シンボルスカの詩

 いくら読んでも偏差値は上がりそうにない国語プリント

今月の詩                  2015年5月

 テレビを見ていて知ったこと。今年はラジオ放送開始90周年(放送開始は3月19日)なのだそうだ。
──まだそんなものなのか。
 と思った瞬間に重大なことに思い当たった。
──今年99歳になる我が母親は子供のころラジオを知らなかったんだ!
 「江戸時代の生まれだ」というのが小学校4年生のときに亡くなった曾祖母の自慢だった。(私は江戸時代生まれの人間に育てられたのです。祖母は明治時代の生まれ。母親は大正時代。そして曾孫は昭和)
 門司のレトロ地区が再開発される前、古い建物が残っている所をぶらぶら歩いていると扉に「××ブラザーズ・スチームシップ・カンパニー」という銅板が貼り付けられているのを見つけた。一瞬「何のこっちゃ?」──「蒸気船会社だ!」あの感動は忘れられない。再開発した後あの歴史的銅板をちゃんと残しているかなぁ?
 19世紀後半(日本でいうと明治時代)から、世界の技術革新のスピードが驚異的に上がった。その一例が下の表。その発明の歴史的影響を右側に載せる。

1765 ワット 蒸気機関   
1814スティーブンス 汽車
             1858ペリー蒸気船で来日
1866ノーベル ダイナマイト
1880ベンツのガソリン・エンジン
1895フランスで映画の試写会
1895マルコーニ 無線電信 
1897英ブラウン ブラウン管
1905 ライト兄弟初飛行 1905日本海海戦で無線通信
  1914第一次世界大戦 
1925日本のラジオ放送 (飛行機による爆撃開始)
1927リンドバーグ大西洋横断飛行
1939ジェットエンジン
             1940独が英をロケット攻撃
1945原爆製造       1945米が日本に原爆投下
             1951原子力発電実用化
1953日本のテレビ放送
1958ロケットで人工衛星を地球軌道に
1961人間乗り組みの地球軌道衛星
1969アポロ月面着陸

 ワットの蒸気機関が汽車になるまで約40年。その40数年後には蒸気船が太平洋を渡って日本にまで来た。
 飛行機が出来た30数年後にはロケット弾道弾が実用化され、その20数年後には人工衛星が成功し、さらにその11年後には人間が月にまで行った。原爆が製造された6年後にはもう原子力発電の開始。
 アニメ的に言うなら、ライト兄弟の初飛行を見た10歳の少年はロンドンがロケット攻撃を受けたというニュースをラジオで聞き、日本の街をたった一発で潰滅させた爆撃後のキノコ雲の様子をニュース映画で見、人間がロケットを使って月に着陸するテレビのライブ放送を74歳のときに見る。(福岡から上京した19歳の少年も、アルバイト先の白黒テレビで息をこらしながら見ていた。)
 アメリカに大陸横断鉄道が敷設されるとき、鉄道会社同士ではスピード競争が激烈だった。その完成までに200数十件の蒸気機関車の爆発事件が発生したという。蒸気の圧力にタンクが耐えきれなかったのだ。それでも競争は続き、最終的には鉄鋼製造技術の革新によって事故がなくなった。と同時に時代は飛行機中心に移行していた。
 年表を作っていて気づいたことがある。
 「アポロ計画」以後、技術革新の主眼は通信技術に移ったらしい。
 去年ミャンマーの敬虔な仏教徒同士が遠隔恋愛によって結ばれ、赤ちゃんを授かったので仏様にお礼を言いに行くという番組を見た。二人の交際のきっかけは、出会い系サイト。二年間800㎞離れた所から携帯メールで交際したあと、二人は勇気を出して約束し、実際に会ってすぐに結婚した。「もうそんな時代になったんだ。」
 テレビで、モンゴルのパオからパソコンメールを打っている手元を妹から覗き込まれそうになって、姉さんが蓋をパッと閉める、というCMを見て「ヘーッ」と思ったことがある。その姉さんの表情が素敵だった。場面は変わって、草原の馬上でイケメンの男の子が携帯メールを確認している。
 それを夢物語みたいに思っていたのは認識不足。ケイタイやスマホは最早世界中に広まった。

 技術革新によって人の生き方も大きく変化した。老教師も毎朝、同じく退職後に非常勤をやっている北海道の友人と「元気か?」とメールで確認し合っている。何歳までがんばれるかの競争。アイツに負けちゃおられん。

 と同時に、世界がこんなに狭くなった時代だからこそ、「対面」することの大切さを守りたい。肉声で語り合うことの喜びを失いたくない。社会の基礎はどんな時代になっても個人対個人の人間関係だと信じている。

 今年もこの「いくら読んでも偏差値は上がりそうにないプリント」を発行できることになった。
 新年度二回目の「今月の詩」はノーベル賞の受賞者であるポーランドのシンボルスカが夫の死後に発表したものから始めます。


 眺めとの別れ ヴィスワヴァ・シンボルスカ
        ポーランドの詩人 ノーベル文学賞受賞
     (19231/7/2〜2012/2/1)

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌(も)えるのが止まったりはしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと

水辺のハンノキの木立に
ざわめくものが戻ってきたからといって
わたしは痛みを覚えたりはしない

とある湖の岸辺が
以前と変わらず──あなたがまだ
生きているかのように──美しいと
わたしは気づく

目が眩(くら)むほどの太陽に照らされた
入り江の見える眺めに
腹を立てたりはしない

いまこの瞬間にも
わたしたちでない二人が
倒れた白樺(しらかば)の株(かぶ)にすわっているのを
想像することさえできる

その二人がささやき、笑い
幸せそうに黙っている権利を
わたしは尊重する

その二人は愛に結ばれていて
彼が生きている腕で
彼女を抱きしめると
思い描くことさえできる

葦(あし)の茂みのなかで何か新しいもの
何か鳥のようなものがさらさらいう
二人がその音を聞くことを
わたしは心から願う

ときにすばやく、ときにのろのろと
岸に打ち寄せる波
わたしには素直に従わないその波に
変わることを求めようとは思わない

森のほとりの
あるときはエメラルド色の
あるときはサファイア色の
またあるときは黒い
深い淵(ふち)に何も要求しない

ただ一つ、どうしても同意できないのは
自分があそこに帰ること
存在す 
ることの特権──
それをわたしは放棄する

わたしはあなたよりも十分長生きした
こうして遠くから考えるために
ちょうど十分なだけ
                     沼田光義訳
シンボルスカ詩句集

●頭上では白い蝶が宙を舞う
 ・・・・
 そんな光景をみているとわたしはいつも
 大事なことは大事ではないことより大事だとは
 信じられなくなる

●突然の感情によって結ばれたと
 二人とも信じ込んでいる
 そう確信できることは美しい
 でも確信できないことはもっと美しい

●始まりはすべて
 続きにすぎない
 そして出来事の書はいつも
 途中のページが開けられている

●ほんとの奇跡は
 平凡な奇跡がたくさん起こること
 ・・・・
 ただ見回せばそこにある奇跡は
 世界がどこにでもあるということ

●詩を書かない滑稽(こっけい)さよりは
 詩を書く滑稽さのほうがいい 

●インスピレーションは、不断(ふだん)の「わたしは知らない」から生まれてくる。