ことば補遺

こ と ば

──W・オーデン──
○大人と子どものちがいは一つしかない。子どもは自分が誰かを知らない。大人は自分が誰かを知ってしまった人間だ。
 自分の悩みごとを人に打ち明けても、それが軽くなるわけではないと悟ったとき、人ははじめて子どもであることをやめるのだ。
 自分の存在なんて無用のものだということを喜びたまえ。そして、しかも悶々と歩きたまえ。そうして、自分が誰であるかを思い出したまえ。 
                         
──ハックスリー──
○われわれが手に出来る最良のものはナッシングなのだということを私は残念に思わない。なぜなら、人生は生きるに価するものだということは、何によっても証明できない信念だからだ。
 どんなことよりも大切なのは一人の人生だ。一人の人生とは、自分の家にいて鼻などをいじりながら、日の沈んでゆくのを見ている、そういうものだろうね。                           
──デイモン・ラニアン『野郎どもと女たち』──
○公園には鳥がたくさんいて、ぼろを着た老人が手にわずかばかりのポップコーンの袋を握っていた。「デイモン、あの老人はただ孤独なだけだと思うか? あの老人が誰か知っているか? オレたちさ。オレたちはあの老人なんだ。」  

──コンラッド・エイキン──
○心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。


─ソートンワイルダー──
○文学は遺産相続争いではなく、聖火リレーに似ている。
○人生にもっと自由に、もっと深く参加したい。


──グレアム・スウィフト『ウォーター・ランド』──
○強そうな相手と立ち向かわなくてはならなくなった時は、「こいつだって赤ん坊の時はママのおっぱいにむしゃぶりついていたんだ。」と思え。

──エウリピデス──
○みのり豊かな穂のごとき人生は刈りとられ、そうでないものは取り残される。
                        
── 山口 薫 ──
○世界は美しい無だと思う。          
──長谷川?二郎──
○現実は精巧につくられた夢だ。
洲之内徹氏が私の画を「この世のものとは趣さえある」と言うとき、私の気持ちを他の方向から感知していると思う。
 私の考えでは、「この世のものとは思われない」のは目前の現実で目前にある現実が、「この世のものとは思われない」ような美に輝いている事実です。
○よい絵は絶えずよい匂いを周囲に発散する。 

──ジョルジョ・モランディ──
○わたしたちが実際に見ているもの以上に、もっと抽象的でもっと非現実的なものは何もない、とわたしは信じています。
○コップはコップ、木は木であるということしか、わたしたちは知ることはできないのです。
──?──                      
○全人類はひとつの夢しか見ていないのではないか。それが個々人のフィルターを通したとき、違う見え方をしているのだ。
──ヘラクレートス──
○地の死は水になることにあり、水の死は空気になることにあり、空気の死は火になることにあり、そしてまた、その逆も。   

──ベネディクト・アンダーソン──
○ We may note the courege have come from memory--the way of one's origin.
One grows up by growing back
人はおのれを遡ることによって成長する
人は成長し直すことによって成長する
──ヴァルター・ホリチア ──                   
○科学研究はリアリスティックな言語で行われる。科学者はすべての人に受け入れられる結果を得ようとしているのであって、もし滅菌した言語と厳密な論理だけを採用していたら、科学者はどこへもたどりつけなかったはずだ。
                        
──レオン・ブランシュヴィック──
○もっとも宏大な理念でさえ、それを実践に移すためには、偏狭さと排外主義の力を借りるほかない。
──レヴィナス──                   
○「歴史的理性」は、あとになってから(絶対的なものを)照らし出すのである。遅れてやってくる明証性、それがおそらくは弁償法の定義なのだ。
○真理が彷徨の条件であり、彷徨が真理の条件である。・・これは同じことを前後入れ替えて言っているだけだろうか?われわれはそうは考えない。
ブランショにとって文学とは、流浪性という人間の本質を呼び覚ますものなのだ。
○私は幸福な人間だと思われてきた。しかし、幸福の経験と、幸福の記憶から、わたしは幸福なしでも生きられる術(すべ)を学び知ったのだ。
──モーリス・ブランショ──
○存在すること、それは語ることに等しい。ただし、いかなる対話相手も不在であるところで語ることである。※これがもっとも的確な実存主義の定義ではないか。
○始まりのかわりに、原初の空虚のごときもの、物語が開始することを促すような力感にあふれた拒否がある。
○ひとはいつも捉えられる。いつもいきなり捉えられる。なにものもシステムの明証性から逃れることはできない。
○流浪とは定住を目指す移動のことではない。それは大地との還元不能な関係の仕方である。それは場所なき滞留だ。芸術がそこへと指し招く暗がりを前にしたとき、・・・「自我」は通底の地、匿名の「ひと」のうちに解消する。
                    
