木履(ぽくり)


       木履(ぽくり) 



 八七歳の恩師を囲んだクラス会は参加者は十人だったけど盛況だった。
 企画してくれたCちゃん、割り勘要員という名目で加わってくれたO、I、それに、わずかな酒で大声を張り上げる半端爺々の面倒を文句も言わずにして下さったお店の方々、それから、言い忘れたらあとが怖しい優しい女性軍よ、有り難うございました。
 『雪国』を二十回以上読んだというSとは、またも言い合いこになった。「そんな風やからややこしい生き方をしてしまうとたい。女の気持ちやら分からん振りをして戸惑っておけば長続きする。」(なんだか、のっけから何処かの学校の△山通信みたいになってきた。でも、気づかないふりをするのも貴重な優しさ。)とはいうものの、一連の近代史ものが終わったら、友情の証しに五十数年ぶりに読んでみる。『津軽』同様なにか新しい発見があるかもしれない。

 先生は教え子たちに校歌を歌うように要求する。──魚津でもそうだったな。「ミチト歌え!」──
 ──歴史は遠し三千年 光遍き大御代に・・・見よや燦たる校章は朝日に匂う山桜
 教員と生徒の合作なのだそうだ。
 「ヨウシ、匂う、ちゃ何か?」
 「匂いというのはこの場合は鼻でかぐものではなく目で見るまぶしいほどの美しさを言います。」
 「ヨウシ、さすがは国語の先生!」
 (もう引退したんですけど、、、。)
 「なんで山桜なとか? 本居宣長はなんで大和心を山桜に喩えたとか?」
 「サクラ、サクラ、彌生の空は見渡す限り、霞か雲か、ちゅうでしょ? 山桜はぜんぜん目立たんで満開になっても霞か雲と間違えられるぐらいぼうっと見えるとです。だから、目立つ様なことは一切期待せず、己が義務と思うことを確実に果たして自足する精神を、本居宣長は山桜に喩えたとです。」
 「ウーン。よかろう。じゃ、ソメイヨシノと山桜はどう違うとか?」
 「ソメイヨシノは花が先に咲きます。花が散ってから葉が出ます。でも山桜はですねぇ、葉と花が同時です。」
 「ちょっと違う。山桜は葉が先に出る。花はあと。その代わりじっくり咲く。ソメイヨシノはパッと咲いてパッと散る。」
 「はあ、」
 先生は突然「遠き別れに耐えかねて、、」を歌い出す。教え子たちもそれに続いて斉唱する。
 ──君がさやけき目の色も、君くれなゐの唇も、君が緑の黒髪も、」
 たしか前後三回も歌わされた。
 「緑の黒髪ちゃ何か? どうして黒髪が緑なとか?」
 (こんなシツコい人とは思っていなかった。坦々と受験英語を教えながら、こんなことを考えていたんだ)
 「みどり児ちゅう言葉がありますから、?みどり?は色ではなくて、初々しさや若さを表しとぉっちゃないとですか?」
 (日本語の色は、以前?白馬?で「どうして?白?が?あを?なのか」についてウンチクを傾けた様に実にややこしい。 )
 「ウーン。も少し行け。生命力じゃ。緑の黒髪はイキイキした黒髪なったい。」
 ──先生の言いたいことが分かった! 山桜のほうがソメイヨシノより生命力に満ちとる。粘り強く生きるとが大和心ぞち言いたいとばい。
 ──お前たちはまだヒヨッコじゃ。まだまだこれからジックリと葉を茂らせれ。花を咲かせるとはずっと後ぞち先生は言いよんしゃぁとやね。
 「先生まかせといて下さい。オレたちはしぶとく長生きします。先生もですよ。」
 「オウ、お前たちはオレにとって特別の生徒じゃ。」 
 「これからがオレたちの黄金の十年ぞ!」
 「オウ! よう言うた!」


 それから越後湯沢の話に変わったのは、Sが『雪国』にこだわっていたからだろう。
 その先生の話は次のようなものだった。


昔、越後湯沢に匂いたつほどに美しい娘がいた。
娘は両親を知らずに育ったが、優しい祖父母と兄たちに守られて健やかに成長した。
村の男たちは彼女のまばゆさに誰も声をかけることが出来ずにいた。
娘は年頃になっても一度も男から言い寄られないのを気に病んでいた。
まだ鏡というものを知らなかった頃のことである。

ある年の夏祭のとき、隣村から来た若者が、一緒に踊ろうと誘った。
娘は天にものぼる気持ちになった。
祭が終わったあと若者は、来年の春、雪が融けたら迎えに来ていいか、と娘に言った。
娘は大きくうなづいた。

秋がきて冬になった。

雪が降り続き、みな家に閉じこもっているしかなかった。
家族の話題はしぜんに隣村の若者のことになった。
「早く春が来てくんろ」
しかし、越後湯沢の冬は長かった。
毎日毎日雪が降り続いた。

