ピースメイカーズ・ノート

雲雀よ!〈番外編〉

マーガレット・マクミラン『ピースメイカーズ』上巻 読書ノート

 フランスの18 〜30歳男性のうち約四分の一が死に、約半数の負傷者を出した第一次大戦のあと、(ベルサイユ)講和会議の三巨頭は、それぞれ自国に何かをもたらそうとしていた。つまり、ウィルソンは、合衆国の博愛やアメリカが一番であると証明しようとし、ヨーロッパ人がそう思わないのではないかと恐れをもっていた。クレマンソーは、フランスの深い愛国心、勝利の安堵感、ドイツ復興への絶えざる憂慮を持ち込んだ。ロイド・ジョージのは、イギリス植民地のネットワークと強い海軍を確保することであった。
 そのロイド・ジョージは大戦中、「ドイツを打倒せよ。しかし(ロシアの歯止めである)ドイツを破滅させてはならぬ」と言い、フランスが深く侵攻する前にドイツが降伏したことを喜んだ。

 クレマンソーの「平和は国際連盟でではなく、同盟によって維持される」という信念は最後までゆるがなかった。しかし、その同盟にウィルソンのアメリカが欠かせないことも分かっていた。「平和よりは戦争のほうが楽だ。」

フランス議会演説でのクレマンソーのウィルソン評
 「ウィルソンの高貴な率直さ」。(その「率直さ」は「哀れなほど素朴な」という意味があり、公式記録では「偉大さ」という訳になっている。)

ウィルソンの私的発言
 フランス人は馬鹿で、狭量で、きちがいじみており、信用できない、油断のならない、一緒に仕事をした中で最もやりにくい連中だ。

(ウィルソンの顧問のひとりだった)ランシングのウィルソン評
 「けっして実現しない希望をかきたてる。何千かの単位の命を犠牲にすることを恐れ、けっきょく信用を失う。原則を実行することの危険に気づかない理想主義者」

イタリアの外相シドニー・ソンニーノ
 「戦争は民族感情を熱狂させる・・・・たぶん、アメリカはその原則(民族自決)をはっきりと言うことで(民族感情を)煽った。」

ロイド・ジョージのクレマンソー評
 「クレマンソーがフランスを全面的に愛していることは疑いない。が、同時に彼はすべてのフランス人を嫌悪している。」

ジョン・メイナード・ケインズの三巨頭評
復讐心に燃え貪欲なクレマンソー=干からびた辛辣な年寄り。
 小心で優柔不断なロイド・ジョージ北ヨーロッパの民話に出てくる、良い魔法使いに魅力と恐ろしさを与えて変えてしまう、狡猾で無慈悲な権力欲の塊。
 感傷的で失意のウィルソン=ヨーロッパ人の恐るべき盲人の脅しの犠牲者。
同 ベルサイユ会議評
 「戦争によるヨーロッパ経済の破壊を平和が仕上げた。」

  イギリスはマジェスティック・ホテルの全従業員をイギリスから連れてきた者と入れ替えた・・ので、・・一日中まずいコーヒーが飲めた。・・・だが、極秘書類でいっぱいの執務室はアストリア・ホテルにあり、従業員はフランス人のままだった。
 イギリスは(大英帝国維持のために)講和会議にインドやオーストラリアやカナダなどの代表団を加えることを強行に主張し実現させた。──インドは125万人、自治領からは100万人の兵士が参戦した。オーストラリアの死傷者はアメリカよりも多かった。

 (ウィルソンの顧問)ハウスは長い目で見ていた。講和会議に自治領とインドが別々に代表を送るということは、国際連盟や国際労働機関のような国際的組織に参加することになり、結果として大英帝国の分裂を促進することになる。「イギリスは本来の姿である島だけになるであろう。」

 連合国側で中央ヨーロッパの将来を考えた者はほとんどいなかったし、バルカンの将来など本気で考えた者はいなかった。大戦最後の数週間に、ハプスブルグ帝国がとつぜん崩壊したため、大問題になったのである。

 ルーマニアセルビアは同じことを根拠にバナトを要求した。
──バナトで、セルビアルネッサンスが起き、セルビアナショナリズムが生まれた。・・・セルビア王家の亡命先がバナトだったのは当然だった。」
──セルビアの支配者がルーマニア領内に追われたこともある。だからといって、セルビアルーマニアを要求できるはずもない。