   
──マーカス・リィ・ハンセン──
○二世が忘れたいと思ったことを、三世は思い出したいと思う。

──堀江 敏幸『ジョルジュ・ペロスの方へ』──
○書くという行為にはさまざまな誤解がまとわりついている。あまりにも多くの人が、書くことには才能が必要だと思いこんでいる。しかし、それは全く違うと、ペロスはこれからも繰り返すだろう。書くことは「奇妙な隷属状態に反する」ことであり、問題は才能の有無とは別に、つねに螺旋を描いて、中心がぽっかりと空いていることころに身を置きつづける勇気があるかどうかなのだ。

──保田 與重郎──              
○内容や意味をなくすることは、雲雨の情を語るための歌文の世界の道である。
                        
──ステファン・マラルメ── 
○詩=ロゴスのなかに整序されたものを(もいちど)散乱させること

──エリー・フォール──
セム人は去勢されなければならなかった

──福岡伸一──
○生命には部品がない

──ボンヘッファー──
○神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる。

──ケン・リビングストン──05年7月ロンドン同時多発テロ直後ロンドン市長──
○君たちは恐れている。ずっと目指してきた、われわれの自由な社会を破壊するという目標がかなわないかもしれないということを。なぜ君たちが失敗するか。それは、こういうことだ。・・・
 君たちの卑怯な攻撃があった後でさえ、地方から、世界から、人びとはロンドンにやってくるだろう。・・・
 自由になるために、自分の選んだ人生を生きるために。自分自身になるために。・・・
 誰もロンドンを目指す人びとの流れを止めることはできない。ここでは自由が保証され、人びとが調和とそもに生きられる。君たちが何をしようと、どれほど人を殺そうと、君たちは敗北するだろう。


ジャコメッティの日記より──矢内原伊作訳──
○私は今、12歳だった頃とほぼ同じ地点にいるように思う。ただあの頃はすべてが容易に思われていたが、今はすべてが困難に、ほとんど不可能に思われる。
○真実がときとして幽霊のように姿をあらわす。私はもう少しでつかまえられそうだと思う。それからまた私はそれを見失ってしまう。だから私は再びはじめなければならない
○こころみる。それがすべてだ。
○けさは七時まで記憶で仕事をした。そして幾つかのことを発見した。昨日まではまったく違っていた。今日こそ真実に近づくことができるだろう。
○今日はずいぶん進歩した。しかし、まだ全部が嘘だ。見えている顔はこんなものではない。明日こそは少しは正しく描くことができるだろう。早く朝になればよい!!
○私は一脚の椅子のデッサンだけで一生を過ごせることを知っている。
                    ──ジャコメッティー──


タチアナ・ソコロワ・デリューシナ(ロシア語『源氏物語』を一人で全訳)
・人によって創造されたものはすべて、世界に向けられた、ある種の呼びかけだ。
・物語が生まれるのは、人が自分のまわりで怒るすべての事をじょっと観察し、、、自分の胸ひとつには納められそうにないと分かる時、、、自分が観察したものを後世の人と分け合いたいという欲求が生まれる時なのだ。 ──紫式部について──
・人は過去と未来の結び目にすぎない。
この世のすべては言い尽くされている。しかし、限りなく捕らえ難く、言い古されない新たなニュアンス、新たな意味合い、それが「もののあわれ」なのだ。古今集ひとつをとっても、どの歌もすでに言い古されたものだけれど、どれも言い尽くされていないものに限りなく近い。
・「もののあわれ」は、ものごとを境目で捕らえようとすることだ。
・芸術とは「何を」ではなく、「いかに」なのだ。               ・人生は下書きなしの清書だ。
紫式部が生きたのは遠い昔のはるかな日本だけれど、今、私は、昔、彼女が眺めたのと同じ月を眺め、彼女が書いた作品を読んでいる。──これって、永遠に触っていることなのではないか。
・1980,6,17。今日、サーシャと鬼ごっこをした。隠れるなり彼は「ここだよ。ここだよ。」と大声をあげはじめる。
・私たちは、中身をけちったロール・キャベツみたいに、みすぼらしく、背中を丸めて歩いていた。
・雪ダルマは、春の遊び。
   
