KS

 ずいぶん気が重たいが、メールをします。
気が重たい理由のひとつは、いま『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮選書)を読み始めていることにある。(これは名著です)まだ半分ほどまでだけど、当時の日本中枢部の錯綜ぶりが実証的に活写されている。政治家も軍部も官僚も、よく気が狂わなかったものだと感じる。気が狂わなかったのは、彼らの頭脳が頑強だったことと、彼らがそれぞれ拠って立つ所をもっていたからなんだろうなと感じる。(政治家、とくに近衛秀麿の場合はよく分からんが)拠って立つ所とはつまり陸軍や海軍や省庁(その中は諸派分立どころか対立で意見の統一などまるっきり不能な状況だったようだが)。それぞれが「自分たちの利益」を追求して暗闘どころかバトル・トライヤルを飽くこともなく繰り返す。
 アメリカからみたら「日本には明確な意志なぞない」としか見えなかったろう。ハル・ノートを突きつけられて当然だった。(そのハル・ノートもまたアメリカ中枢部での自分の生き残りをかけてのパフォーマンスだった、ときっと著者の森山優は後半で書いているはずだ)
 別の本だったが、真珠湾攻撃成功の報が入ったとき日本の株価が急騰したという話にはガッカリを通り越した。と同時に、朝鮮銀行の株をつかまされ(それが全財産だったという)「はやく手放せ」という助言に「いやぁ、みなが頑張っているときに、そんなことは出来ない」とそのままにしていたという人物にシンパシーを感じもするんだが。

 今日は、メールにあった〝屁にもならぬ〟が効果をあげたアベの「花火」や「イメージ戦略」や「プロパガンダ」についてだ。
 
 政治家は出来もしないことを平気で「やる」と言う。(じっさいにそれを可能にする力を手に入れたとたんにスルッと忘れるならばまだマシなほう。)
 北に拉致された人たちを「取り返す」もそのひとつ。申し訳ないけどそれが実現するのはいつの話かわからない。それどころか福岡ではもっと悲観的な噂が広まっている。
 沖縄の米軍基地について「最低限でも県外に」もそうだった。
 福島の放射能汚染物質を「全量県外に」もそうだった。
 小学生が考えても無理だと思うことを、どうして政治家は口にするのだろう?

 トランプがTPP脱退の大統領令に署名したそうだ。
 いわば「太平洋共栄圏」構想であるオバマのTPPには(個々の具体的な事柄には全くの無知ながら)基本的にEUよりも「未来」を感じていた。
 それに真っ向から異を唱えるトランプが現れたとき、TPPに絶対反対だった共産党民進党が「トランプ頑張れ」と言ったという話を聞かない。彼らにとってTPP(反対)は政争の具であって政策ではなかったのだから。

 PKO法案の時も、あの騒ぎを聞きたくなかった。
 我々の10代の途中まで、共産党も(たしか民社党も)自衛隊違憲だという立場だった。では、どうやってこの国を守るのか、「平和を愛する諸国民の信義に委ねる」という憲法に従って「現在の自衛隊を国連軍予備軍に改変しろ。それなら認める。」
 学生時代に朝日が「自衛隊を合憲化することで、憲法の枠内にとどめさせよう」という社説を掲げた時、ほとんど感動をもってそれを読んだ。「こんなに変わったのか?」
 (横道になるが、同じく学生時代──といっても、あなた方はもう社会人になっていたはずだけど──たまたまNHKの深夜放送に当時の外報部の核だった人(顔は出てくるけど名前は出て来ない)を登場させた。あとで分かったがその人は癌で余命幾ばくもなかった。「これから日韓交渉が始まるが、日本政府は朝鮮戦争を起こしたのは南なのか北なのかはっきりさせてから交渉に臨むべきだ。」当時はまだ自民党内部でさえ見解が対立していたのだ。)
 自衛隊違憲と考えていた人々は、「国際主義」を唱えていた。国連至上主義と言い換えても良いと思う。その人たちがいまは、国連軍どころか重火器を持てないPKO活動に加わることにも「平和憲法違反だ」と異を唱えている。表現を変えるなら「国連脱退」時代の「帝国至上主義」が「平和国家至上主義」になっただけで、その発想はなにも変わっていない。国際主義を維持しようとしているのは現政権側だし、大半の有権者はそれを支持している。

