ROBERT BURNS
いくら読んでも偏差値は上がりそうにない学習プリント
今月の詩
2015.10月
シルバーウィークに入りたての夜にあったラグビーW杯南アフリカ戦を見ましたか?
過去二回優勝している南アフリカに対して、W杯全体で過去一勝しかしていない日本が真正面から闘いを挑み、最後まで一進一退の好ゲームを演じた。
三点差のロスタイム、相手ゴールポスト近くでペナルティをもらった日本がPGで同点引き分けを狙わずトライを取りにいく意思表示をしたときの場内の興奮は凄かった。立ち上がって「カモーン!」と叫ぶ白人女性の口が大写しになった。そして会場全体からの「ジャパン!ジャパン!」の大声援。
ラグビーのファンは実に公平だ。もともと審判がよほど公平でない限り成り立たない競技がラグビー。観客も自分が審判になったようなつもりで「歴史」に参加するのがテストマッチ。
試合は日本の大逆転勝ち。翌日のイギリスの新聞はスポーツ紙では無い一般紙まで一面トップが「JAPAN!」。一週間後に放送されたW杯ウィークリーハイライトの主役はもちろん「日本の歴史的勝利!!」。
他のプールで初の一勝をあげたジョージア(グルジア)の主将はインタビューで胸を張って「Our country is small, but, our heart is big!」ラグビーに限ってはそんな発言に違和感を感じない。
今回、もっとも期待しているアイルランドは南北に分割される前からフットボール協会ができていた。だから今も南北統一の「アイルランド」で出場している。たとえ国籍は分かれていても一つのチーム。
日本はわずか三日の間隔しかないまま初戦で元気いっぱいのスコットランドに、後半走りまくられて大敗し、「日本もここまでか」。だのに九日後のサモア(Best8の常連)に完勝した。「日本に南アフリカ戦の勝利はFairy taleだったと思わせる。」と言っていたサモアのほうがNightmareを見た。
これでBプールは南アフリカとスコットランドと日本が、2勝1敗で並んだけれど、勝ち点差で決勝トーナメント進出は難しい。でも、そういう結果を意識せず、次のアメリカ戦(全敗しているが日本にとっては苦手のチーム)に向けて最高の準備をしてほしい。4年後の日本でのW杯ではレベル5でも試合がある。
でも実は今日は、ラグビーの話をしたいのではないのです。
W杯チームがイギリスに出発する前、レベル5でウルグアイとの強化試合があった。会場は空席を見つけるのが大変だったほどの満員。雰囲気も最高だった。「これなら4年後のW杯も成功する。」
南アフリカ戦の中継が始まって映し出された会場のブライトン・コミュニティ・スタジアムはレベル5そっくりてビックリ。
でも、今日は、そのことでもない。
レベル5には、何年前かと同じく地下鉄空港駅から歩いて行った。「こんなに遠かったのかな?」
帰りのシャトルバスは交通渋滞に巻き込まれて、いつまで待っても来ない。「こりゃ歩いた方が早い」若いひとたちはどんどん歩き始めた。
どうして空港駅からレベル5まで地下鉄を延伸しないんだろう?
今日はこの話なのです。
結論(老国語教師の憶測)は至って簡単。
レベル5を作ったのは福岡県。地下鉄を作ったのは福岡市。福岡市と福岡県はお互いに「関係ない」のです。
日本は集団主義で、西欧は個人主義だ、とはよく言われるし、それはある程度当たっていると思う。ただ西欧の個人主義とは「自分勝手」主義なのではなく「自己責任」主義のことだと思っている。
それに対して日本の集団主義というのは実は「自分たちだけでちいさく固まる」主義。福岡県と福岡市はまるっきり別々に固まってそれぞれ内側だけを見ているわけだ。
15年ほどまえ、オーストラリアのトゥンバという町でのホームステイに出かけたことがある。町中が芝生公園みたいな町で、夜には南十字星が美しかった。地元の人によると「都会の仕事を退職したあと帰りたい故郷」の人気投票で二年連続トゥンバが一位だったのだそうだ。美しい町だったが、近くに山も海もないところは何か落ち着かなかったし、「日曜日には開いている店がない!」
そのトゥンバ高校のスクールカラーがスカイブルー。それを来て登下校していいことになっている準制服のジャージーもスカイブルー。ラグビー部もバスケット部もユニフォームはスカイブルー。ついでにチームには共通のニックネームがついていて「トゥンバ・ホークス」
「やるなあ、」と思った。制服は平凡だったけど、学校全体に統一感がある。
日本の高校ですべての運動部のユニフォームに統一感がある学校(そのユニフォ−ムを見たら「あ、○○高校だ」と町の人々がすぐ分かるような学校)が何校あるだろう?たいていはバラバラ。それもまるっきり見事にバラッバラ。それって「集団主義」とは呼ばないほうがいいんじゃないかな?。
大学の場合は割と統一感がある。だからラグビーでも野球でも箱根駅伝でもユニフォームを見ただけで「あ、△△大だ!」
ナショナルチームのユニフォームも競技の違いにかかわらず、多くの国は統一感のあるデザインになっている。いちばん多いのはナショナルカラーか国旗と似た配色。夏のスポーツも冬のスポーツも同じユニフォームの国が多いのですぐ区別できる。(多くのスポーツの発祥の地イギリスはほとんど白のユニフォーム。それがいちばんエラそうにみえるから腹が立つ)
