪笥の底の男帯         鈴木眞砂女

蕗の薹みぢんに刻み今日より妻   松本澄江

さくらさくらわが不知火はひかり凪    石牟礼道子

草の実踏み人への情を名づけ難し     和泉香津子

合せ鏡するすべもなく春暮れぬ      渡辺つゆ

羅(うすもの)着て厨子のくらきにひそみたし 横山房子

かすみ草やさしき嘘に人畢る      赤松螵子

昼顔は誰も来ないでほしく咲く 飯島晴子

寒牡丹別の日暮が来てをりぬ      手塚美佐

水中花妊りしこといつ告げん      加藤三七子

ハンカチ洗ふ日中の夫を知らず    橋本美代子

ざくろ美しと見て近づかず      吉野義子

団扇さへ軽さを欲りて母老いぬ  大箸敬子

人待つにあらず夕虹消ゆるまで    中村苑子

月光にいのち死にゆくひとと寝る    橋本多佳子

西鶴の女みな死ぬ夜の秋       長谷川かな女

熱燗の夫にも捨てし夢あらむ     西村和子

とろろ汁夫を死なせしまひけり   関戸靖子

どこからが恋どこまでが冬の空     黛まどか 

雪を待つ。駅でだれかを待つように、  岸原さや

美しき生ひ立ちを子に雪降れ降れ   村上喜代子

還らざるものの一つに冬の蝶      福神規子

踏むまいぞこれは朝寝の妻の足     鈴木鷹夫

生きていることに合掌桜餅       村越化石

齢急(せ)くともさくら餅ひとつずつ   古沢大穂

たんぽぽの種子ゆくりなく上昇す 平出種作

鳥銜(くは)へ去りぬ花野のわが言葉   平畑静塔

渡り鳥わが名つぶやく人欲しや     原 裕

春星や女性浅間は夜も寝ず       前田普羅

をととひもきのふも壬生の花曇    古舘曹人

校門を出て妻となる春霞        雨宮更聞

老子霞み牛霞み流砂霞みけり      幸田露伴

恋語る魚もあるべし春の海 佐藤春夫

生きかはり死にかはりして打つ田かな  村上鬼城

なつかしや未生以前の青嵐       寺田寅彦

ちるさくら海あをければ海へちる    高尾窓秋
 
逝く春や花ニ逢はんと言ひしひと    代 理人

 二月十七日安吾忌(昭和四七年)
狼のパクパク食はれる赤頭巾      檀一雄 

 二月二十五日
龍太逝き五年や土間の大火鉢     佐々木建成

 四月十三日
啄木忌いくたび職を替へても貧     安住 敦

いつ消えしわが手のたばこ啄木忌    木下夕爾 

 七月十五日
胸にのせ寝て弾くギター チェホフ忌 野見山朱鳥

 七月二十四日芥川龍之介九回忌
故人老いず生者老いゆく恨かな     菊池 寛

 七月三十日
古漬の瓜やなすびや露伴の忌      草間晴彦

九月十七日
子規逝くや十七日の月明に       高浜虚子

子規まつる小さき祭壇枕辺に       耿朔

 九月二十二日
河上徹太郎葬の弥撒無月かな      石原八束

十一月二十一日
青年波郷電気毛布の夢に出て      相馬遷子

湯豆腐やかならず久保田万太郎     鈴木俊策

ざくろ放哉旧居の井戸涸れず     関森勝夫

裏街はからっぽユトリロ死す      有馬朗人

春の闇自宅へ帰るための酒       瀬戸正洋

会う度に無口になる父鯖を裂く     坪内稔典

思ひ沈む父や端居のいつまでも    石島雉子郎

乳母車押す気まぐれや木の芽時     安藤赤舟

葉桜やすヾろに過ぐる夜の靴      金尾梅の門

麦秋や太郎が村を出てゆく日      松本 旭

あじさいの心屈してながめいる     大原富枝

葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり    水原秋桜子

一盞能払万古愁いっさんよくはらふばんこのうれひ 
     永井荷風