 ルーマニアには「魚は頭から腐る」という諺がある。 

 エルザ・マックスウエルは新しい夫を募集中の女性のお供としてニューヨークからパリにきて、すごいパーティーを催した。・・・当の離婚した女性は新しい夫となる人物を見つけたが、ダグラス・マッカーサーという名の、ハンサムなアメリカの大尉であった。

 ケインズはピースメイカーズにはぞっとした。ヨーロッパ文明が破滅の淵に瀕しているのに、復讐のことばかり考えているからである。・・・
 ・・・ケインズによれば、戦争によるヨーロッパ経済の破壊を平和が仕上げたということになる。
ケインズロイド・ジョージに出した覚え書き
 将来の展望を開示し、ヨーロッパの人々に、食料や雇用や秩序が再びもどる道を示すという提案は、強力な武器となろう。そうすれば、我々が将来の生活改善と福祉への最善の前提だと信じている人類社会の秩序を、ボルシェビキの脅威から守れるのである。

(フランスの)商工大臣エチエンヌ・クレメンタルは・・・「新経済秩序」のため精緻な計画を立てた。その計画では、国際機構と協調が無駄な競争に代わり、資源は共同利用され、必要に応じて配分され、全体を賢明なテクノクラートが監督することになっていた。ドイツ議会がうまく機能したなら新秩序の一端を担い、強い機構に編入される可能性もあった。彼の計画は、アメリカの強い反対やイギリスの無関心により立ち消えとなり、最終的に一九一九年四月には撤回された。だがその努力は第二次大戦後実を結び、一九一九年の時点ではクレメンタルの助手であったジャン・モネ欧州連合に発展する経済機構を創設したのである。

チャーチル
 フランス国家は破産しそうだが、フランス人は裕福になりつつある。

『ル・マタン』紙
 誰が滅ぼされるべきか? フランスか? ドイツか?
 ──フランスはナポレオンが最終的に敗れた一八一五年には賠償金を全部払っていたし、一八七一年の後にも再度賠償金を払っている。両方ともドイツが受け取ったのであるから、今度はドイツが支払う番であった。

講和条約に載せる賠償総額の合意を得るのは不可能と分かった。あるアメリカの専門家の日記。
 「延期することで、イギリスやフランスは賠償金で得るものがいかに少ないか公表しなくて済んで安堵しているだろう。両首相は事実が知れたら政府が転覆することをよく知っているからだ。」

 ポアンカレは日記に感情をぶちまけた。「要するに、今度という今度は、クレマンソーが愚かで、暴力的で、思い上がり、威張り散らし、人をあざけり、ひどく浅薄で、肉体的にも知性の面でも耳が悪く、物事を推理し考察することをせず、議論についていけないヤツだとはっきりした。」

 イグナツィ・パデレフスキー(ピアニスト。のちのポーランド連立政権首相)がポーゼン(ポズナン)に到着すると大きな興奮が起こった。・・・ポーゼン市民は・・・ドイツ宰相ビスマルクの巨大な銅像に手に、ベルリン行き四等列車の切符を握らせた。
ウィルソンのパデレフスキー
 あなた方が、祖国のためのパデレフスキーの演説を聞けたらと思う。ピアノを弾き数千人の聴衆を魅了するときよりも微妙な琴線に触れてくるのだから。


マーガレット・マクミラン『ピースメイカーズ』下巻 読書ノート

一九一九春 パリ周辺に飛び交っていた辛辣な冗談
 来る日も来る日も三ヶ月に亘り、米英仏伊の指導者が二〇〇回以上の会合で話し合う遅々として進まない講和会議=延々と続く正義の戦争 

 イタリアの決まり文句=傷つけられた勝利
「合衆国は平和を命令したがっている高利貸しだ。」
ソンニーノがウィルソンに
 「ヨーロッパのことに介入せずアメリカのことだけに専念すべきです」

 イギリス大使「休戦の合図はイタリアにとって戦闘開始の合図だった。いままでは軽蔑していたが、今では(イタリアは)ひどい悩みの種だ」

ロイド・ジョージ
 「合衆国はいまだにヨーロッパに鞭を振るおうとしているが、責任を一切とろうとしない」

中国と日本
──一九一一年、結局は失敗に終わった革命は、それまで以上の無秩序をもたらしただけだった。
──合衆国が自らの安全保障のために、ラテンアメリカ諸国を裏庭として扱ったように、日本も中国や朝鮮、、モンゴルのような近隣地域を心配する必要があった。
──アメリカの究極の目標。「日本を中国から追い出す」

