今月の詩2015年4月

いくら読んでも偏差値は上がりそうにない国語学習プリント

今月の詩                  2015年4月


  人ゐても人ゐなくても赤とんぼ   深見けん二
   
 これから一年間国語の勉強をしていきます。
 私が教員になったあと、40年ほど前にセンター試験が始まった。(私の高校時代にはセンター試験はなかったから、さいわいなことに私は自己採点を経験していない。それどころか模試を受けたこともなかったので、自分の偏差値も知らないまま胸を張って東京に出て行けたのは幸運だった)センター試験の国語は評論文と小説と古文・漢文。それに合わせて限られた時間数という制約のなかで授業計画を作るしかない今の学校は、私たちのときのように、詩や歌や俳句を教える時間がない。
 せめて、と考えたのがこの「今月の詩」です。これから12回にわけて、君たちに読ませて置きたい詩歌(しいか)を紹介して行きます。

 3月30日。例年どおり健康診断を受けるために天神に出て行った。せっかく出て行くのだからと思いついて、区役所前にある尊敬している甲斐大策さん(宗像在住。忘れなかったら彼の絵を用いたカレンダーを教室に持っていきます)の大きな絵が掛かっている喫茶店で昼食をとった。系列店が印刷してあるレシートの裏を見ていたら駱駝(ラクダ)の隊商の絵が飾ってあった店の名前がない。
 「博多駅前の店はなくなったんですか?」
 「はい。」
 「あそこに飾ってあった絵はいまどこにありますか?」
 「地下に運び込んだ所までは知っていますが、いまはどこにあるのか、、。」
 楽しみがひとつ減ってしまった。
 健康診断は合格。おかげでこうしてまた西陵生と向かい合える。ただ、予想したことがひとつ。身長がまた縮んでしまった。「わぁ、また縮んだ!」というと若い看護師さんが「縮むんですか?」「縮むよぉ。60越したらどんどん縮むよぉ。」それを聞いた年長の看護師さんが「じゃぁ私も縮んでいるかもしれない。」と笑う。
 あとひとつはショックだったこと。「高い音が聞こえづらくなっていらっしゃいます。」「え?」「日常生活には差し支えない程度ですけど。」
 頭はわるい。目もわるい。口もわるい。胴長短足でスタイルもわるい。そのわるさには自信がある。心と顔のことは君たちの評価に任せるとして、ただ歯と耳と鼻の良さで生きぬいてきたつもりなのに、「ついに来たか」。でも大好きな音楽をこれからも聴きつづける。寝たきりになっても続ける。

 天神から戻ってくると前の公園のソメイヨシノが満開。「ほう。」と思いつつ家に入ると、裏のヤマザクラも満開。種類がまったく違う桜が同じ日に満開になるのは珍しい。

敷島の大和心をひと問はば朝日に匂ふ山桜かな
 ※「敷島の」は「大和」にかかる枕詞

 軍国主義の時代にもてはやされた江戸時代の国学者(本職は往診専門の町医者。生活はけっこう大変だったらしい。歩いて往診しなくてはならないので、一人の患者を見るだけで一日仕事だったりしたという。)本居宣長(もとおりのりなが)の有名な歌です。「咲いた花なら散るのは覚悟」「ぱっと咲いてぱっと散る潔(いさぎよ)さ」 当時の(20世紀の)人はもう、桜というとソメイヨシノしか思い浮かばなかったらしい。
 ソメイヨシノは江戸時代に観賞用として品種改良されたものです。その華やかな美しさが評判を呼んで、あっという間に日本中に広がり、「桜」の代名詞みたいになった。
 ヤマザクラは(いろんな種類があるらしいが)葉と花が一緒に出るし、質素で地味な花なのであまり目立たない。春先に山の中腹あたりにボゥーっと雲か霞(かすみ)がかかっているように見える所があったら、それが山桜だと思ってたいてい間違いない。いくら頑張って咲いても目立たないから花見客が訪れたりもしない。
──日本人のこころ(の美しさ)は、人から誉(ほ)められることを期待しないで、でも自分の義務をひっそりと確実に果たそうとする、山桜みたいだなぁ。
 作者の本居宣長の言いたかったことは、そういう意味だったのだと思う。そう思うし、その作者の考えに賛成する。
「いまの日本人は目立ちたがり屋が多すぎだよ」

青空や花は咲くことのみ思ひ   桂 信子
昼顔は誰も来ないで欲しく咲く  飯島晴子

 中学校のとき、君たちはきっと宮澤賢治の下の詩を勉強したはずだ。(まだだったらチャンス。今日しっかり読みなさい)
 地元(岩手県。ほとんど換金作物を知らず自給自足の生活だった東北地方の農民は明治以降、金銭経済に巻き込まれたことと気候が不安になったことが重なって、江戸時代より生活に困窮している人たちが大勢いた)の農学校の理科の先生をしながら、農業で自立する方途(ほうと=方法)を教え子たちと実践的に探しつつ、1933年わずか37歳で病死しました。『雨にも負ケズ』はその死後に見つかった手帖に鉛筆で書かれていたのだそうだ。
 短い生涯だったけど、その間に書いた童話は、『セロひきのゴーシュ』や『銀河鉄道の夜』をはじめとして、21世紀になったいまでも数多くの読者を得ている。
 「宮澤先生」の思い出集を読んだことがある。そのなかで教え子は「先生は、「75点とれたら合格だよ。その自信が出来たら他の科目を勉強しなさい」と言ってくれた。」と書いていた。
 ヨシ。今年の国語の目標は75点。
 間違えるな! 平均点の目標ですよ。
 西陵に来るようになってから、まだ平均点が70を超えたクラスはないのです。

       雨ニモマケズ
※全文歴史的仮名遣い。
※読みやすいように一部カナを漢字  にしています
※「ヰ」は「ゐ」のカタカナ
             
雨ニモ負ケズ
風ニモ負ケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナ体ヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモ静カニ笑ッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲ
自分ヲ勘定ニ入レズニ
ヨク見聞キシ分カリ
ソシテ忘レズ
野原ノ松ノ林ノ蔭(かげ)の
小サナ萓(かや)ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノ子ドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテ怖ガラナクテモイヽト言ヒ
北ニ喧嘩ヤ訴訟(そしょう)ガアレバ
ツマラナイカラ止(や)メロト言ヒ
日照リノ時ハ涙ヲ流シ
寒サノ夏ハオロオロ歩キ
皆ニデクノボート呼バレ
誉(ほ)メラレモセズ
苦ニモサレズ
サウイフ者ニ
私ハナリタイ