打ちみだれ片乳白き砧かな       泉 鏡花

ほとゝぎす根岸の里の俥宿       久保田万太郎

炎天の遠き帆やわがこころの帆     山口誓子

炎天や暗きところを家といふ      本宮鼎三

田のへりの豆つたひ行蛍かな      林富士馬


畠のものみな丈低し十三夜        小島花枝

朝顔や濁り初めたる市の空       杉田久女

朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ    日野草城

朝顔や百たび訪はば母死なむ      永井耕衣

ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう   折笠美秋

日焼まだ残りて若き人夫死す     古賀まり子

菊づくり菊見盛りは陰の人       吉川英治

霧深き夜なりと日記書き出しぬ     大場美夜子

子を抱くや林檎と乳房相抗(あひさか)ふ 中村草田男

妻子なき芭蕉を思ふ冬ごもり      岡本松浜

親しきは酔うての後のそば雑炊      吉村 昭

熟しきって廃村の柿冬を耐ふ      五條元滋 

須賀平吉君を弔ふ
生涯にまはり燈籠の句一つ       高野素十
              抒情涸れしかと春水に翳うつす     高橋鏡太郎

日が 落ちて 山脈といふ 言葉かな  高柳重信

てっせんのほか蔓ものを愛さずに    安藤次男

石ひとつ野に老いて言葉はじまりぬ   福田葉子

青き地球蚕は糸を吐きつづけ      野頭泰史

蝉の屍の鳴きつくしたる軽さかな     大倉郁子

炉に落ちしちちろをすくふもろ手かな 飯田蛇笏

誰がために生くる月日ぞ鉦叩(かねたたき) 桂 信子

万の翅見えて来るなり虫の闇     高野ムツオ

雁(かりがね)やのこるものみな美しき 石田波郷

鶏にも夜が長かりしよ餌つかみてやる  津田清子

どうにもならぬことを考えて夜が深まる 住宅(すみたく)顕信

戸をたゝく人も寝声や新酒買     志太野坡

郭公や何処までゆかば人に逢はん    臼田亜浪

有難き御世に樗(おうち)の花盛り    南方熊楠

ゆっくりと烏丸通り牡丹雪      角川照子 
   
檀一雄
能登恋し雪ふる音のあすなろう     沢木欽一

みちのくは底知れぬ国大熊(おやじ)生く  佐藤鬼房

 浅草
非常門あくうれしさや酉の市      安藤林虫

雲の峰いよいよ雲の力で立つ       鷹羽狩行

春の月征(ゆ)きて一軒家空きぬ      藭尾彩史

花の雨兵の征(た)つ日は定かならず   眞鍋呉夫母

梅雨ふかし戦没の子や恋もせで      及川 貞

捨乳や戦死ざかりの男たち        三橋敏雄

独房に釦(ぼたん)おとして秋終る    秋元不死男

酔へど妻子に明日送る金離すまじ   石橋辰之助

墓一群「三月十日沒」と雪に      加藤楸邨

 シベリア抑留中
亡き母の齢となりぬあかぎれて     板間訓一
          
 カラカンダ臨時法廷にて二五年重営倉の判決を受く
葱は佳しちちははは愁ふことなかれ  石原吉郎

 読み握り耐へてまた読む シベリア抑留中
母逝くと吾子のつたなき返しぶみ 草野貞吾

 シベリア抑留中死去
日の恩や真直ぐに玻璃の雪雫(しずく)   山本幡男

トラック島撤退
水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る 西東三鬼

  応召
馬ゆかず雪はおもてをたたくなり   長谷川素逝

 ビルマ従軍
日は沈むすでに冷えたる雉の胸      丸山豊

徐々に徐々に月下の俘虜として進む   平畑静塔

母子草焦土はいつも草の底 田川飛旅子

