洲うた 補遺

   洲うた 補遺

 どうしようか(書くか書かないか)と気になっていたことを二つ付け加える。

 「白馬(あをうま)は交尾を経験していない成体馬」のことだという説明に、「そういう見方もあるのか」とは思っても、「でもそれは青馬の説明にはなっても白馬の説明にはなるまいに」と感じた向きもあったのではないかと思う。
 実はそのとき書きながら、韓国の何かで「白民」ということばを見た記憶が戻ってきて、ああいうことを書いたのだが、もうそれがどんな本だったかも思い出せなかったからそのままにした。
 その「白民」は日本語で言うなら「平民」ということになるんだろうが、意味合いはずいぶん違って、「平民」というよりは「無民」に近いニュアンスを感じた。日本語の「無名の人々」は「名も知れぬ人々」だが、あちらでは文字通りの「名無し」に感じたという意味だ。(その推測がある程度当たっているのであれば近代に至って同姓だらけの国になったのも頷ける)
 今月に入って、「あそこは完全な中華文明の一員なのだから(沖縄もそう。)、中国語にも同じ言葉があるはずだ」と漢和辞典をひいたら出てきた。「白民」「白人」=無位無冠の人。しかし日本と違って、完全な中央集権国家において無位無冠であるということは十把一からげの数えるに足りない存在の人間、という意味だと思う。「魏志倭人伝」の記述に従えば「人口」と「生口」の中間的存在。(「生口」は○匹と数えていたのではなかったか・・・ここでは、中華文明という言葉をそういう意味で使っている。)「白民」「白人」は、まだ何ものでもない存在だということになる。
 つまり、白馬とは、まだなにものにも帰属していない馬であり、だから日本語でいうなら「あをうま」なのだと考えている。

 あとひとつは洪思翊中将のこと。
 『南陽洪氏世譜』では、中将が創氏改名を拒否し続けたかのように書かれているが、それは事実とはずいぶん違う気がする。
 大韓帝国皇帝の命に従って日本陸軍中央幼年学校に入学した時点で中将の名は日本陸軍の名簿に登載された。その後に日韓併合が行われても中将の身分はなにも変わらなかった。日本陸軍も、すでにその名簿に記載されていることを変更する必要を感じなかった。山本七平の「ホン・サヨック」ではなく、「コウ・シヨク」という呼び方には、同じ陸軍に所属していた者としての敬意がこめられている。
 ただ、山本七平は「中将は自分の決断に生涯忠誠を果たした」と総括しているけど、そういう「ある瞬間」を感じない。かれにとっては、すべてが極く自然な流れだったのではないか。だから、独立運動のリーダーを期待されても彼は動かなかった。なぜなら彼はすでに日本陸軍の一員だったから。
 ただしそれは彼が「日本人化」したこととは違う。
 家族写真が残っている。そこには紋付き袴の中将とチマチョゴリの妻が写っている。最初にその写真を見たときは何かこちらの気持ちにそぐわないものを感じたが、読み終わったあとでは普通に思えるようになった。
 取材に応じた高齢の母についていたあと、中将の息子は「母親が日本語を話すのをはじめて見た」と驚いていたそうだ。
 家庭においては母国語、家を出れば日本語。その二重生活を中将はそのまま自然に最期まで実践した。そんな気がする。それを一言で言うなら、中将は儒教で育った人間らしく生きた、ということになるのではないか。
 ここで言う「儒教」とは、実子であることと養子であることに本人も周囲もなんらの差を感じない文化のことなのだと考えている。
             2016/02/11