一方日本は、競技毎にまるっきりバラバラ。それも年ごとにデザインを変えたりしているから、どの選手が日本代表なのか顔を覚えていない限り分からないことがある。
同じフットボールのサッカーとラグビーがまずバラバラ。サッカーはほんの最近まで女子と男子は別々のユニフォームだった。「ジャパンブルー」なんて呼んでいるけど、それはサッカーの世界だけの話。男子野球と女子ソフトボールが同じデザインのユニフォームにすようという話がやっと出たのはオリンピック種目から外されたあとではなかったかしら?ひたすら「小さく固まる」のが日本の主義なのです。
その弊害は、戦前、戦中、戦後、そして今に至るまで、ありとあらゆるところで起こり続けている。より多くは官庁のなかで。(陸軍と海軍の中の悪さは各国共通だったようだが、なかでも日本は酷すぎた)民間企業でも、地域社会同士でも。
ただ、それが全部いけないことなのかというと、そうも言い切れない。日本の社会が比較的丈夫で壊れにくいのは、その「小さな塊」が無数にあるお陰じゃないかとも思いはじめた。
日本のような社会がなぜ壊れにくいのかというと柔構造になっているからだ。
まずガチっとした外枠をつくってから内部を作っていったものを剛構造と呼ぶ。大きな構造物はたいてい剛構造になっていた。しかし、最近、地震のゆれを吸収する構造が注目されている。「むしろ地震の時ある程度揺れる構造のほうが壊れにくい」。
車も昔は値段の高いものほど頑丈に作られていた。しかし、大きな事故の時、車は壊れていないのに中の人間が大きな衝撃を受けて大変なことが起こることから、むしろ「グシャーッ」と潰れやすくすることで車ではなく人間を守る技術が進んだ。
剛構造から柔構造へ。
ダイバーシティ(diversity)ということばがある。「多様性」「雑多さ」そういう意味で使われるらしい。
diversion=迂回路、気晴らし、転換、脇にそれること。
なあんだ。この「いくら読んでも偏差値が上がりそうにないプリント」もその一種なんだ!
今月は、スコットランドのロバート・バーンズ(ROBERT BURNS)という詩人を紹介します。
かれはスコットランド語と英語の両方で詩を書きましたが、いまもスコットランド人からは国民的詩人として敬意を払われています。
そのなかの、スコットランド準国歌として歌われている『オド ラング サイン』は日本では『螢の光』(われわれの時代は卒業式の定番だったんだけど、今はどうなのだろう)として歌われています。「オド ラング サイン」英語に直すならたぶんOld long then。「古く遠いあの頃」それがスコットランドで何ごとかがあるたびに、自然に歌われるようになったバーンズの歌です。
今日紹介する「My heart’s in the Highlands」を(分からない単語はそのままにしながら。ちょうど子どもの時、分からない漢字をそのままにしながら新聞を読んでいたように)読むたびに老教師は日本の『故郷』を想い出します。「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・忘れがたき故郷」
なおバーンズの「Highlands」はスコットランド北方(ネッシーの故里)の地域名です。だから大文字になっています。
My heart’s in the Highlands
My heart’s in the Highlands, my heart is not here;
My heart’s in the Highlands, a chasing the deer;
Chasing the wild deer,and following the roe;
My heart’s in the Highlands, wherever I go,--
Farewell to the Highlands, farewell the North;
The birth-place of Valour, the country of Worth:
Wherever I wander, wherever I rove,
The hills of the Highlands for ever I love.--
Farewell to the mountains high cover'd with snow;
Farewell to the Straths and green vallies below;
Farewell to the forests and wild-hanging woods;
farewell to the torrents and loud-pouring floods.--
My heart’s in the Highlands, my heart is not here;
My heart’s in the Highlands, a chasing the deer;
Chasing the wild deer,and following the roe;
My heart’s in the Highlands, wherever I go,--