おけさおけさで夜が明ける

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      月がわびしい路地裏の 屋台の酒のほろ苦さ
      知らぬ同士が小皿たたいてチャンチキおけさ
      おけさ切なや やるせなや

 今月の元気カフェで、お婆ちゃんたちが手拍子をとりながら歌うために『チャンチキおけさ』を提案した。作戦は大成功で、歌い終わったあとに拍手が起こった。これからも毎月、春日八郎、村田英雄、コロンビア・ローズ、『有りがたや節』。手拍子は入らないけど、『潮来花嫁さん』は誰だったろう?島倉千代子の『東京だよ、おっかさん』も加えたい。
 年寄りの繰り言になってしまったけど、昔は言い歌がたくさんあった。大昔のではないけれど、グループホームのホールで二人だけの楽しみとして『22歳の別れ』をやったら何ともノリが良かった。(あとでスタッフが「懐かしかったです。わたし小学生でした。」)──ハモニカで吹くのはけっこう骨。で、途中はごまかして吹いたんだが、相棒が「あの誤魔化し方がなかなか良かった」
 リオのアムロの歌も「ヘェーッ」と思うしゃれた曲だったが何と言っているのか最後まで聞き取れないうちに終わった。

 歌謡曲の命は即興性にあると思っている。まじめに頭でひねり出した詞や曲には面白みが欠ける。阿久悠の詞なんてむちゃくちゃもイイコトだが、耳に残る。例外は吉幾三ぐらい。(でも、どの曲も同じに聞こえる)
 ラジオの時代、井上陽水がお喋りしていた。古賀政男(「歌は詞がお母さん、メロディーはお父さんです。」)と逆で、まず曲が出てくるのだと言う。「曲が出来たら、国語辞典をめくって、それに合う言葉を見つけます。」そんなことで歌が出来るんですか?と女性アナウンサーが訊くと「はい。ぼくには才能がありますから。」たしかに。今でも「探し物は何ですか?」と頭のなかで歌いつつ、「諦めたほうが早そうだ」。人の名前に至っては、思い出そうとしていたことを忘れるのが、思い出すコツ。
 
『チャンチキおけさ』の詞も曲も即興性に満ちていてイキイキしている。
       知らぬ同士が小皿たたいてチャンチキおけさ
 飲み助なら週に一度はそんな至福の時間を持てたのに。

 何年前になるか、私学のパーティーで久留米付中の理科の教員だという人と同席したことがある。紺の(いや、もと紺の)チョークをどれだけ吸い込んだのだろうと感じるヨレヨレのジャケットに、これも何色だか分からない、昔風に言うとドブネズミ色のだぶだぶのズボンでフォーマルな場所に出席していた。そういうことを気にかけないタイプなのか、「ユニフォーム」に誇りを持っているタイプなのか。いずれにせよ、「今時まだこんな教員がいるのか」と嬉しくなるような人だった。
 「ウチは家内もイケる口なので、毎晩宴会です。」
 何という羨ましさ。
 そうか。「服装に金をかけるくらいなら、その分はお酒と副食に。」それ以上の贅沢はあるまい。
  
      おけさおけさで夜が明ける
 
 せめていつか、もと「神田っ子」でそんな時間を持ってみたい。
 でも、『チャンチキおけさ』を書いた人はきっと下戸だったんだ。甘すぎる酒は飲んだことがあるけど、苦い酒って記憶にない。乞う。呑んべぇの方のご意見拝聴。

 『よこまち余話』に引用されていた萩原朔太郎の詩の全文を知りたくて本棚を探そうとしたが探しようがない。部屋はもう倉庫代わりになっていて本棚に近づくことができない。
エーイままよとアマゾンに注文した文庫本が届いた。

  さびしい人格
さびしい人格が私の友を呼ぶ。
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
  ・・・・・
よにもさびしい私の人格が、
おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉のやうなみすぼらしい様子をして、
人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。
    2016/08/24