『ふるさと』を国歌にしよう

MFM

 たった3クラスの採点にまる三日かかった。ちょっと前なら一日に4〜5クラスを採点できたのに。

 前回か前々回、一年生にもとの高校の教え子の娘がいるかもしれないという話をした気がする。その生徒が、中間考査は普通の点数だったのに期末考査で突然クラストップになった。ひょっとしたら本当に娘なのかもしれない。「オレの先生に失礼なことはするな。ただ、オレのことは先生に言うな。」

 ひと月ほど前の学校の歓送迎会の帰り、いい気持ちで地下鉄に乗っていると「アラキ先生じゃないですか?」と声をかけてきた中年男がいる。在学中は何度もひっぱたかれました。でも何とも思っていません。ありがとうございました。
 今はどうなさっているんですかと訊くから、隣の市立高校に行っていると言うと、「わぁ。来年の四月には娘を行かせます!! よろしくお願いします!!」周りの乗客がこっちを向くほどの大声を出した。そのあとは上司だという男まで加わって満員電車のなかで大声のお喋り。あいつたちもきっと良い気持ちだったのだろう。

 自分なりの平和授業の「今月の詩」が届いたことと思う。あの、いわば、お子様ランチの続きだと思ってください。あゝいう平和授業ではフラストレーションがたまってしまう。

 以前、宮柊二の『山西省』抄を送った。そのあとがきに──最晩年かれは「戦争は悪だ」という歌を発表して注目された、とあった。
──「戦争は悪だ」は歌なのか?いや表現と言えるのか?「戦争は善だ」の場合だけが表現になるのではないか?
 その時の率直な感想だった。
 「戦争していいんですか?」式の議論はただ不毛だ。
 「集団自衛?は憲法違反だ」という学者たちの発言も意味をなさない。憲法を素直に読めば、自衛隊違憲なのは小学生にでも分かる。それを「憲法解釈」によって合憲とした以上は、条項解釈の仕方による「歯止め」論は大人の議論ではない。それらはすべて五十歩百歩だ。(逆に「毒皿」ということばもあったな。)日本周辺においてアメリカの軍艦や軍隊を守ることが違憲なら、日米安保条約自体をなぜ「違憲だ」と明言しないのか?そこにあるのは自己保身としか見えない。
 「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して(いま打っていて思ったが、これは日本語になっていない)、われらの安全と生存(この取り合わせもマトモじゃない)を保持しようと決意した。」という前文はほとんどマンガだ。その肝心のマンガの部分を棚上げにして個別条文の解釈に拘泥している者をエセ・ガクシャ、もしくは御用学者と呼ぶ。エセじゃない学者は「自衛隊違憲だ」と言い続けている者のみ。
 マンガを事実と見なした者は、ほんとうに必要な「仮想」を拒む。拒んで、代わりに「戦争への道」だと言う。
 戦争を防ごうとすることと、戦争を出来なくすることの二つは、同次元で語り合うことは出来ないし、戦争の出来ない国にリアリティは育たない。(戦争を出来る時代でさえ、この国の発想にはリアリティがなかった)
 「日本が信頼している平和を愛する諸国民ってどことどこの国のことなのかなあ。」と言ったら、教室中が笑いに包まれたのは去年だったか、一昨年だったか。「中身の話は専門家に任せる。でも、前文は変えた方がいいと思うよ。」
 70年前に決意したことは、それはそれでいい。しかし、「諸国民」の状況も、この国の状況もずいぶんと変わった。だったら決意のしかたもまた変えるしかない。でないとわれわれは安心立命できない。
 70年後の現実を見れば、あり得ることは、どのような憲法に変えるのかの議論しかあるまい。なのに、互いにそれを封じた上での議論のなんというミミッチさ。

 明治期に憲法をつくるという話が伝わったとき、日本中のあちこちで草案作りのために数百の団体が結集したという。政府に提出された草案も数十に及んだそうだ。(もちろん、大半が無視された。「だから今もそんなことをするのは無駄だ」という考え方を堕落と言う。)

 憲法改正(べつに「改悪」でも意味は変わらない)の議論もまた、のっけから先ず個々の条項の話になる。そんなことは後回しでいい。大切なのはどんな前文を掲げるかの議論だ。それになら、法律の専門家以外の者たちも参加できる。民主主義とはそういうもののはずだ。
 極端に言うなら「新前文」起草を全ての高校生・大學生に委託してはどうか。利発な中学生にも十分に可能だ。どこかの老国語教師の授業よりは、よほど偏差値の伸びが期待できる。(ついでに新国歌も考えさせたい。ワタクシめは『ふるさと』がいいと思う。家主は『翼をください』がいいと言う。なるほど、そのほうが子どもたちも声高らかに歌えるか。でも、全世代層を考えたとき、受け容れられやすいのは『ふるさと』の方だろう。変な自信があるんだけど、今の天皇も皇后もきっと賛成票を投じてくれる。)
「われわれは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり。この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。(惨めになるぐらいの酷い日本語。こんな憲法前文を戴冠しているのをどうして恥だと思わないのだろう?)
 日本国民は、国家の名誉をかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 なんというお粗末な日本語だ、とは思うが、そのことは別として、いま日本国民は全力の何%を出しているのだろう? 

