シュレジンガーと山川健次郎

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 長くなりそうなので、入力します。このほうが書くより早い。(それに訂正を加えやすい)
 友人の言った会津の話は本当だと思う。
 白虎隊の美しく悲しい話だけではなく、会津戦争は実に凄惨なものだったらしい。どちらが先かは知らないが、味方の死体から肝臓が取り出されているのを知り、以後、肝取り合戦がつづき、たがいに敵の肝を食ったと伝えられている。(戦利品である肝臓らしきものをカメラの前に差し出して笑っている兵士の写真を見たことがある。)
 日本の敗戦が決まった時、会津ではひそかに祝杯をあげた人々がいると誰かが書いていたが、その話を信用している。会津降伏後の官軍のしたことも無慈悲だったらしい。とくに長州兵士(おなじ官軍でも、薩摩はそれほど憎まれていない。田舎っぽの持つ大らかさがあったか。)の所行はながく恨みの的だったという。別の言い方をすると、高杉晋作が創設した民兵に「武士道徳」(敗者を憐れむ心)はなかった。たとえ芋で腹を膨らまして育ちはしても薩摩兵は武士としての教育を受けていた。そんな気がする。──ここらへんは司馬遼太郎の受け売りかもしれない。──
 白虎隊の生き残りから刻苦勉励して東大総長になった山川健次郎は、会津松平家の姫を秩父宮の妻にする案を政府に呑ませた時「これでオレの仕事は終わった。」と言ったそうだ。なお、健次郎の妹捨松は大山巌妻です。ということは健次郎の妹は芸妓だったんだな。
 当時、貧しい娘が自分で身を立てようとしたら、そういう選択肢しかないというのは常識だった。だからと言って偏見がなかったわけではない。
 もう名前が出て来ないが、のちに有名な歌人になった男の学生時代(東京帝国大学だったと思う)、幼い頃生き別れになっていた妹が芸者をしているのを知り、自分から会いに行った。その後、妹に「お前はわたしにとって大切な妹なのだから、何かあったときは遠慮せずに相談にきなさい」という手紙を出した。妹は兄の将来を妨げないように、その手紙を護符がわりにして生涯日陰の身のままだったという。

 別の話です。
 朝の公園で?時雨を聴いていると、ふとシュレジンガーの発想が見えた気がした。
 量子そのものを見ることは出来ないし、一個ずつの量子を観察することも出来ない。(観測機器やコンピュータが発達した今でもそうだろう)それらは総量的な観察から導き出される定量化によってその存在を確かめているに過ぎない。カミオカンデニュートリノヒッグス粒子も、別に「これだ」とそれそのものを(恐竜の化石のように)見つけたわけではない。ただその存在の証拠を明らかにしただけだ。(自分はいまでも暗黒物質は存在していると思っている。ただその存在の仕方が「マイナス的存在」──意味が分かって使っている訳ではありません。付け加えるなら「ブラックホール」的な存在とはまるっきり違うイメージ。──であるだけだ。この世界は、分からないことの方が遙かに大きいのです。)
 生命もまたその存在自体は疑いようがないけど、「これだ」と突き止められるものでは決してない。外側からの観察によって確認するしかないもの。
 そのアプローチの仕方が酷似していることが、かれの興味を掻き立てたんだと思う。
 最初に読んだとき分からなかったのは、彼の生命に対する興味を「生涯かけて追求してきた〝物質〟とは丸っきり逆のもの」に、その晩年惹かれたんだと思い込んでいたから見えなかったんだ。

 40代の時、「古典学習には仏教のイメージが欠かせない」と『高校生のための仏教講座』(そのもとの話は20代の時からボチボチしてはいた)を書き継いだ。それを書いている途中で「いまこんな授業をしています」と送ったら「高校生には難しすぎる。が、お前の授業を受けてみたかった」という返信が先生から届いた。そんなことは後にも先にも一度っきり。
 それを書き継いでいるうちに「われわれはモノ(物体)なのではなく、コト(出来事)なのだ。」と指が動いた。そのうちに届くと思う『一反田』の「後書きにかえて」に書いている「考えの周辺ににじみ出た膠が乾いた」瞬間だった。
「これで出来る。」
 あとはスムーズに進んだ。
 「われわれ」だけではない。われわれの内部も外の世界も、物体があるというよりは、出来事に満ちている。満ちすぎて常に出来事が溢れている。
 われわれが物質と呼んでいるものも生命も内実は〝コト〟なのです。出来事なのです。
 産めよ殖えよ。


 ?時雨がもたらした新たな妄想であります。
         2016/08/04

もひとつ丸っきり別の話。
 朝の散歩の時、未就学児と思われる女の子たちがリュックを背負って学校の方角に行っている。
 「今日は何があると?」
 「デンキスクール。」
 「それ何?」
 「小学校にあると。そこに行かんといかん。」
 どうやら来年入学する子どもたちのための体験入学らしい。
 「わあー、ずれるぅ。」体が小さすぎるからまだリュックが背中に落ち着かない。

 九大が中間考査を実施し始めたとか、三者面談をおこなっているとか聞くと、「自分たちから大学を18歳の児童を受け容れる小学校にしていってどうすんの?」と思うが、6歳児のための体験入学には大賛成。集団生活に慣れない子どもにとっては貴重な時間になるはずだ。

 一軒隣のキラリちゃんが小学校に通い始めたのは数年前。お母さんは玄関から動こうとしない。
 「じゃぁね。」
 「うん。」
 ランドセルを背負ったキラリちゃんは決然と背筋を伸ばし、ただ前方を見つめて歩き出した。その時の緊張に満ちた表情はワタクシの宝物です。
 数日後、そのキラリちゃんが団地の出口で別の女の子と待ち合わせをしているのを見て、「よし、もうダイジョウブ。」
 今年は妹のセイナちゃんも小学生になった。
 キラリちゃんのときと違って、最初からお姉ちゃんといっしょだからニコニコして歩いている。──兄弟がいるっていいもんだな。──
 「セイナちゃんも学校に行くごとなったと?いいね。」
 キラリちゃんがニッコリうなづいた。
 見上げたら玄関口にお母さんがいて黙って挨拶したから、こちらも一礼。
 隣のワカちゃんとホノカちゃんが学校にいくまでには、まだ数年ある。
  2016/08/05