あぶらやま不定期通信〈10〉

 あ ぶ ら や ま 不 定 期 通 信 10  
                        2017/3/15
 とうとうまた一年がたってしまった。歳をとるにつれて時間の過ぎ方が速くなっている気がする。今はもうたぶん君たちの2倍の速さ。10年後には3倍? そして5倍〜10倍?
 この気まぐれな『あぶらやま通信』最終回は、それ以上はないデッカい話と、それ以下はないチッチャな話をします。ただし、どちらも思いっきり抽象的な(はっきりしない)ファンタジーです。
 題して『宇宙の成りたちと私たち』

 大昔、ビッグバンというものが起こって宇宙ができた、ということは君たちも知っている。ビッグバンが起こるまで宇宙はなかった。ビッグバンによってはじめて空間ができ、時間が始まり、物質が生まれ、その物質から私たち生命が誕生した。(そのことを70年前に知った少
年は「宇宙はどんどんふくらんでゆく。それゆえみんなは不安である。」──『20億光年の孤独』──と詩に書いた。当時、宇宙の広さは20億光年ぐらいだと考えられていたのです。)
 では、ビッグバンのまえには宇宙がなかったのなら何があったのか?「なぁんにもなかった」らしい。なぁんにもないのに、どうしてビッグバンが起こったのか?そのことを説明した人をまだ知らない。
 なぁんにもないところに一体なにが起こってビッグバンになったのか?老教師は「破れた」んだと思っている。「破れた」のはモノではなくバランス。バランスが崩れた。バランスが崩れて破綻(ハタン)してムチャクチャなことが起こった。それがこの宇宙の始まり。宇宙ではその「ムチャクチャ」がいまも続くと同時に、宇宙はいまもきっとその自分のムチャクチャさを何とか鎮(しず)めようと必死に戦っている気がする。ちょうど世界中で数えきれないほどの戦争があちこちで続いている状態をなんとか平和にしようとするかのように。

 崩れたのは「力のバランス」だったんじゃないかな。ビッグバンで拡がったのはその「力」だった。力が空間を押し広げそこここで塊(かたまり)となり、いま私たちが「物質」と呼んでいるものになった。つまり「物質」とは実は「力の塊」のことだ。そう考えたら理解できることが、この宇宙にはたくさんあるに違いない。(「ただの力にどうして質量があるんですか?」という声が聞こえてきそうだ。いい質問。でも、質量とは重さのことではないのです。)

 数年前、「暗黒物質」がフィーバーになった時期があった。「この宇宙には私たちの知っている物質のほかに目に見えない物質(暗黒物質)が宇宙全体の40数%ある。」そう考えないと勘定(かんじよう)が合わなくなったらしい。「暗黒物質(black matter)を探せ!!」世界中が協力して巨大な観測装置を作り「一年以内には見つかるはずだ。」でも見つけられなかった。というか、それがどんなものかも分からないのだから、どういう観測結果が出たら暗黒物質を発見したことになるのかも分かってはいなかったのだ。
 そのプロジェクトは始まりから間違っていた。
 私たちが物質と呼んでいるものは実は力の塊だ。同じように暗黒物質も力の塊だ。ただ通常の物質が「おもての力」で出来ているのに対して暗黒物質は「陰の力」で出来ているという違いがあるだけ。私たちはまだその「おもての力」しか知らないのです。
 ビッグバンが起こったきっかけとは、その「おもての力」と「蔭の力」にズレが生じたという「破れ=破綻」だった。そして、科学が発達したいまも、私たちはそのわずかに上回った「おもての力」のこと以外はなぁんにも知らない。
 この先も、暗黒物質が発見されることはないままに「どこか勘定が合わない」と不安を抱えたままの状態がずうっと続きそうな気がしている。なぜなら、暗黒物質と通常の物質は別々に存在しているわけではないのだから。
 「陰の力」は「おもての力」の裏に隠れている。それを裏側から見る方法を私たちはまだ知らない。この宇宙はその2つの力がほんのわずかにズレてビッグバンが起きかけたときのままの状態が続いている。私たちが知っている物質とは「おもての力」と「陰の力」のハイブリッド体なのです。もちろんその物質なるものから成り立っている私たち生命もまた同じく2つの力のハイブリッド体なのだ。ただ「おもての力」がほんのわずか上回っているだけ。