 もう20年ほど前か、学年のお別れ旅行で鹿児島に行った。休業していた礒庭園の島津別邸も受け容れてくれた。「知覧の特攻記念館にも行こう」。
 同い年の男がいつまで待っても出てこない。「呼びに行きましょうか?」「待ってやれ。」ずいぶん遅れて出てきたあと、呼びに行こうかと訊ねた世界史の若者が「ああ、オレ、あの時代に生まれなくて良かったあ。」と言うと、遅れて出てきた男が「そんな言い方は無かろうモン!」と声を荒げた。定年まで一緒だったけど、あいつが声を荒げたのはその一度だけだった。
 世界史の若者はいま関大の先生に出世している。あんな「○○べきだ」式歴史学を教えているんだろうなあ。
その同級生だったという日本史の男は「歴史は科学だ!」と叫んだ。「あんたの学士号には何と書いてある?歴史は文学に決まっとろうもん。」
 ほんとうの歴史、なんてない。もしあったとしても、それは「さざれ石」のような状態でしかかなく「巌」にはなりようがない。だからといって「ひとつの歴史」(中国ではそれを青史と呼ぶ)は何処の国のものもフィクションだ、と切り捨てる気はない。「すべての人々は自分たちの神話を生きている」というレヴィ・ストロースの言葉は深い。
 「人は見てから定義するのではなく、定義してから見る」ウォルター・リップマン。(アメリカのジャーナリスト)そういう人間はダメだという話でもない。人間にはそういう見方しか出来ないのだと言っている。もちろんワタクシめもそう。であるならば、その「定義」はつねに検証されていなければならない。だから、自分にはいつも「自分の見方や考え方に補助線を入れるのを忘れるな」と言い聞かせている(つもり)。

「今日日本の直面する問題は過去を振り返ってみても解決できない。日本は変化したが、まわりの世界も変わった。日本は現在あるがままの世界と関係しなければならない。日本の過去の経験は直接には役にたたない。
 過去において最も偉大な政治上、経済上の進歩は漸進的かつ非計量的であり、厳密な意味で予見されないものだった。
 慎重な歴史家は現在を規準にして過去を記述することを避けなければならない。
 日本の政治体制が危急の場合に国民の利益に奉仕しえなかったのは、19世紀に適当な政治形態を採用しなかったからというよりも、その後の時期に状況判断を誤ったことによる。
政治の形式というものは、それを動かす精神に比べてはるかに重要ではない。
 政治家の行動は一定不変の政治的原則を遂行する、あるいは新しい原則を提起するのではなくて、当面の目的を果たすためのものである。」
 日本人に懇望されたイギリスの歴史学者サンソムは老体を鞭打って来日し、1950年12月東京で上のような講演を行った。岩波新書『歴史とは何か』(タイトルは他のものとごっちゃになっている可能性あり)のあとがきに載っている。サンソムについての実に優れた評伝を読んだ記憶があるんだが、題名も著者も忘れた。なぜか著者が黒人だったという記憶だけが残っている。

参考
日米安保条約前文(1952、4,28)
  日本政府は、半日、連合国との平和条約に調印した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生のときにおいて固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よって、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取り決めを締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を承認している。
 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の軍隊を日本国およびその付近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となりまたは国際連合憲章の目的および原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられうるべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接および間接の侵略に対する自国防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
 よって、両国は、次の通り協定した。

日米安保条約前文(1960、6、23)
 日本国及びアメリカ合衆国は、
 両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、故人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
 また、両国の間の一層緊密な経済協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
 国際連合憲章の目的および原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
 両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
 両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
 相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、
 よって、次の通り協定する。 

 前文を「ただの飾りだ」と見なす人は、ただただ逐一条項にこだわる。
 しかし、契約書と同じ発想で作られた憲法は、長年の慣例にもとづいて営まれてきた伝統社会にはそぐわないのかもしれない。前文さえあれば、あとは個々の法律で十分に対応できるし、そのほうが生きた政治が可能になるのではないか。少なくとも戦前のように「天皇期関説」派潰しや「軍事大臣現役」など、憲法解釈を楯に取った非現実的な政治状況は避けられる気がする。

ついでに言っておく。
 70年安保で学生たちがやろうとしたことはアメリカからの独立運動だったんだ、と思っている。(内田樹は自分たちの行動を「敗戦という歴史の心情的否定」だったと総括している。)ただ、その目的は精神的独立だったからねじれて、入り組んでいた。アメリカからの独立運動が同時に日本国内での個々の自立運動を兼ねていた。「ピーターパン・シンドローム」という揶揄を振り払うだけのものがなかったことが、いまにまで及んでいるのではないか。