母の死後わが死後も夏娼婦立つ    鈴木六林男

カンナ崩れまた燃えつきて原爆忌    徳田惑堂

蜩や玉音聴きし世紀果つ        今中榮三郎

蜩といふ名の裏山をつねに持つ   安藤次男

貧しさに馴れて金魚飼ひにけり   久保田暮雨

蛇女みごもる雨や合歓の花     芥川龍之介

掃苔や首筋拭いて人は老い     西村蓬頭

朝日まぶしくもぐら平気で死ぬ     和田悟郎

さびしさを支へて釣りし蚊帳の月    岡崎えん


蚯蚓(みみず)鳴く六波羅蜜寺しんのやみ 川端茅舎

夢殿やげに天平の天高し      渡辺恭子

秋風の背戸からからと昼餉(ひるげ)かな 富田木歩

おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて  山頭火

咳をしてもひとり      尾崎放哉

赤とんぼじっとしたまま明日どうする  渥美 清

人ゐてもゐなくても赤とんぼ     深見けん二

籾かゆし大和をとめは帯を解く    阿波野青畝(せいほ)

秋風や模様のちがふ皿ふたつ     原 石鼎

秋はまづ街の空地の猫じゃらし   森 澄雄

曼珠沙華忘れゐるとも野に赤し 野澤節子

秋の雲立志伝みな家を捨つ      上田五千石

切株の木芙蓉(ふよう)兀(こつ)として秋暮れぬ   森鷗外

凩やからまはりする水車        中川宗淵

一楽章すんでオーバー脱ぐところ    佐久間慧子

白露や死んでゆく日も帯しめて     三橋鷹女

身に沁みるほどにはあらず萩の風    佐々木基一

寒スバル裁かるるごと振り仰ぐ     楠本憲吉

母のゐさうな夕凍ての蔵障子      広瀬直人


女房のゆばりの音や秋深し       関口良雄

蘆枯れて瞽女道(ごぜみち)となる国境  角川春樹

あはれ子の夜寒の床の引けば寄る  中村汀女

小春日を掃き残しけり並木道      中嶋秀子

喪へばうしなふほど降る雪よ    照井 翠

海に降る雪を思へり眠るため     正木浩一

物質に影なし冬の濤(なみ)       田中哲

ふりむかぬ人の背幅や雪もよひ    鷲谷七菜子

雪はげし告げ得ぬ言葉犇(ひし)めきて  渡辺千枝子

ゆきふるといひしばかりの人しづか 室生犀星

防風林吾を待つ母いまも貧し      成田千空

いつまでもどこまで行っても雪の声   岡本尚子

流れ星ひとつキタキツネは寝たか    酒井弘司

口重き男いきなり鶴のこと      蟻塚尚孝

祈りにも似し静けさや毛糸編む    戸川稲村

売れ残る魚少(いさざ)凍ててしまひけり 草間時彦

煮凝りのとけたる湯気や飯の上    鈴鹿野風呂

若狭乙女美(は)し美(は)しと鳴く冬の鳥  金子兜太

着ぶくれてますます小さく母癒ゆる    今瀬剛一

遺書父になし母になし冬日向       飯田龍太

拾はれし犬のひるねや冬至梅       三好達治

友の訃に酒酌む夜の迎春花       高橋 治

初暦知らぬ月日の美しく        吉屋信子

来年のことは知らねど日記買ふ  今井つる女 

欲しきもの買ひては淋しき十二月  野見山ひふみ

年の夜やもの枯れやまぬ風の音     渡辺水巴

この家もやがて空家よ雪おろす     山本恭子

国古し冬の畦道直ぐなるは無く     宮津昭彦

風呂水のあふるる音や去年今年    宗 文夫

初夢は死ぬなと泣きしところまで    真鍋呉夫

初夢に人を探して迷ひけり       榎本好宏

命かな書くこともなき初日記       香葉

読み初めは「論語」世の中変はるとも  舛添公夫 

数の子はよきかなビール林立す 森田 峠

初空へ今年を生きる伸びをして     小沢昭一

遠き日の日本の空に凧一つ       北側松太