今月の詩2015年7月 冬の夜に

 いくら読んでも偏差値は上がりそうにない国語学習プリント

今月の詩                   2015年7月

 選挙権年齢を18歳に引き下げる法案が国会で可決された。
 いつもは小学生の口喧嘩みたいなことばかりやっている国会議員たちも今回は意見が一致したらしい。
 去年、君たちの先輩にこのことへの意見を訊いたときは、「まだ僕たちには無理」。その「無理」は「まだ責任をとるのは無理」という意味にも聞こえたし、「判断力が育っていないから無理」とも聞こえた。
 思いだしてみると50年前の自分は政治になんか関心を持っていなかった。(なんであんなヤツらにつきあわにゃいかんのか?──いまは「あんなヤツら」と思ってはおりません。だって自分には出来っこないことを代わりにやってくれているのだから──)政治に限らず、自分の外側のこと全体に関心がなかった。というか、自分のことだけで精一杯だったんだと思う。──だから、、「なるほどね。」
 じゃ、私を含めた大人たちには判断力と責任感が育っているのかというと、大いに「?」。テレビのバラエティ番組で偉そうにコメントしている人たちも「自分に責任がかからないよう」なしゃべり方しかしていない。
 この老教師にいたっては、歳を重ねるにつれて「分からない」ことが増えつづけているし、自分の投票に責任をとるだけの体力も精神力も残っていない。でも「自分の判断が間違っていても、それはもう仕方がない」と投票に行っている。

 昨年スコットランドがイギリスから独立するかどうかの投票をおこなったときは10代にも投票権を与えた。「この国の未来のことを決めるのだから、これからの世代にも投票させるべきだ」結果は知っての通り「当面はイギリスから離脱しない」ことになった。でも今度はそのイギリス自体がEUからの離脱について投票をおこなう。(第二次世界大戦後のフランスを率いたド・ゴールは次のように言い残している。「ヨーロッパ市場に参入したら、イギリスはだめになってしまう。そしてだめになってしまったイギリスが共同市場の一角を担うことに、われわれ大陸諸国はなんの魅力も感じない。」(何というもの凄い歴史眼)
 10年以上まえになるが、カナダのなかのフランス語圏がカナダから独立するかどうか投票で決めることになった。「両親はフランス語しか話せない」と言っていた友人のフランス語圏出身カナダ人は仕事をほったらかしてインターネットでその開票結果をにらみつけている。「どうなった?」ハッと現実にもどった友人は満面に笑みを浮かべて「民主主義っていいねぇ。」──そうか。カナダ人のままでいられることになったんだ。──

 どうしても判断がつかなかったときには投票しないことももちろん認められている。でも、自分の将来が拘束されるかもしれないのだから「今ここ」の段階での意見を表明するチャンスはできるだけ活かそう。ついでに、「千人か二千人程度のチャチな世論調査ではなくて、総選挙の度に選挙民全員が10くらいの法案に対して○×方式で意志を表明できるようにしろ。そうすればコンピューターでその日のうちに全体の意見が分かるじゃないか。」

 今年は第二次世界大戦終結70周年だというので、いろいろと歴史問題が喧(かまびす)しい。先日のNPT(核拡散防止条約)の会議で日本が、「みんな広島や長崎をいちど訪れよう」と提案したら、中国の反対でボツになったそうだ。
 東京で再度(前回の東京オリンピックは老教師が高校一年生のときだった)オリンピックが開催されることが決まる前、広島が立候補しようとした。が、お金が足りそうになくて断念。実は長崎も立候補しようとしたが、これまた断念。(オリンピックは国ではなく一都市で開催されることになっている。)
 様々な施設を作らねばならないし、オリンピックが終わったあとの施設の維持費も膨大になる。それに、世界中から来る客のための宿泊施設も広島だけではまるっきり足りない。
 あの時、広島市民だけでなく日本中がなぜ広島を応援しようとしなかったんだろう?「今回だけ例外を認めてもらおう。広島と長崎の共同開催。サッカーだって日本と韓国の共同開催があったじゃないか。」
 広島・長崎共同開催ということになれば、ちょうどその中間に福岡がある。福岡にはすでにホテルがたくさんあるし、新幹線を使えばどちらへでもすぐ移動ができる。福岡も広島・長崎応援に乗り出せば良かったのに。(もし将来それが実現したときは福岡空港の国内ターミナルと国際ターミナルの間のどちらからも歩いて行けるところに「ユン・ドンヂュ記念公園」を作ることを提案する。それがどんな人か興味が沸いたらネットに入力してみなさい)
 
 東京都はオリンピック招致(しょうち)のために数千億円を貯めていたのだそうだ。「広島・長崎ガンバレ。このお金はそのために使ってヨ。」そうしたらほんとのオールジャパンになれた。
 それでも足りないお金は世界中から寄付を募(つの)れば、アメリカからは東京都の預金を上回る寄付が寄せられたかもしれない。でも、たぶん、最初に寄付を申し出るのはイスラエルユダヤの人々じゃなかったのだろうか。
 もう25年前になるのか。いまの天皇のお父さんが亡くなったとき、世界の指導者は「戦争指導者」の葬儀に参列しようとはしなかったのに、イスラエル国家元首は参列した。
 実は日本は、「自由の国アメリカ」でさえそうしようとはしなかった、ナチスの迫害を逃れようとしたユダヤの難民を受け入れた数少ない国の一つだった。同盟国だったドイツからの圧力には聞こえないフリをして通した。「他の国がどう言おうと、日本はオレたちの恩人だ。オレたちは恩知らずにはならない。」
 