 「宇宙の成りたち」の話は以上にして、もひとつの「私たち」のほうに移ります。
 西洋人のものの考え方を見ていて首をかしげることが多くなった。
 あの人たちは自分のことを「個」だと思っているらしい。もちろん私たちも個人ではあるんだが、「個」ではない気がする。
 あの人たちにとって個人とは「個」という他とは異なる核(アトム)の周りに、いろんな他の人々と共通のもの(つまり一言で言うならそぇが「文化」)がくっついて出来ているイメージがある。「個性」とは絶対的なもの、他とは絶対的に違うものなのです。
 でも、私たちにとっての「個」は、たとえばガス雲のなかのガスが固まって出来ているかのようなイメージがある。つまり、個々の「個」と「個」の成分はすべて共通している。そういう人たちにとって「個性」とは、他と同じ中身の表面にあるささやかな他との違いに過ぎない。
 だから、個人と個人の関係は西洋風に言うなら、「おまえと一緒にするな!」私たち風に言うなら「僕たちは一緒だよ」。
 老教師は確信をもって言うが、近い将来、東洋的なものの見方のほうが科学的だ、と人々が気づく時が必ず来る。でも、その時になっても人々は自分の「個人観」を変えることはないだろう。なぜなら『コインは円形か』の佐藤さん流に言うなら、人も文化も「その慣れ親しんだ見方を捨てることは自分を捨てることと等しい」からだ。いや、「自分」じゃないな。風景です。人は慣れ親しんだ風景のなかで生きたいのです。
 でもそれは、佐藤さんの言うように「精神硬化症」なのではない。そういう言い方じたいが「おまえと一緒にするな」文化に思える。
 「自分たちの風景を守ること」は自分を守ることよりも大切なことなんじゃないかな。この頃そんな気がしてきているのです。それもまた東洋的なのかもしれないけれど。

     タカ女(じよ)とキビョウエ

北の国にタカという美しい娘がいた。
母を早くに亡くしたので、タカは父と弟のためにかいがいしく働いていた。
タカの家は武家(ぶけ)だった。
父と弟は戦場にいることが多かった。
戦場から戻ってくると、弟は姉に甘えてばかりいた。
戦場では並の男以上の働きをしているというのがタカには信じられなかった。
家事を仕切ることと父や弟の無事を祈ることがタカの日常だった。

ある日、郎党(ろうとう)が息を切らせて駆け込んできた。
父と弟の訃報(ふほう)だった。
「父上のみならず弟までか?」
「ははぁ。」
「何故(なにゆえ)? 何故(なにゆえ)じゃ!」
タカの髪は総毛立(そうけだ)ち、眼(まなこ)は真っ赤になり、目尻は切れ、顔中に真っ黒い剛毛(ごうもう)が生えた。

以後、戦(いくさ)があるたびにタカは、父や弟の代わりに出陣した。
真っ黒い髭(ひげ)の奥で真っ赤な眼がらんらんと光っているタカの顔を見ると、敵は恐れをなして逃げた。
北の国は連戦連勝であった。
鬼女タカの名は諸国に知れ渡った。