ほんとうに春が来るのか。
それ以上に、あの人は本当に迎えに来てくれるのか。
娘はしだいに悩み始めた。
そして焦りはじめた。

ある日、娘は、隣村に行ってみると言い出した。
驚いた家族は、吹雪になるかも知れないからと引き留めようとした。
しかし、寡黙な娘が一度言い出したら決して引こうとしないことを良く知ってもいた。

娘は、親が、形見に、と娘に残した木履を出してきた。
「そんなもん危ねぇから、せめて雪ぐつを履いていけ。」

娘は拒んだ。
女の子に恵まれたことを喜んで親が買ってくれていたという木履以外、彼女は何一つ華やかなものを持ち合わせていなかった。

木履での雪道は難渋した。
それでなくとも覚悟していた道中は少しも進まなかった。
しかも家族の言ったとおり次第に吹雪き始めた。

寒かった。
暗くなってきた。
方角があやしくなっていった。
泣きそうになるのをこらえながら、それでも先に進もうとして転んだ。
「ひゃっ。」
足から外れた木履を手にした娘に絶望感が襲った。
片方の鼻緒が切れていた。

「会えない。」

彼女は泣きながら引き返した。
「会えない。」
それは、もう一生会えないことのように思えた。

吹雪は何日も続いた。
娘は食事も喉を通らず、口もきけずに過ごした。
家族はただ黙って見守っているしかなかった。

雪も風も止み、明るい陽がさしてきた日。
娘は木履のことが気になって、も一度あの場所に出かけた。

木履はなかなか見つからなかった。
見つからなければ見つからないほど、鼻緒が切れたとは言え、あの木履が、自分と若者を結びつける唯一のたよりのような気がした。
この辺りだったはずだと雪を払っているうちに、
「あった!」
木履を見つけた。

手にした木履には真新しい赤い鼻緒が付け替えられていた。


 先生の話の記憶はそこで途切れている。
 先生が酔ってしまったのか、自分が限界を越えたのか、あるいはその両方か、もうその記憶も当然のようにない。ただ、新しい鼻緒の赤さはいまも、それこそ「みどりの赤」と呼びたいほど鮮やかに甦る。
 だから、その記憶が新鮮なうちに、先生の話を完成させたい。


「あの人だ。あの人は虫の報せで吹雪のなかを私を探しに出てきたんだ。そして鼻緒の切れたこの木履を見つけて、付け替えてくれたんだ。──春になったら必ず迎えにいくから待っていろ──と私を励ますために。」
娘は、若者の冷え切った手を温めるかのように、そうっとその木履を胸に入れて抱きしめた。。
そして涙が頬を伝わるのも気にせずに家に戻った。

もちろん、
春になり、雪がとけるとすぐ、若者が晴れやかな顔で娘を迎えにきた。
家族からの心のこもった風呂敷包みを抱えて出てきた娘は、赤い鼻緒を若者に見せて微笑んだ。
夫となるべき若者は左右の鼻緒が片々なのに気づき、「どちらかと似た布ぎれが家にあるかなぁ。」と思いつつ微笑みを返した。
村の若者は最後まで娘に声をかけることなく、まぶしそうに二人を見送った。



附記
 散会が近づいた頃、小学校以来の同級生が話しかけてきた。
 「アタシ、もういつ死んでもいいと思いよった。ばってん、未練を残しながら死ぬのもいいかなあと思うようになってきた。」
 「そら良か。是非そうしぃ。」
 「うん。」

附記2
  
 『雪国』を二十回以上読んだという男は「国境は?こっきょう?か?くにざかい?か」と議論をふっかけてきた。「オレは?くにざいかい?と読む。」
 教員だった頃、文学史で「新感覚派」が出てくると、そこを材料にして説明していた。
 「?国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。夜の底が白く光った?という文章は、時間の順番がむちゃくちゃだ。」 
 時間順に直すと、
 長いトンネルを抜けた→夜なのに地面が白く明るいのに戸惑った。→雪だ。雪が積もっているんだ。→オレは別の国に来たんだ。
 長いトンネルはこの場合、時間も価値観も、もちろん人間関係もまったく別々のふたつの世界をつなぐ幽界のような役割をもっている。だから、『雪国』の場合は、天城トンネルのような?くにざかい?ではなく、?こっきょう?の方がふさわしい。
 あとは、向こうに行ってからご本人に聞くしかないが。訊いたら、あの目玉でギョロッと睨まれそうな気がする。
       2017/06/06


追記
 これを送った岩手出身の友人からメールが届いた。
 「一晩に1mも2mも湿った雪が積もる地方で、あの話は成り立たない。第一、下駄では歯の間に雪が挟まって団子状になり数歩も歩けない。」
 御説御尤も。
 ただ、後半の方は、実は先生の話では下駄だったんだが、自分も同じことを感じて木履にしたのではありますが。