 四月一〇日、日本代表は翌日に(人種平等法案の)修正案を提出すると発表した。「年がら年中、冗談の種になるのを延ばしてきた」と、ゴードン・キング(米)は言った。
 (翌日)ハウス(米)はウィルソンにメモを密かに渡した。「委員会が可決した場合、世界中に人種問題を喚起するのは確実です。」

オスマン・トルコの終焉──イスタンブール──
──連合国の将校や官僚たちが続々と到着した。
 若いイギリス人「人生は楽しく、邪悪で、愉快だった。」
──一〇月三〇日、最高会議でロイド・ジョージとクレマンソーは、イギリスがトルコと単独交渉することについて「漁師の女房のような汚い言葉を投げかけ合って」大喧嘩をした。
チャーチルとモンタギュー
「トルコ分割は危険だ。インドを含むイスラム世界との永久戦争になる。」

ロイド・ジョージ
 「メソポタミアか……そうだ石油……灌漑……メソポタミアは持つべきだ。パレスチナ……そうだ……聖地、シオニズム……パレスチナも持たなくては。シリア……うーむ……シリアには何がある? フランスにやろう。」 

一九一九年二月末
のちのイスラエル初代大統領ワイツマンの妻への手紙
「昨日、二月二七日午後三時半、フランス外務省で歴史的な会合が行われた。・・・すばらしい瞬間で、わが人生で最大の勝利であった!・・・?一八世紀もの間苦しんできた者の名において言う。解決策はユダヤ人をパレスチナに行かせることである。ユダヤ人に足りないのはピースメイカーズの合意だけだ。?・・・ソンニーノ(伊)が立ち上がり祝いの言葉を述べ、バルフォア氏(英)も続いた。フランス人を除くすべての人が祝福してくれた。」
 ワイツマンとファイサルはアカバ湾ちかくのファイサル野営地近くで会見をおこなった。・・・ワイツマンはファイサルがパレスチナにさほど価値を置いていないという印象を受けた。「彼はパレスチナのアラブ人をアラブとは見ておらず、軽蔑している。」

カーゾン(英)
パレスチナは誰が委任統治を引き受けるにせよ、肉体に突き刺さる棘となる。可能なうちに責任を回避したほうがよい。」
チャーチル
パレスチナは維持するのに年六百万ポンドかかる。・・・フランスは我々との緩衝にアラブ人を使おうとしている。」

 一九一九年夏、クルド地域で起きた初めての暴動の指導者は腕に『コーラン』を結びつけていた。その空白の頁にはウィルソンの一四ヶ条を初めとする連合国の数々の約束が記されていた。

終章(長くなるかもしれない)
 
 一九一九年五月四日、日曜日、四巨頭会議は最後の修正を加えた後、対ドイツ講和条約の案文の印刷を命じた。・・・二日後、まだ完成版は出来ていなかったので、代表たちはフランス語の長々しい要約を聞いた。「われわれは最初、読まずに条約をドイツ野郎に渡すつもりだった。」

 ドイツ代表団のホテルは、フランスの指導者が一八七一年にビスマルクと交渉する際に泊まったホテルだった。

 五月七日、連合国はドイツに講和条件を手渡した。「地球上の人種のなかで欠席したのは、インディアンとオーストラリアのアポリジニだけだった。」・・・
 ホテルに戻って、ドイツ人は条約の写しを作り始めた。・・・ドイツの銀行家マックス・ヴァールブルク「世界を略奪するという最悪の行為は、偽善という旗の下で行われる。」

 六月二八日、(鏡の間)
 フォッシュ(独)は決してクレマンソーを許さなかった。「ウィルヘルム二世は戦争に負けたが、クレマンソーは平和に負けた。」
   
 ニコルソン(英)
「我々は新秩序を確立できると思ってパリに来た。だが、新秩序とは単に旧秩序を汚すものに過ぎないと確認してパリを去った。我々は、ウィルソン大統領学派の熱心な初心者であったが、背教者として出て行くのだ。」
 ──若いアメリカ人はもっと楽天的に考えた。「古いヨーロッパの復讐の連鎖がついに壊されたのだ。」
 ケインズロイド・ジョージへの手紙
 「私はあなたが条約を正当なものにし、有効な文書にすると期待していました。だが、遅すぎました。戦いは負けたのです。」