──フェート──
○古(いにしえ)の歌の調べが幾世紀もの層ををくぐり抜けて、、、、不意に傾ける支度のできた耳に飛びこんでくる。
──ナボコフ──
○人生は一瞬、自分自身をほかのすべての人たちの中に、溶かし込んだだけ。
                       
──ピカソ──
○科学者は全生涯をもって角砂糖ひとつの性質を解明しようとする。私が人生で知りたいことはただひとつ。色とは何かだ。    
──ヴァン・デル・ポスト──
○人間は、自分が知っていると思っている以上のことを知っている。
──中野重治『五勺の酒』──
○少年らが、古い権威を鼻であしらうことだけを覚え、彼ら自身は権威となるところへは絶対出てこぬというあの悪い癖こそ頽廃なのだ。
                    
──榊原英資──
○教育とは孤独になることを教えるプロセスのはずだが、日本はそれをしない。
○デギュレーションとは、まだ残っている何かを壊してゆくプロセスである。アメリカをはじめとして、インドネシアも韓国も伝統的にあったものをデギュレーションの過程で次々に壊した。そのあとにあるものは「マーケット」である。
                         
──白州正子──
○か弱く、はかないものには、それなりの辛抱強さと、物事に耐える力を神さまは授けてくださる。思想とか理念とか呼ばれているものを、それとはほど遠い曖昧な日本語を用いて、たどたどしい文章で書くことを私は少しも恥じてはいない。
                         
──倉夫──
○われわれは永遠に、「自分からの脱出」と「自分への脱出」を同時に行いながら生きている。                    
○人間は自分自身のつくるものだけしか理解できない。 
○文明は収斂を目指し、文化は差別化を目指す。
○鉄は熱いうちに打て、打つときは鉄よりも強く打て。
○上の連中のしていることに口出ししても仕方がないという態度は、たとえば北朝鮮の人々とどこが違うのか。
○ものにさわれ、ことにさわれ、社会にさわれ、少なくとも幼いとき私たちは「愛」にさわっていたはずだ。

──アーネスト・ヘミングウェイ──
○Each taime is new time
─ピーター・ゲード(デンマークのバドミントン元世界チャンピオン)─
○バドミントンに必要な要素には、体力的な面と、技術的な面と、精神的な面と、戦略的・戦術的な面とがある。だから僕はまだ強くなれると思っている。・・・調子が悪いときに、急に調子を取り戻す方法なんてない。調子が悪くてもくじけない芯の強さのようなものが必要なんだ。大切なのは、その調子の悪い自分を受け容れられるかどうかだと思う。だから僕は、調子が悪いときも嫌いじゃない。
  
──ゲーテファウスト』前田利鎌訳──
○存在は義務だ。たとえそれが刹那であったとしても。
           
──孔子──
○告朔の?キ(食気)羊は変ずべからず

──サンソム1950、12東京──
○今日日本の直面する問題は過去を振り返ってみても解決できない。日本は変化したが、まわりの世界も変わった。日本は現在あるがままの世界と関係しなければならない。日本の過去の経験は直接には役にたたない。
過去において最も偉大な政治上、経済上の進歩は漸進的かつ非計量的であり、厳密な意味で予見されないものだった。
慎重な歴史家は現在を規準にして過去を記述することを避けなければならない。
日本の政治体制が危急の場合に国民の利益に奉仕しえなかったのは、19世紀に適当な政治形態を採用しなかったからというよりも、その後の時期に状況判断を誤ったことによる。
政治の形式というものは、それを動かす精神に比べてはるかに重要ではない。
政治家の行動は一定不変の政治的原則を遂行する、あるいは新しい原則を提起するのではなくて、当面の目的を果たすためのものである。
               
