FMGへ

FMGへ

 久しぶりでダラダラおしゃべりをしたくなった。
 お付き合いいただければ幸甚。
 実は急な時間割変更で3時間の空きができたのです。

 ことは、二学期最初の授業で起こった。
 二年生の教材は中西某『日本人の顔』という、山崎正和『水の東西』(噴水と鹿威し〉を比較して西洋と日本の文化を対照化したもの。「見える水と見えない水」「静止した水と流れる水」「形あるものと形なきもの」)と並ぶ定番から始まる。
 その中に、「キリスト教儒教」の比較が出てくるので読みさして、「キリスト教はキリストの教え。じゃあ儒教は誰の教え?」
 「シーン」を通り越して「ポカーン」。黒板に「論語」と書いても「ポカーン」
 (こりゃオオゴトだ)
 われわれの時代、高校の最初の漢文は『論語』などの「四書」から始まった。(わが母校が珍しかったのかもしれないけど。その頃母校の国語科をリードしていた広島高等師範で不良だった男──「どんな学生だったんですか?」と同級生に訊いたら、しばらくの沈黙の後にただ一言「不良でした。」──わが恩師の年賀状にあった俳句のなかでいちばん気に入っているもの。「読みはじめは「論語」世の中かはるとも」)授業は、文法的な説明なぞまったくなくて、ひたすら訓読するだけ。「授業はショウウィンドウだ。欲しくなったものがあれば自分で読め」
 だから『直躬』(父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直(なお)きことその中にあり)に不意討ちを喰らい、『塗中に尾を曳く』(「往け。吾まさに尾を塗中に曳かんとす)に呆然となり、『胡蝶の夢』に陶然となり、『混沌、七竅(しちきょう)に死す』にムムムムムム。車輪のスポークを繋ぎ止めてある輪っか(子どもの頃あれを何と呼んでいたか?)を例にとる「無用の用」は理屈が勝ちすぎていて気に入らなかったが、ねじくれていた為に用材とならず天寿(?)を全うした樹の話は面白かった反面、不具者であったあったお陰で死なずにすんだ話には政治の凶々しさを覚えた。
 興味が湧いて自分で読んだなかで記憶に残っているもの。「温故知新・自我作古」「学而不思則罔、思而不学則殆=学びて思わざるは則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」
――こう思い出してみると、あの先生たちの腹の据わり方には敬服する。「わざわざ二等兵をつくるためにこの学校があるんじゃない」旧制中学の匂いを少しでも残そうという共通意識があった――

 横道に逸れる。
 山本七平『洪思翊(ホン・サヨック)中将の処刑』はしばし休憩。
 話がフィリピンに抑留されていた米軍兵ヘイズが遺した日記に移った。ヘイズが死亡したあと戦友がそれを地中に隠していたのだという。その「ジャップの観察記録」は著者が長々と引用したくなるほど公平で、物事の核心をついていて感心すると同時に、自分にとっての恩人の一人であるローレンス・ファン・デル・ポストを思い出してしまった。
 ファン・デル・ポストはインドシナで日本軍の捕虜となり、そこで「原」という「日本の荒ぶる神の化身」に遭遇する。その記憶を書き残したのが、のちに大島渚が映画化した『戦場のメリークリスマス』。英兵に苛酷だった原が「クリスマス」という行事を知って、その日だけは労役を課さなかったという。正論を吐くのを止めようとしない主人公は独房暮らしが続く。その独房の夜に原が現れると暴行がはじまる。主人公は原がいつ来るかを予測できるようになる。それはトカゲ同士が鳴き交わす満月の夜だった。トカゲたちの「チチ」という声を聞くと主人公は覚悟を定める。「原が来る!」それで思い出した。原題は「NEW MOON」
 しかし、主人公は不思議なほど原を憎んでいない。むしろ背後の日本をかさにきて威張りちらす朝鮮兵を唾棄すべき者たちとして描いている。
 敗戦後、逆に捕虜となった原は、処刑前に主人公に会いたがる。そして主人公に質問する。(著者のファン・デル・ポストは敬語つきの日本語が話せた)「オレの犯したパーソナルな犯罪とは何だ?」主人公は答えることができない。小説は、その思い出話を友人としたあと今度は「自分たちが見えない被告席(bar of shadow)に引き立てられかけている」ように感じる、ところで終わる。