──会合の終わり頃、クレマンソーは、「ウィルソンをどう思う?」とロイド・ジョージに尋ねた。するとロイド・ジョージは、「好きですよ。初めよりも遙かに好きになりました」と答えた。クレマンソーも「私もだ」と言った。彼らは権力者の孤独を共有し、他の者には窺い知れない方法で互いに理解し合っていたのだ。


結び
 ──一九一九年六月二八日、ヴェルサイユ条約に調印して、パリの世界政府は解散した。・・・講和会議は一九二〇年一月まで続いたが、スターのいない芝居のようだった。・・・ウィルソンはその夜のうちにパリを去る時、妻に「さあ、終わったよ。誰も満足していないけど、」と手紙を書いた。
 ・・・八〇年後『エコノミスト』誌は「全ての罪はヴェルサイユ条約にあり、その過酷さが二回目の戦争を確実にした。」と断言した。だが、政治指導者、外交官、兵士、一般の投票者など全ての人たちの一八一九年から一九三九年の二十年間の行為を無視している。
 ・・・調印によってドイツが支払うことになった金額は普仏戦争後にフランスが支払った額より少ない二百数十億ドルだった。それも数十億ドル支払われたところでヒトラーが政権をとり、以後の支払いは行われないままである。
 ・・・一九三九年に戦争になったのは、一九一九年になされた協定の結果ではなく、二〇年間に解決できなかったことの結果だ。
 ・・・もし合衆国が第二次大戦後のように第一次大戦後も力をもち、進んでそれを行使したならば、もしイギリスとフランスが戦争で弱体化しなかったら、・・・もし、オーストリアハンガリーがなくならなかったなら、・・・中国がもう少し弱くなかったなら、もし日本がもっと自信があったならば。等々・・・しかし、ピースメイカーズは仮定のことではなく、生の現実を扱う義務を負っていた。彼らは巨大な難問に取り組んだ。民族主義や宗教の不合理な情熱がさらなる被害を与える前に、いかにして食い止めるか? いかにして我々は戦争を禁止できるか? 我々はいまだに問い続けている。


 長いことお付き合い下さって感謝。
 この夏、断続的に読み継いだマーガレット・マクミラン『ピースメイカーズ』の抜粋です。
 自分の感想は、いまは差し控えます。
 ただ、たまたま今朝、加藤陽子の新刊『戦争まで』の宣伝が朝刊にあった。
 「かつて日本は、世界から?どちらを選ぶか?と、三度問われた。」
 出版社が勝手に作ったキャッチコピーかも知れないけれど、「やっぱりこの人には無理だ」
 あの頃「世界」なんてどこにもなかった。あったのは、国々や、地域や、人々。──「世界から・・問われた」こともなかった。「世界」が日本の言うことを聞こうとしたのはただ一度、アメリカへの宣戦布告がいつになるかだけだったし、その後も「世界」が日本に問うたりしたことも、日本の言うことを聞こうとしたこともない。
 ありもしなかった「世界」を仮想しては歴史を見ることはできない。あるのは個々の事実だけで、たぶんそれらの事実のつじつまを合わせようとしたとき「歴史」はもう見えなくなる。
 いま「世界」ってあるのかな。オリンピックを見ていたら、ありそうで、うっとりとしていたんだけど。

 『ピースメイカーズ』上・下のつなぎに読んだエコノミスト誌『通貨の未来』が面白かったので少し報告。
「ドルの地位は相対的に低下しているが、まだ世界貿易の60 %以上はドルで決済されている。いずれ中国の元が基軸通貨になるかもしれないという向きもあるが、自由化なしの基軸通貨化はありえない。ユーロや円はもう論ずるに足りない。
 いま世界がもっとも恐れているのは中国発の世界デフレだ.。リーマンショックで世界からカネが消えた時は、(ちょうど取り付け騒ぎが起きた時、銀行の窓口に札束を積み上げて見せたように)アメリカが大量のドル放出の準備することで世界経済を救った。それは同時にアメリカ経済を救ったことでもあるのだが、アメリカの大衆はそうは思っていない。?アメリカ・ドルはオレたちのために使え?と叫ぶ大衆に囲まれてアメリカは身動きできないから、今度世界経済が大きく低迷した時は?胴元?がいない状態に陥る危険性が高い。
 危機回避の方法はただひとつ。ニューヨークが中国元取引の世界最大のハブになることだ。そうすることによって元をドル圏に取り込んでしまえ。中国も内心では、生き延びるために、それを望んでいる。」