南の国にキビョウエという心優しい男がいた。
父を早くに亡くしていたので、キビョウエは母や姉のために家長(かちよう)としての義務を忘れることがなかった。
キビョウエの家は武家であった。
ある時、臨月を迎えようとしている姉を気づかいながら、キビョウエは戦場に赴(おもむ)いた。
長い長い戦いは勝利し、意気揚々と戻ってみると、町は敵の伏兵に焼かれ、母も姉も殺されていた。
「なんと酷(むご)いことを!」
その時赤子(あかご)の激しい泣き声が聞こえた。
姉の子であった。
キビョウエが抱きかかえた赤子(あかご)はすぐにキビョウエの胸をさぐった。
お腹をすかせていたのだった。
赤子のなすままにさせていると、キビョウエの胸がみるみる膨(ふく)らみ乳がほとばしり出た。吸いたいだけ乳を吸って満足した赤子はキビョウエの胸ですやすやと眠りはじめた。
一部始終を見ていた郎党(ろうとう)たちは畏(おそ)れおののき、キビョウエを敬(うやま)った。

以後、戦いのたびに、郎党のみならず南の国の兵卒は「キビョウエさまを守れ」と結束した。
どんな難敵が襲って来ようとも、兵卒は一歩も退(しりぞ)こうとはしなくなった。
南の国は連戦連勝であった。
母男キビョウエの名は天下に知れ渡った。

ついに北の国と南の国が雌雄(しゆう)を決する時がきた。

北の国の兵卒に勝利を疑う者はひとりもなく、タカ女(じよ)を先頭に進軍した。
南の国のすべての兵卒は奇蹟の母キビョウエの加護を信じ、粛々(しゆくしゆく)と戦場に向かった。
「かかれぇ!」
将の号令一下(いつか)、北の兵卒は南に突撃を開始した。
南の兵卒はキビョウエの周りに集結した。
ところが、猛(たけ)り狂ったキビョウエの馬は、味方を蹴散(けち)らして真一文字(まいちもんじ)にタカ女に向かってって行った。
タカ女の馬もまたキビョウエのみが敵であるかのように他には目もくれず走った。
会戦場の中央で両者の馬がすれ違うかと思われた時、互いの槍(やり)が互いの胸を貫(つらぬ)いた。
ふたりは抱き合うようにして横倒しに馬から落ちた。
地に横になったタカ女の顔から髭(ひげ)が消え、美しい女性(によしよう)の顔が現れた。
「お手前(てまえ)がタカ女(じよ)殿であるか。」
「キビョウエ様ですのね。」
「お会い致しとうござった。」
「嬉しゅうございます。」
ふたりは犇(ひし)と抱き合った。
しかし、その力ははやくも萎(な)えはじめていた。
「もっと語り合いたいが、もうその時間は残されておらぬようだ。ゆるせ、タカ殿。」
キビョウエは最後の力を振り絞って、両軍に聞こえる大音声(だいおんじよう)をあげた。
「者ども聞け! 我らをともに葬(ほうむ)れ! この世ではかなわなかったふたりが、のちの世で夫婦(みようと)となるためである!」
タカは満足そうに最後の息をもらした。
タカを抱くキビョウエの腕が緩(ゆる)みはじめた。

北の国の将が兵卒たちに命じた。
「槍を地に置け! このふたりを手厚く葬ろうぞ。」
南の国の将も応じた。
「弓矢も刀も納めよ! ふたりを荼毘(だび)にふす枯れ枝を集めて参れ。」
兵卒たちからすすり泣きの声が漏(も)れはじめた。
夕闇が迫ってくる頃、北と南の別なく、兵卒たちが黙々と集めて積み上げた枯れ枝は、小さな岡のようになった。
二人の亡骸(なきがら)はその上に置かれた。
北の将が大きな声で呼びかけた。
「南の将よ、二度と会うまいぞ。」
南の将も応じた。
「北の将よ、二度と会うまいぞ。」
兵卒たちのすすり泣きは。嗚咽(おえつ)に変わった。

とっぷりと暮れた頃、枯れ枝に火が入れられた。
枯れ枝はまたたく間に燃え上がり兵卒たちを赤々と照らした。
兵卒たちの嗚咽(おえつ)は号泣(ごうきゆう)となった。
その声は夜空に響き、満天の星たちをふるわした。

 北海道の友人が教えてくれた正岡子規の歌で締めくくります。
  真砂(まさご)なす数なき星のそのなかに我に向ひて光る星あり