──山折哲雄2013、10──
○谷川(健一)さんの一生をひそかにうかがうとき、氏は万葉の窓を通して日本人の始原を追い求めるとともに、他方で沖縄・琉球へと突き動かされる眼差しを通して親鸞的人生葛藤の海に泳ぎ出ようとして最後の姿が、あらためて見えてくるような気がする。
──小林秀雄──                    
○あらゆる思想は文体にすぎず、思想家の表情にすぎない。
──江藤淳──                    
漱石から志賀直哉に屈折していった日本の近代小説が、ふたたび屈折して小林秀雄において「批評」を生むにいたる過程の意味である。『Xへの手紙』の背後には明らかに『暗夜行路』があるが、その向こうにはおそらく『明暗』があぅ。漱石が発見した「他者」を、志賀直哉は抹殺しさることによって『暗夜行路』を書いた。そこには絶対化された「自己」があるだけである。小林秀雄はこの「自己」を検証するところからはじめた。
──パウル・クレー──バウハウス                    
○生成するいっさいのものの運動は特有のものだ。世界は存在するまえに生成し、未来に存在する以前に生成する。われわれは決してオートメーション工場などではない。
いかにして静止した状態の、また堅牢堅固な作品であっても、実体は運動である。
銃身から発射される弾丸の生み出す螺旋的直線軌道の長さは、理念そのもの、思想いそのものに共通している。
人間が肉体的には無力であるのと対照的に、精神的には、地上的な世界ならびに天上の世界を思うままに踏破する、人間のこの能力。半ば囚われ人にして、半ば翼を与えられた人。これこそが人間の根源的な悲劇性である。
誰ひとりとしてコロンブスの魚を発見しはしなかった。
赤とは何ではないのか? 赤はどこでその働きを止めるのか?
純化のいきつくところは、不条理な帰結、極限の貧困、生の喪失にいたる。
──堀田善衛──                    
○il y a cadavre entre eux.
○まったく違う領域へ問題を移し、対比して考える、といって思考法は、実はユダヤ人にとって手慣れた方法だ。
──舟越 桂──      
○すべての人がはじめての存在なんだ。
──ヨーゼフ──  
○女たちは、この世を更新するためにつかわされている。
                    
                    
チャトウィン
 ・「けっして芸術的であろうとしてはいけない」
・岩窟の聖母 
 ・ユンガーの日記のつづく一節は、戦争文学のなかでも醜悪さを争う描写である。  モネの初期の画風で銃殺隊を描いたらこうなるだろうか。
・ラヴェンシュタイン司令官が言った。
 「いつか、私の娘がすべての償いをする日がくる。淫売屋で、黒人相手に」
 ・ヒトラーの非凡さは、20世紀がカルトの時代だと気づいたことにある。
 ・エル・グレコ 聖ヴェロニカの聖顔
 ・世界で尤も麗しくもの悲しい邸宅のひとつ、ヴィッラ・マルコンテンタ(ブレンダ運河沿い)
 ・ブラックの釣り船のつながれた海岸風景──禅画のように徹底した引き算の構図。
 ・カワード「私生活 焼けぼっくいに火がついて」

ワイス・バーグ
 わたしに理論はない。あるのはただ事実だけだ。
ド・ゴール
 ・ヨーロッパ市場に参入したら、イギリスはだめになってしまう。そしてだめになってしまったイギリスが共同市場の一角を担うことに、われわれ大陸諸国はなんの魅力も感じない。『倒された樫の木』
トルストイ
 文豪の謦咳に接しても意味はない。すべては作品にこめられている。
チャラ・シン
 インディラはけっして眞實を語らない。間違っても!
──コンラッド・エイキン(1889-1973)アメリカの詩人
・心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。
           

白川静
・神話をもち、祭政的政治をしていた殷を倒した周は神話をもっていなかった。だから天命を持ち出す以外に王権の根拠を示すことができなかった。
・万葉の最終巻は、大伴家持の日記のようなものが大伴家に残されていた。(それをもとに作られている)。大伴家がなにかの疑獄事件で被疑者になって、家宅捜索されたとき時にそれが見つかった。
 もし、それがなかったら、「万葉集」は伝わらなかったかもしれない。そういう私的な性格のものであった。
・呪の思想 苗族→宗
・殷人が日本人と似ているように、南人も日本人と似ている。日本人を介して、殷と南がつながっていると想像することは楽しい。
・克己復礼=仁(仁とはその礼を己を投げ出してまで実践しつづけること←学び)=媒介者=徹すること=述べて作らず=原始から受け継いできた遺伝子が蠢きはじめる。