 もとに戻します。
 導入のまた導入である「簡易版論語講義」(すでに二学期の導入では「日本哲学概史」をやった。意外なほど生徒たちは前を向いていた)をどうするか迷っていたが、朝、歯を磨いている時に浮かんだ。
 「仁義礼智信恕、この六つの徳目に絞ったら30分でやれる。」
 仁=ヒューマニティ
  当仁不譲於師=仁に当たりては師にも譲らず。
 義=正義
  見義不為無勇也=義を見てせざるは勇なき也。
 礼=儀礼
  告朔礼不可廃=告朔の礼は廃すべからず。
 智=智恵
  智恵出有大偽=智恵出でて大偽あり。(これだけは『老子』)
 信=信義
  民無信無立=民信なくんば立たず。
 恕=許し合うこと
  其恕乎=それ恕か。
 まとめは「克己復礼為仁」己に克ち礼に復するを仁となす。
 「自分のなかにあるちっぽけなヒューマニズムを克服して、大きなヒューマニズムといっしょになりなさい。」でも、これって、けっこう難しいよね。

 今日話したかったことは以上。
 あとは紙面の都合。
 洪思翊中将は「高貴な出身の方」と日本兵たちが思いこむほどの人格者であると同時に、四書をことごとく諳んじているエリートでもあったと山本七平は書く。(ただし出身は食にも事欠く貧農だったという)
 その通りだったろうと思う。
 隣国にあってそれはごく基本的なことだった。
 ただ覚え方が日本とは違う。隣国では漢文の訓読はいっさいしない。ただ音読のみ。だから漢文を書くのにもすぐ慣れる。
 たとえば上に書いた。「自我作古」は訓読すると「我より古えとなす」だが、向こうでは「おんこちしん、じがさっこ」。「学而不思則罔、思而不学則殆」なら「がくじふしそくもう しじふがくそくたい」漢字は音のあとに自然に浮かんでくる。
 その直輸入文化とノックダウン文化との違いはそうとうに大きい。
 ちなみにヨーロッパの場合はたぶんすべて直輸入文化。問題が噴き出してきているとはいえ、EUがなりたったのは、宗教的世界も芸術的世界も一体だったからだ。しかし、露西亜は「ヨーロッパじゃない」かも知れない。ちょうど日本が「アジアではない」ように。
 日本での直輸入文化は仏教くらいではないか?しかしその仏教も鎌倉期の「新教」の出現によって「旧教」はエスタブリッシュメントたち専用のものに押しやられた。
 中国や隣国ではそういう「宗教改革」的なことが起こらなかった。起こったときは寧ろ政治運動に結びつく。
 近代に入り、それらの国にキリスト教が直輸入的に広まったのには、それなりの下地があったように見える。
 前にも紹介した気がするが、洪中将たちが日本陸軍で勉強していた頃、自分たち独自でで手書きの新聞を発行していた。(それは極めて抗日的な内容だったのだが、軍はそれを黙認していた。その理由を、生き残って(韓国系日本軍士官の戦死率は40%を超えていたそうだ)独立後の韓国軍幹部となった人物に訊くと「当時の日本にはまだ武士道が生きていた」)祖国の独立のために命を賭けている人間は「士」として軍は遇していたという。「日本が堕落したのは、その武士道精神を忘れてからだ」
 その新聞の一節。
「思ふに、李朝五百年間の秕政(ひせい=悪政)と韓国時代の行政官たる無法なる貴族階級の暴政に依り生じたる因果なり。しかるに彼らは一般民衆のため社会のため何ら尽くす所なく、一も二も自己のため。しかも、恥を知らざる彼らは利欲のため党派を作りて日夜孜々(しし)として暗中飛躍をなしつつあり。亡国的精神病者らに何の薬も無効なるべし。彼らの種を○○するあり。朝鮮は鮮人二千万民衆の朝鮮にして一部貴族の朝鮮にあらざるなり。」──「○○」は伏せ字。当時の人間ならすぐに浮かぶ言葉なのだろうが、浅学にして意味不明。──
 その(コミュニストになるしかないだろう、と感じる)檄文のあとに、抗日独立のため満州に姿を消した僚友たちの消息と残された家族への募金依頼文がある。わずか100年まえの日本の話だ。

