あぶらやま 不定期 通 信〈1〉

   あぶらやま 不定期 通 信
                         2016/04/25                 
 これから一年間、国語の勉強をしていきますが、ときどき思いつくままに、こんなものを発行します。気まぐれなものだから気楽に読んでくれたら嬉しい。
 第一回目は4月22日に書き始めました。犬の散歩を終えると玄関先のベンチに腰を下ろして新聞を読むのが毎朝の習慣。今朝の朝刊には「避難者9万人」の大きな活字。熊本大地震の記事です。

 福岡で、玄海島が激しく揺れたのは何年前だったのか。君たちは記憶していないかもしれないが、玄海島は家の真正面に見える島なので私の記憶には生々しい。その日は休校になって、教職員たちで学校に被害が出ていないかどうか点検しようということになり見回っていたら壁がはげてコンクリートの塊(かたまり)が落ちているのを発見しすぐに報告したら「ああ、あれは前からです。」ど言われてガッカリしたのを覚えている。
 校舎はほぼ安全と思われたので翌日から学校を再開。でも、三分の二ほどしか出校しなかった。教員にも出て来られない人がたくさんいた。HRをしていると相当に強い余震があり「机につかまれ!!」こちらは教卓を捕まえて堪(こら)えた。余震がおさまってホッとしていると生徒が「先生、先生の頭に罅(ひび)が入っています!!」あの生徒たちは最高だった。
 夏休み前になって、三者面談の日程一覧にいつまでたっても希望日を書き入れない生徒がいたので自宅に電話すると「それどころじゃありません!!」玄海島で暮らしていたお爺ちゃんとお婆ちゃんが引っ越してきて、共働きの夫婦はてんてこ舞いだったらしい。「すみません。落ち着いたらご連絡ください。」
 
 被災者の困難はまだまだ続くだろうけど、停電はほぼ解消したとある。発電車を百台以上投入したのだそうだ。地震だけでなく、台風や集中豪雨や火山活動など、九州は災害の多いところだから、それだけの備えをしていたのだ。
 コンビニもわずか数店を除いて、外のガラスの修繕は後回しにして営業開始。使えるようになった熊本空港に品物を空輸し、トラックが通れない所があちこちにあるからワゴン車で配送。「レジの使えないところは電卓で計算すればいい。」──私はそれを単なる金儲けのためだとは思わない──

 何年前になるのか、3,11東日本大震災の一年後に現場の三陸海岸を歩いた。
 「ほんとうに行ったんですか?」と言われそうだから、下に証拠写真を二枚載せておきます。
 被災地の光景を見たときの恐怖感はいまも忘れられない。「ウソやろ!?」津波の大きさはこちらの現実感覚が喪(うしな)われるほどだった。海に近い集落は跡形もなくなくなって、道路標識だけが残っていた。ある場所はひとつの町全体が姿を消していた。それでも「○○町→」という手書きの立て札を追いかけていくと、高台に仮設商店街が出来て営業していた。
 大船渡に小さなホテルらしきものが残っていたので「泊まれますか?」と訊(たづ)ねると「泊まれはしますが、食事は出せません。」教わった店に行って菓子パンを買ってきてその日の夕食を済ませた。
 
 南に下がって気仙沼に行くと、すでに瓦礫(がれき)の撤去(てっきょ)がほぼ済んでいた。そのなぁんにもない所にポツンとプレハブがあり、そこでコンビニが営業していた。(働く人たちの弁当供給源なんだな)

 阪神淡路大震災は1995年だったと思うから君たちの生まれる随分まえ。交通網が破壊されて、リュックに水や食料を入れて背負い、歩いて親類や縁者(えんじゃ)の見舞いに行く人々の行列がニュースで写された。そのとき卒業生が神戸の大学にいて、バイクのツーリング部を率(ひき)い歩いている人たちを一人ずつ拾い「どこまでですか?」卒業生の感想は「けっこう面白かったです。」
 その翌年だったか神戸で或るイベントが行われたときスポンサーのコンビニがテロップだけのコマーシャルを流した。「地震の後できるだけ早くと店を開けた。商品はあっという間に売り切れた。追加の商品がいつ届くかは分からない。でも、私たちにはもうひとつ大切な仕事があるのに気がついた。『ひと晩じゅう灯りをつけておこう。この町がまだ生きている証拠に。』」
 正直に言うが、流れる文字を読みながらテレビの前で泣いた。

 今朝のテレビにはボランティアを希望する若者たちの行列が写されていた。「オレたちの世代とは違う。」われわれの世代、つまり敗戦直後に生まれた世代は自分が生きる延びることで精一杯だった。そのぶん生き残ろうとするパワーは今の若者よりは遙(はる)かにあった。でも、いまの若者たちの人のことを慮(おもんばか)る同情心(この言葉の本来の意味は「相手の気持ちを感じ取る心」のことです)ではわれわれの世代を超えている。
──この国にはいろいろ問題があるし、いろんなことが「これでもか、これでもか」と起こりすぎる。でも、あきめずに辛抱してたらきっと良い社会になっていく。──そう信じることにしている。

 「先生は甘すぎる」と言われそうだけど、今朝の新聞のコラムを下にコピーします。それと裏に最初の授業のときの話をまとめたものを印刷します。ガイダンスをうまくノートに取れなかった者は切り取って貼(は)っておきなさい。