中沢新一
・農業も漁業も狩猟でも、その予測不能性こそが人間の労働を動機づけている。


内田樹
 ・ことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本条件です。

ユング
 ・ユダヤ的無もギリシャ的無もイスラム的無も仏教的無も老荘的無も、すべて自己顕現的志向性をもっている。(「ヨブへの答え」)
 ・ニーチェも世界大戦も同様に、19世紀に対する一つの解答であったが、しかしそのいずれも前に向かういかなるプログラムも提出しなかった。
 ・19世紀にしても、それは単なるローカル的一過性の現象であり、人間の古くからの心に比較的に薄い砂の層を沈めたにすぎない。――文化的現象としてのフロイト――
メルロ=ポンティ
 ・世界は一箇の神話である。
板垣正夫
 ・美は君臨するのに存在する必要さえない唯一の存在である。
ホワイトヘッド
 ・「自然の法則」などは存在しない。ただ自然についての暫定的な習慣があるだけだ。
 ・もし何人かの詩人たちが現代に生きていたとしたら、彼らは詩人にはならず、科学者になっていただろう。たとえばシェリー。
石田波郷()
・叙情詩から、文学からの袂別の決意表明をすることが俳句にあっては何より必要だった。 「俳句は文学である必要はない」
山本健吉
 ・俳句は挨拶だ。→西行に直結した唯一の歌人吉井勇

原田光
・目的をもってはじめても、どこかで目的を通り過ぎ、往々にして変な所へさまよって出て、今の自分からどんどん遠ざかってゆくような旅。 

クリス
・それを誰かと分かち合うとき、幸福は実現される。


西陵生へのことば

・大人と子どものちがいは一つしかない。子どもは自分が誰かを知らない。大人は自分が誰かを知ってしまった人間だ。
 自分の悩みごとを人に打ち明けても、それが軽くなるわけではないと悟ったとき、人ははじめて子どもであることをやめるのだ。
 自分の存在なんて無用のものだということを喜びたまえ。そして、しかも悶々と歩きたまえ。そうして、自分が誰であるかを思い出したまえ。 
  ──W・H・オーデン(1909-1973)詩人。イギリス出身で、のちアメリカに移    住した。『支那のうえに夜が落ちる』『1939年9月1日』
──キム・ナンド──
○人生で重要なことは最初の職場ではなく、最後の職場だ。
                        
              ソウル大学教授『つらいからこそ青春だ』
・科学者は全生涯をもって角砂糖ひとつの性質を解明しようとする。私が人生で知りたいことはただひとつ。色とは何かだ。    
     ──ピカソ(1881-1973)スペインの画家『ゲルニカ

・人間は、自分が知っていると思っている以上のことを知っている。
  ──ヴァン・デル・ポスト(1906-1996)南アフリカ出身。のちイギリスに帰化。        『失われたカラハリの世界』

・心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。
        ──コンラッド・エイキン(1889-1973)アメリカの詩人
・バドミントンに必要な要素には、体力的な面と、技術的な面と、精神的な面と、戦略的・戦術的な面とがある。だから僕はまだ強くなれると思っている。・・・調子が悪いときに、急に調子を取り戻す方法なんてない。調子が悪くてもくじけない芯の強さのようなものが必要なんだ。大切なのは、その調子の悪い自分を受け容れられるかどうかだと思う。だから僕は、調子が悪いときも嫌いじゃない。
  ─ピーター・ゲード(デンマークのバドミントン元世界チャンピオン)─

・存在は義務だ。たとえそれが刹那であったとしても。
              ──ゲーテ(1749-1839)『ファウスト』前田利鎌訳


・少年らが、古い権威を鼻であしらうことだけを覚え、彼ら自身は権威となるところへは絶対出てこぬというあの悪い癖こそ頽廃なのだ。
                    ──中野重治『五勺の酒』──


・われわれが手に出来る最良のものはナッシングなのだということを私は残念に思わない。なぜなら、人生は生きるに価するものだということは、何によっても証明できない信念だからだ。
 どんなことよりも大切なのは一人の人生だ。一人の人生とは、自分の家にいて鼻などをいじりながら、日の沈んでゆくのを見ている、そういうものだろうね。     ──オルダス・ハックスリー(1894-1963)イギリスの作家『島』