 戦争について語るのは難しい。だいいち私自身ちょくせつ経験したわけではない。でも、ちょくせつ体験した人たちにとっては、それが人生そのものだった。
 いつ頃だったか、たまたま参加した会合で、飯塚のアラキだと名のると、「飯塚駅前に家のあるアラキか!?」オレは子どもの頃お前の家に何度も行ったことがある、とその人が言う。お父さんが私の父親の部下だったのだそうで、飯塚に用事があるたびに息子を連れて行って、もとの上官に見せていたというのだ。
 あとで父親に「こういうことがあった」と報告したが、「そりゃ良かったね」というだけで感情は動かなかった。もう認知症が出ていたのだ。
 その父親は10年ほど前に他界したが、終戦記念番組が始まるたびにぼろぼろ涙を流しながら見て「いかん!戦争はいかん!」毎年同じ事を口走っていた。が、それ以上のことを聞いた記憶はない。

 母親はある時、やはり終戦記念番組を見終わって突然、「ミチト、日本はなんで戦争やらしたとね!?」と大声を出した。
 無学な息子は「貧乏やったから」としか答えられなかった。「今は金持ちになったからもう戦争はせんで済む。」
 しかしその答えに母親は1%の納得もしなかったろう。
 その後、日本が戦争をしない方法はなかったのかと、自分なりにけっこう調べたり考えたりはした。
 調べてみると、実は戦争をしないでも済んだかもしれない「if」はいくつも見つかった。それらの選択肢を顧みなかったわれわれの先輩たちは愚かだったとしか思えない。
 では何故日本はそんなに愚かな国になったのか?
 頼りになる友人をまったく失ってしまったからだ。ひとりぽっちになった日本は心の平衡を喪い、自分から入った底なし沼から抜け出そうと、あろうことかナチス・ドイツと手を結んだ。

 今年の四月、日本の総理大臣はアメリカに行き、議会で演説をした。そのアメリカの国会議員たちを前にした「Late Enemy ,Present Friend」演説の中で東北の3,11に触れ、「all corners of the USA」から寄せられた支援に感謝したあと、「Yes,We've got a friend!」と言って議場を見回した。(ここは立ちあがって拍手をするところですぞ。)パチパチパチパチ。パチパチパチパチ。
 悲惨な戦争をした当事者同士の和解の儀式はとにかく成立した。(その戦争がどんなに悲惨なものだったかを知るには、スピルバーグトム・ハンクスによる連続テレビドラマ『パシフィック』が適当かもしれない。あの戦争は日本にとってだけでなく、アメリカの若者にとっても悲惨だったのです。)

 われわれはまだまだ賢くならなくてはならない。歴史を直視するとは「何が愚劣で、何が賢明なのか」を具体的に学ぶことだ。
「二度と愚か者にはならんぞ」
「けっして自分たちだけが正しいとか思わんぞ」
「助け合う相手なんか要らん、という臆病で尊大な気持なんか持たないぞ」

 第二次世界大戦中オーストラリアに避難していたユダヤ人学者は終戦後、自分を排斥したイギリス人と再会したときにこう言ったという。「もう一度同じ問題について話し合ってみようじゃないか。ひょっとしたら二人とも間違っていたということに気づくかも知れないのだから。」
 8月15日はそういう決意を新たにする日なのです。

 大好きなアメリカの歌。―Everybody need somebody―
 何度聞いても「エビばり、ニッサンばり」としか聞こえないけれど。

 話が重たくなった。二学期は楽しい話にしたいけれど。
 今月は江戸時代の流行歌のひとつである端唄(はうた)を紹介します。(江戸時代の流行歌には、ほかに、小唄(こうた)とか新内(しんない)とかがあるのだが、その違いはいまだに分からないままです)
 町火消しの若い奥さんの気持ちを謡ったものです。自分の結婚相手を「カッコいい」と思いつつも心配でならない若妻が初めての子を妊(みごも)っているという設定なのだと思う。

     冬の夜に

冬の夜に風が吹く
知らせの半鐘(はんしょう)がジャンと鳴りゃ
これサ女房わらじ出し
刺子(さしこ)襦袢(じゅばん)に火事頭巾(ずきん)
四十八組おいおいと
お掛衆(かけしゅう)の下知(げち)を受け
出てゆきゃ女房はその後で
うがい手洗(ちょうず)いその身を清め
   今宵うちの人に
   怪我(けが)ないように
   南無妙法蓮華経
   清正公(せいしょうこう)大菩薩
ありゃりゃんりゅうとの掛声で勇みゆく
ほんにお前はままならぬ
もしもこの子が男の子なら
お前の商売させやせぬぞエ
罪じゃもの