「一反田」以後〈Ⅱ〉

タカ女(じよ)とキビョウエ



北の国にタカという美しい娘がいた。
母を早くに亡くしたので、タカは父と弟のためにかいがいしく働いていた。
タカの家は武家(ぶけ)だった。
父と弟は戦場にいることが多かった。
戦場から戻ってくると、弟は姉に甘えてばかりいた。
戦場では並の男以上の働きをしているというのがタカには信じられなかった。
家事を仕切ることと父や弟の無事を祈ることがタカの日常だった。



ある日、郎党(ろうとう)が息を切らせて駆け込んできた。
父と弟の訃報だった。
「父上のみならず弟までか?」
「ははぁ。」
「何故? 何故じゃ!」

タカの髪は総毛立ち、眼(まなこ)は真っ赤になり、目尻は切れ、顔中に真っ黒い剛毛が生えた。

以後、戦(いくさ)があるたびに、タカは父や弟の代わりに出陣した。
まっ黒い髭の奥で真っ赤な眼がらんらんと光っているタカの顔を見ると、敵は恐れをなして逃げた。

北の国は連戦連勝であった。
鬼女タカの名は諸国に知れ渡った。



南の国にキビョウエという心優しい男がいた。
父を早くに亡くしていたので、キビョウエは母や姉のために家長としての義務を忘れることがなかった。
キビョウエの家は武家であった。
ある時、臨月を迎えようとしている姉を気づかいながら、キビョウエは戦場に赴(おもむ)いた。

長い長い戦いは勝利し、意気揚々と戻ってみると、町は敵の伏兵に焼かれ、母も姉も殺されていた。
「なんと酷(むご)いことを!」

その時赤子(あかご)の激しい泣き声が聞こえた。
姉の子であった。

キビョウエが抱きかかえた赤子はすぐにキビョウエの胸をさぐった。
お腹をすかせていたのだった。
赤子のなすままにさせていると、キビョウエの胸がみるみる膨らみ乳がほとばしり出た。吸いたいだけ乳を吸って満足した赤子はキビョウエの胸ですやすやと眠りはじめた。

一部始終を見ていた郎党たちは畏れおののき、キビョウエを敬った。

以後、戦いのたびに、郎党のみならず南の国の兵卒は「キビョウエさまを守れ」と結束した。
どんな難敵が襲って来ようとも、兵卒は一歩も退こうとはしなくなった。
南の国は連戦連勝であった。
母男キビョウエの名は天下に知れ渡った。



ついに北の国と南の国が雌雄を決する時がきた。

北の国の兵卒に勝利を疑う者はひとりもなく、タカ女を先頭に進軍した。
南の国のすべての兵卒は奇蹟の母キビョウエの守護を信じ、粛々と会戦場に展開した。

「かかれぇ!」
将の号令一下、北の兵卒は南に突撃を開始した。
南の兵卒はキビョウエの周りに集結した。

ところが、猛り狂ったキビョウエの馬は、味方を蹴散らして真一文字にタカ女に向かってって行った。
タカ女の馬もまたキビョウエのみが敵であるかのように他には目もくれず走った。

会戦場の中央で両者の馬がすれ違うかと思われた時、互いの槍が互いの胸を貫いた。
ふたりは抱き合うようにして横倒しに馬から落ちた。

地に横になったタカ女の顔から髭が消え、美しい女性(によしよう)の顔が現れた。

「お手前がタカ女殿であるか。」
「キビョウエ様ですのね。」
「お会い致しとうござった。」
「嬉しゅうございます。」

ふたりは犇(ひし)と抱き合った。
しかし、その力ははやくも萎えはじめていた。

「もっと語り合いたいが、もうその時間は残されておらぬようだ。ゆるせ、タカ殿。」
キビョウエは最後の力を振り絞って、両軍に聞こえる大音声をあげた。

「者ども聞け! 我らをともに葬れ! この世ではかなわなかったふたりが、のちの世で夫婦(みようと)として添い遂げるためである!」

タカは満足そうに最後の息をもらした。
タカを抱くキビョウエの腕が緩みはじめた。



北の国の将が兵卒たちに命じた。
「槍を地に置け! このふたりを手厚く葬ろうぞ。」
南の国の将も応じた。
「弓矢も刀も納めよ! ふたりを荼毘(だび)にふす枯れ枝を集めて参れ。」

兵卒たちからすすり泣きの声が漏れはじめた。
夕闇が迫ってくる頃、北と南の別なく、兵卒たちが黙々と集めて積み上げた枯れ枝は、小さな丘のようになった。
二人の亡骸(なきがら)はその上に置かれた。

北の将が大きな声で呼びかけた。
「南の将よ、二度と会うまいぞ。」
南の将も応じた。
「北の将よ、二度と会うまいぞ。」

兵卒たちのすすり泣きは。嗚咽(おえつ)に変わった。



とっぷりと暮れた頃、枯れ枝に火が入れられた。
枯れ枝はまたたく間に燃え上がり兵卒たちを赤く照らした。
兵卒たちの嗚咽(おえつ)は号泣となった。
その声は夜空に響き、満天の星たちをふるわした。
               
                        2016/11/17