   
・人生は、神様がくださった特別休暇だ。
    ──ターシャ・テューダ(1915-2008)アメリカの絵本作家。園芸家


・強そうな相手と立ち向かわなくてはならなくなった時は、「こいつだって赤ん坊の時はママのおっぱいにむしゃぶりついていたんだ。」と思え。
           ──『ウォーター・ランド』グレアム・スウィフト


・世界は美しい無だと思う。          ── 山口 薫()画家 

・よい絵は絶えずよい匂いを周囲に発散する。   ──長谷川?二郎()画家
  
・わたしたちが実際に見ているもの以上に、もっと抽象的でもっと非現実的なものは何もない、とわたしは信じています。
         ──ジョルジョ・モランディ(1890-1964)イタリアの画家

・全人類はひとつの夢しか見ていないのではないか。それが個々人のフィルターを通したとき、違う見え方をしているだけなのだ。 ──  ?  


・書くという行為にはさまざまな誤解がまとわりついている。あまりにも多くの人が、書くことには才能が必要だと思いこんでいる。しかし、それは全く違うと、ペロスはこれからも繰り返すだろう。書くことは「奇妙な隷属状態に反する」ことであり、問題は才能の有無とは別に、つねに螺旋を描いて、中心がぽっかりと空いていることころに身を置きつづける勇気があるかどうかなのだ。
              ──『ジョルジュ・ペロスの方へ』堀江敏幸


・人によって創造されたものはすべて、世界に向けられた、ある種の呼びかけだ。
        ──タチアナ・ソコロワ・デリューシナ()
         『源氏物語』を一人でロシア語に全訳して出版した


・君たちは恐れている。ずっと目指してきた、われわれの自由な社会を破壊するという目標がかなわないかもしれないということを。なぜ君たちが失敗するか。それは、こういうことだ。・・・
 君たちの卑怯な攻撃があった後でさえ、地方から、世界から、人びとはロンドンにやってくるだろう。・・・
 自由になるために、自分の選んだ人生を生きるために。自分自身になるために。・・・
 誰もロンドンを目指す人びとの流れを止めることはできない。ここでは自由が保証され、人びとが調和とそもに生きられる。君たちが何をしようと、どれほど人を殺そうと、君たちは敗北するだろう。
──2005年7月ロンドン同時多発テロ直後、ロンドン市長ケン・リビングストン


・地の死は水になることにあり、水の死は空気になることにあり、空気の死は火になることにあり、そしてまた、その逆も。                         ── ヘラクレートス ──


・私は一脚の椅子のデッサンだけで一生を過ごせることを知っている。
              ──ジャコメッティー(1901-1966)スイスの彫刻家

・人はおのれを遡ることによって成長する
       ──ベネディクト・アンダーソン()『想像の共同体』『言葉の力』


・人生は一瞬、自分自身をほかのすべての人たちの中に、溶かし込んだだけ。
                       ──ナボコフ──
・文学は遺産相続争いではなく、聖火リレーに似ている。
    ──ソートン・ワイルダー(1897-1975)アメリカの劇作家『わが町』


ことば補遺
白川静
・神話をもち、祭政的政治をしていた殷を倒した周は神話をもっていなかった。だから天命を持ち出す以外に王権の根拠を示すことができなかった。
・万葉の最終巻は、大伴家持の日記のようなものが大伴家に残されていた。(それをもとに作られている)。大伴家がなにかの疑獄事件で被疑者になって、家宅捜索されたとき時にそれが見つかった。
 もし、それがなかったら、「万葉集」は伝わらなかったかもしれない。そういう私的な性格のものであった。
・呪の思想 苗族→宗
・殷人が日本人と似ているように、南人も日本人と似ている。日本人を介して、殷と南がつながっていると想像することは楽しい。
・克己復礼=仁(仁とはその礼を己を投げ出してまで実践しつづけること←学び)=媒介者=徹すること=述べて作らず=原始から受け継いできた遺伝子が蠢きはじめる。

