あぶらやま不定期通信〈2〉

   あぶらやま 不定期通信〈2〉   
       2016/05/26

 朝起き出したら、まずはインスタントコーヒーをマグカップいっぱいに作って玄関先のベンチに座り、新聞を読む。ホークスが勝った翌朝は丁寧(テイネイ)に読み直す。負けた翌朝は郵便受けから取り出す気にもならないんだが、今年は新聞を読む時間がかかりすぎて、「おっと忘れた。」チビたちがオシッコをしたくてウズウズ待っている。「ワン。」「ワン。ワン。」「キューン」──ごめんねぇ。
 散歩から帰ったら「おはようございます」メール。北海道に同級生がいて、ほとんど毎日お喋りをしている。何しろ実際に会えるの年に一度っきり。ほかの友人とも遠距離友愛ばかり。携帯様々、なのです。
 北海道の男はもちろん北海道日ハム・ファイターズのファン。前日の勝因や敗因を分析し合っては、互いの健闘を期待しつつ、「では、夜にまた。」

 その日ハムの大谷が今年はまだ2勝しかしていない。(5/26現在)162㎞というトテツもない速球を投げるピッチャーだから野球ファンでなくても名前と顔を知っているんじゃないかと思う。高校を卒業する時、大リーグから誘いがかかっていたのだが、大谷は最終的に日ハムを選んだ。
 去年は二年目ではやくもパ・リーグ最多勝やその他の賞をほとんど独り占めした。「打のホークス柳田、投の日ハム大谷」若手でもっとも輝いていたパ・リーグの星。
 でも今年は「二年目のジンクス」が一年ズレこんで不調だ。最初の頃はいいピッチングをしても味方が点を取れずに負けていたのだが、最近は、味方が点を取ったのに打たれて逆転負け、というケースが続いている。
 大谷は日ハムに入る時、自分からひとつ条件をつけた。「ピッチャーとバッターの両方をやる。」──大谷の二刀流。──
 でも、相手もプロだ。そんな草野球か高校野球のようなことをされるのはシャクにさわる。「大谷をひきずり下ろせ!!」
 ホークスの今宮は高校生の時に150㎞を投げていたが、プロに入る時「君はバッターに専念しろ。その方がはやく一軍に定着できる」と諭(さと)されて決断し、日本一のチームのレギュラーになった。バッティングはまだまだだが(一年ごとにパワーがついてきているから楽しみにしている)、その守備と肩はすでに超一流だ。
 私は「大谷よ、はやく大人になれ」と思い続けている。彼は柳田とならんで大リーグに行っても通用する日本の至宝(シホウ)だ。一人前になってくれないと困る。

 君たちの作文を読んでいてほっとした。家族に「いまは迷惑をかけているけど、いずれ親孝行しますから」と書いている者が何人もいた。
 長いこと生徒に言い続けたことがある。「親不孝は、親が元気なうちにしておきなさい。その代わり、親が弱ってきたらきっと親孝行をしよう。」
 あとひとつ生徒に言い続けたことがある。
 「21世紀のキ−ワードは家族と友だちと故郷だ。」
 もう21世紀も16年目に入ったけれど、私の考え方はまったく変わっていない。「家族と友だちと故郷がある者は生きていける。」それに「先生」が加わったら最強。

 大人になるって、どうなることなんだろう?
 たとえば君たちは三年後には就職しているかもしれない。遅くとも、たいていの者は20歳になってときは、すでに社会人になっているはずだ。そのために普通高校の生徒以上の勉強を君たちは今している。
 職業を持つということは、自分を限定するということなのだと思う。
 君たちは博工生になることで、まず自分を限定して、他の高校生よりいち早く大人になる道を選んだ。そして実際に職につくことでさらに自分を限定していこうとしている。
 自分を限定することは、一度や二度だけで終わるわけではない。
 結婚すれば、○○の夫、○○の妻というかたちで限定は深まる。その先には、お父さん、お母さん、という限定が待っている。

 私は、大人とは、その「自分を限定する」決断力と実行力の両方を身につけた人間のことではないかと考えるようになった。
 子どもと大人の違いはたんに年齢の違いではない。年齢が加わっていったら、それに正比例して誰でも大人になるわけではない。世間(セケン)には、いい年をしたコドモがゴロゴロいる。私自身などは最近、年が加わるごとに反比例しつつあるのではないかと感じはじめている。──○組の△△君、「うん、うん。」と満足そうに頷(うなづ)くな。──
 自分を限定するということは、そのぶん自由度が減るということでもある。でも、必ずしもそうとは言い切れないのかもしれない。

 小さな子どもを二人連れて、一人暮らしになったお母さんの家に戻ってきたママがいる。翌日からママは外に働きに出て行きはじめた。夕方になると子どもたちはお婆ちゃんといっしょに坂の上の道路に出てママを待



っている。そしてママを見つけると競争で駆け寄って抱きつく。その時の子どもたちの嬉しそうな顔ったらない。子どもたちに両手を引かれながら家に帰りつつ、「今日、大丈夫やった?」「うん。だいぶ慣れてきたみたい。」
 そのママは、ただ黙って「限定」に耐えているだけだとは全く思わない。子どもたちが成長して一人立ちしたときママはきっと気づく。
──あの頃は泣きたいくらい大変だったけど、いちばん充実していた。

 私は西区から油山まで、わざわざ自分を限定しに通ってきている。でも、それが楽しいのは何でだろう?と考えてみた。
──オレは「国語の先生」という限定のなかに自分を解放しているんだ。だから楽しいんだ。

 大谷の話に戻ろう。「大谷よ、自分を限定する決断をして大人になれ。」
 でも、自分を限定ばかりして生きている者としては、夢を見させてくれる存在もほしい。「大谷よ、バッターとして柳田とホームラン王争いをしろ。でも、、、。」
 終盤に大谷が逆転打を打って勝ち越す。9回、電光掲示板の大谷の「DH」が「P」に変わる。2アウトから今宮がヒットを打って出塁。バッターボックスには打つ気満々の柳田。マウンドには大谷が仁王(ニオウ)立ち。札幌ドームは悲鳴に包まれる。──そんなシーンを見てみたい。
 
 結婚をためらうしずかちゃんに、パパはこう言い聞かせる。
のび太君を選んだきみの判断は正しかったと思うよ。あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人間だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」 
                  ──新聞のコラムより──
 ジャイアンはどんなどんな大人になったのかな?