 TPPの話に戻る。
 日本はトランプに「日本とアメリカの間には〝公平なルール〟があり、それはいまも機能している」と言うつもりらしいが、相手は聞く耳を持つまい。肝要なのはルールではなく数的な結果だと考えているはずだから。結果が不公平だったらそのルールは不公平なのだ。
 クリントンのときがそうだった。
 かれは日本にごり押しを仕掛けた。それを露骨に言えば「金をよこせ」だった。
 あの頃は小泉だったんじゃないかと思うが、小泉は、日本の銀行や保険会社を縛っている法令を残したまま、アメリカの金融機関(銀行や保険会社)が日本で自由に商売することを認めた。言葉を変えて言うなら、日本政府はアメリカの金融機関に治外法権を与えた。彼らはこの国でやりたい放題のことをやり巨富を得た。クリントンは二期目に立候補するとき胸を張って「俺の仕掛けた武器を使わないマネー戦争で日本を打ち負かした」とアメリカ国民に報告し喝采を浴びた。
 トランプが狙っているのはそのパタンだ。
民進党員が国会で「TPP成立のめどがたたないのに、TPP対策費数千億円はそのまま執行するつもりなのか?」と質問した。(その金の過半は農業強化にではなく農協保護に回されるのだろうが)トランプのごり押しのターゲットの一つは日本の農業。TPP以上の「開国」を迫ってくるはずだ。「ルールではなく実質的な金額で開国度を測る」。それを拒絶することは不可能なのだから、何とかして緊急に農業の強化を図らなくてはならない。
 共産党民進党もPKOやTPPをたんに政争の具として自分たちの利益を守ろうとしている。自分たちは少数派だから、日本全体のことを考える必要がないのだ。
 新聞を読んでいると、連合が非正規雇用者に加盟を呼びかけはじめている。連合は、公務員や大手企業の労働者、つまり富裕労働者の利益を代弁する組織だった。だから正規労働者の組織に非正規労働者が加われば相反する利益集団が併存することになる。それでも方針変更をしたのは、べつに「日本の将来」のことを考えたからではない。共産党が非正規雇用者を取り込むことに成功しつつあるのを見て、危機感を覚え、みずからの組織防衛に乗り出したのだ。
 それ(表に出てくる政治家たちの自分の利益を守るために汲々としている姿。──表に出ない人の中には日本全体のことを考えている例もきっとあるはずなのに)が露骨に見えるから、あの軽い過ぎて嫌になるアベからも徹底的に馬鹿にされる。
 
 テレビに中曽根が出てきて「俺のときは日中の首脳同士に信頼関係があった。それさえあれば難問も乗り越えられる」と偉そうに言っていた。が、当時の中国は、日本の技術と金を喉から手が出るほどに欲しがっていた。その時のカウンター・パートへの態度を「首脳個人」の問題で説明するのは間が抜けすぎている。こんど日中間が密接になるのは中国が日本を必要とするときだ。
 アメリカについても同じ。
 アメリカにとって日本が、英国同様に必要な存在であることを、理屈でではなく、どうやって感じさせるか。
 その方法のひとつは、まずイギリスと緊密なパートナーになることなんじゃないかな。イギリスと利益を共有している国ということになれば、日本のイメージ(あなたの言葉でいうなら「屁にもならないイメージ」)が変わるんじゃないかな。イギリスほど打算にたけた国はない。──その打算を捨てた国がどんな悲惨な目に遭い、周辺の国にまで災厄を拡げたことか。──イギリスがEUからの離脱を目指している今こそがその好機なのではないかという気がしてならない。
 この国にも優れた官僚がたくさんいるだろうから、きっと今、「EUをとるか、イギリスをとるか」で激論が交わされていることを期待する。その時のキーワードは「損して得とれ」。目先の利益に惑わされず、先々で得られる利益を重視せよ。

 一昨日の6時間目、教室に入った。もともと苦手なクラスである上に、5時間目が体育なので最悪の時間。
 入ってみたら予想通り着替えながらわいわいやっている。「先生、とうぶんはまだ無理です。」
 仕方がないから最前列でまだ髪を整えている女の子に話しかけた。「えらく、いい顔色をしているけど、体育はなにをやったんだ?」じっさいに顔は上気してピンク色。唇は紅を塗ったかのように赤い。(この年齢はまだ化粧なんかする必要はないな)すると「サッカーです」と答えたあと、その子の顔色がもっとよくなり、隣の男の子から「わぁー照れよる。照れよるゥ!」とからかわれて下を向いてしまった。
 なんだか気の毒になったので「いんやんか。いいものはいいんだから。」と言うと小さく頷いた。
 その翌日の昨日、漢字などの小テストをやって回収しようとしたらその生徒が「今日はきっといい点数です。」一番前なのでその場で採点すると20点満点で14点。「わぁー、スゴい。先週は4点だったんですよ。」
 授業は「レトリックのの有用性」について。「見たり触ったりできないものを存在しないと決めつけていいのか?」
 黒板に大きく赤で、
 「レトリックを有効化するポイント=口に出していってみること」と書いてから、
 同封するプリントを念頭に「サンタクロースはいると信じている者は手を挙げてください?」生徒がリラックスするのが分かる。
 そうだよね。サンタクロースを見たり触ったりした者はいないもんね。そして板書。
 「愛は存在するか?」
 生徒たちの顔つきが変わる。
 君たちは、じつは私もなんだけど、愛そのものを見たことはない。お母さんのおっぱいに触ったことはあるけれど、愛そのものに直接触ったことはない。でも、「だから愛は存在しない」と決めつけことができるのかな?
 下をむいて首を横に振っている生徒がいる。
 ざわついていた教室がシーンとなる。
 
 そんな極上の時間もあと少し。