T様
T様
遠雷が聞こえてきます。
「はやく一雨こい?」
子どもの頃からの習慣で、夏に窓を閉め切るのが苦手です。ということはエアコンが苦手ということになります。梅雨明け以来、わずかな風が入ってくるのを頼みに暑さを凌いで参りました。
『一反田』発行についてのご親切に感謝しております。
大学時代からの遊び友だちの作品や名前を残せたことにも満足しています。
送った相手のなかにはもう賀状のやりとりだけになっていた人もいるのですが、ひさしぶりに連絡があって喜んでいます。
昨日は、もと九大医学部長だった方から手紙が届きました。
「ヒトや世界のこれからを、暖かく正直なまなざしで見ている。」
そんな感じ方をしてくださる方がいるのであれば、ヘソクリをはたいて良かったと思い
ました。
「わたしは75すぎても若いヒトたちと、がん治療の基礎研究を続けています。自分自身はやりがいがあるのですが、患者さんたちの役にはあまり(殆ど)たっていません。」
こちらがまだ30代だった時、時間を忘れて話し込んだのは当然だったと感じました。
この夏かろうじて読み終えた本『昭和維新の朝』の最初と終わりをコピーして友人たちに送りました。
わたしにとって斉藤史は昭和最大の歌人です。
──そう思っていることは認めるとしても、それは斉藤史自身が数奇な生き方をせざるを得なかったからではないか。それでは、文学の価値は出自や出逢いで左右されるのか?
と言う方もいそうです。
が、文学とはそういうものだとわたしは思っています。
ですから、もし「文学か人生か」という二択を迫られるようなことがあったら、わたしは躊躇なく人生を選びます。これまでもそうしてきました。これからもそうです。
同級生から電話がありました。
「ホントにロマンチストなっちゃねぇ。」
ちゃんと読んでくれた上でのことばなので、「うーん」と言いましたが、上のような事情がありますので相当に不満でした。たとえばわたしは、反戦平和をロマンチックな日本語で語るひとたちをアテにしていません。
わたし自身にとって『一反田』は詩集ではない気がしています。つまり自分が詩を書いたと感じていません。なんだかわからないけど単に出てきたコトバです。あえてイメージ化するなら、出てきたコトバでレリーフやオブジェを作ろうとしていたのではないかという気がしています。それが客観的にはどんな形なのかは、ずうっと先になってもしも一度眺める機会があったら見えてくるのかもしれません。でも、いまはその時ではありません。
その時期は終わりましたので、また「人生」に戻ります。「還らばや」「還らばや」です。「にっくき家郷に還らばや」です。
5〜6年前だったと思いますが、パソコンでかってに作った『抄録斉藤史歌集』をお送り致します。(友人たちに斉藤史を知ってほしくて作ったものです)アイコンの下には「斉藤史へのオマージュ」と入力しました。
ひとを瞬かすほどの歌なく秋の来て痩吾亦紅 それでも咲くか
明後日はまたグループホームで暮らしている99歳の母親のところに行きます。もう何度も危機を乗り越えてきました。そのたびに並んで夜を過ごします。
我を生みしはこの鶏骸のごときものかさればよ生れしことに黙す
スタッフによると、わたしの声が聞こえたら元気になるのだそうです。そのスタッフたちへの感謝を音楽ボランティアという形で表現してきました。今度の「元気カフェ」の目玉は「ちゃんちきおけさ」。おばあちゃんたちが大きく口をあけて歌ってくださるはずです。来月は「死んだはずだよ、お富さん」。
その次の月はいよいよ母親百歳のお祝いです。
新しい施設なので百歳は初めて。それも、母親は、訪問介護の時代から、デイサービスを経ていまは(ギリギリで間に合った)グループホーム。完成したときの「荒木さんならいつまでも待ちますから」というリーダーからの言葉がどんなに有り難かったことか。
母親をだまして二人で一緒に体験入所をし、「じゃ、学校が終わったら帰ってくるね。」
そのうち「帰って」きたらロビーにいる母親が「来たとね?」と言ったあと「アタシんちに来る?」と部屋に案内してくれました。その時の安堵感は忘れません。
「どんなお祝いをしましょう?」
「花火でも打ち上げましょうか?」
出かける時「この夏はどこにも行かれんやった。」というと家人が、「来年の夏もそうなるかも知れんよ。」
「ほんとうにそうやね。」
人生に戻っても、またコトバはなんらかの形で出てくるものと覚悟はしています。
でも、「文学」を離れて、お話できる機会があれば嬉しいです。
8/16