 直輸入品に「仕様書」はついていない。それを使いこなせるのはほんの一部のエリートたちだけだった。植民地文化とはそいういうものだ。が、たまたま海を隔てた孤島では直輸入は叶わず、独自のノックダウン文化が育った。
 中国は日本人にとって、文字をはじめとする文明をただで分け与えてくれた恩人だが、(隣国は自分にとって、「もうひとつの学校」だった。こちらの顔に唾がかかっているのも気にせず、「お前は日本人なんだぞ」と若者の胸に叩きこんでくれたお爺ちゃんたちもまた我が恩師だ)ただでもらった方の日本人にとってそれはアニメのように純化されたものだった。あとは勝手に自分たち仕様に変える。そうしないとナマの生きたものにはならない。
 中国と接しすぎていた隣国にはその「自分たち独自のもの」が育たなかった。

 どの国も、ひとつの国であるためには、それぞれの神話が必要だ。
 アメリカの「自由と民主主義」の神話。現代中国の共産党神話。その神話が隣国にはなかった。神話の代用品が「反日」。それなくして隣国は保たないだろう。
 ところがこの国には、ラフカディオ・ハーンから教わるまでもなく、本物のナマの神話がいまも息づいていて、人々は自分たちのアイデンティティなんぞを意識する必要もなくのほほんと安楽に暮らしている。この国は、生きるのに困難な国から見たら、羨ましさを通り越して「潰してやりたくなる」対象なのかもしれない。
 でも、いいじゃないか。
 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』のなかで、いちばん気に入ったことば。
 「放ったらかしていても明日は来る」どんな明日か知らないけれど、「どうせ今日と変わりのない退屈な日になるんだろ」。
 その退屈な一日の貴重さを子どもたちにイメージさせることが出来ればなぁ。

 一年以上まえに予約した浜田宏一『世界が日本経済をうらやむ日』がやっと回ってきた。その論旨を一言に要約すれば(そうしないと自分自身が分かった気になれないんだが)「もう″モノ以前に通貨あり″と考えないと実態経済が見えない状況になっている。なのに多くの経済専門家は、状況を直視せずに自分たちが築き上げてきた世界観に固執している」ということなのだと思う。
 ○○理論や△△学を多大の労力を費やしてマスターした人の大半はそこで止まる。なぜなら彼らは「経済観」「世界観」を手に入れたから。その「観」とは仮想現実であることを知りつつ、現実との格闘において「現実が間違っている」と感じるようになる。
 平和主義者の人々にも同じ傾向があるんじゃないかな。
 自分(たち)が営々と築き上げてきた「現実」という世界像と自分の努力してきたことを全否定されかけているかのような危機感があの人たちを突き動かしている。
 が、ソリッド・ステイト的現実はあり得ない。現実はノイズに満ちている。──そのノイズを排除しようとする人々に限って一方ではグローバリズムに反撥する。──大切なのはノイズ(どんなに排除しようとしてもノイズは必ず発生する、という考えを自由主義と呼ぶ)を排除することではなく、ノイズをコントロールしようという更なる労苦を挑む勇気があるかどうかなのだ。なぜなら自分もそのノイズの一つであるに決まっているからだ。
 何度も同じことを言うが、いわゆるインテリ的人たちは、自分の周囲を固定化することで自分は自由であろうとすることの陥穽に気づかない。そういう人は自分がすでに陥穽に落ち込んでいることにも気づかない。そのパタンに嵌まらないのがユダヤ文化なのではないか、と、また話が拡がり過ぎたところで閉店します。
2015/09/10