中沢新一
・農業も漁業も狩猟でも、その予測不能性こそが人間の労働を動機づけている。


内田樹
・ことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本条件です。

ユング
ユダヤ的無もギリシャ的無もイスラム的無も仏教的無も老荘的無も、すべて自己顕現的志向性をもっている。(「ヨブへの答え」)
ニーチェも世界大戦も同様に、19世紀に対する一つの解答であったが、しかしそのいずれも前に向かういかなるプログラムも提出しなかった。
・19世紀にしても、それは単なるローカル的一過性の現象であり、人間の古くからの心に比較的に薄い砂の層を沈めたにすぎない。――文化的現象としてのフロイト――
メルロ=ポンティ
・世界は一箇の神話である。
板垣正夫
・美は君臨するのに存在する必要さえない唯一の存在である。
ホワイトヘッド
・「自然の法則」などは存在しない。ただ自然についての暫定的な習慣があるだけだ。
・もし何人かの詩人たちが現代に生きていたとしたら、彼らは詩人にはならず、科学者になっていただろう。たとえばシェリー。
石田波郷()
・叙情詩から、文学からの袂別の決意表明をすることが俳句にあっては何より必要だった。「俳句は文学である必要はない」
堀田善衛
・俳句は挨拶だ。→西行に直結した唯一の歌人吉井勇
・il y a cadavre entre eux.

原田光
・目的をもってはじめても、どこかで目的を通り過ぎ、往々にして変な所へさまよって出て、今の自分からどんどん遠ざかってゆくような旅。 

クリス
・それを誰かと分かち合うとき、幸福は実現される。

丸山豊
 日は沈むすでに冷えたる雉の胸(「月しろの道」)
富安風生
 藻の花やわが生き方をわが生きて
司馬遼太郎
 遺伝子は畏くもあるか父母未生の地にわれは立ちたり
榊美代子
 池の岸五位鷺一羽みじろがず飛び立つ先を考へてゐる
高木佳子
 ふきのたう、つくし、はこべら、春の菜の人ふれざればいよよさみどり
美智子
 里にいでて手袋買ひし子狐の童話のあはれ雪ふる夕べ
佐藤舞
 今日もまた父の形見のマフラーをきりりと巻いて校門くぐる
 スカートの丈気にしつつ家を出るこの日常も残りわずかか

西脇順三郎
 この水鳥の歴史も普通の現象の
 なめらかさに終わる
穂高等学校校訓
 否、ためらふことなかれ
 気高さを求むることを

江藤淳の言っていることは理屈だ。文章だから理屈を書くしかない。しかし、小林秀雄のすごいところは理屈を書かなかったことだ。「オレは批評家じゃなかった。詩人みたいなものだった。」という述懐には、てらいも韜晦もない。それが彼の表現だった。それを理屈として読もうとしたものは屁理屈だけが見え、小林秀雄を嫌うようになる。
じゃ、理屈じゃなかったら何なんだ?
それはこれからゆっくり考えよう。時間はたっぷりとある。

エリオット1888(明21)〜1965(昭40)
三好達治 1900(明33)〜1964(昭39)
オーデン 1907(明40)〜1973(昭48)
中原中也 1907(明40)〜1937(昭12)



語録
白川静井筒俊彦はそれぞれ独自の歩みの末に同じような地平を見た。白川は地下を掘りつづけ、井筒は天空をさまよい。白川は文学的に、井筒は哲学的に。
レヴィナスにおいても他者は自分の正面にいる。しかし、われわれにとっての究極の他者はつねに斜めうしろにいる。
 われわれにとっての究極の他者とは「見る」「見つめる」ものではなく、ただ気配を感じるものなのだ。

語録

・鉄は熱いうちに打て、鉄を打つときは鉄よりも強く打て。
・ものに触われ。ことに触われ。空気に触われ。
・卵を割らなければ、オムレツをつくることはできない。
・リリシズムとは、言いおおせようとして言いおおせないもどかしさの感覚の響き合いのことである。
・ヘレンケラー
 ことばは宝石以上に貴重なものだ。大抵の宝石は金の力で自分の所有物にすることができる。しかし、他者が発したことばを自分の所有物にすることはできない。わたしたちが所有できるのは自分が発したことばだけである。しかし、自分が発したことばはすでに「私」のものではなく公のものである。しかしさらに、わたしたちはホントは自分のことばしか理解できない。
 ものごとは大抵、四捨五入して考えるしかない。しかし、頭がいいつもりの人はこの四捨五入をする蛮勇がたりない。いっぽう文学は、その四捨五入によって切り捨てられた部分にきらめきを見出し、それをさらに輝かせる。君たちの学んだ平安女流文学はその典型例である。
語録

勝利者には優勝カップを抱きしめる権利がある。
 眞の敗者には自分の人生を抱きしめる権利がある。
 眞の敗者とはなにか?本気で最後まで闘いつづけた者のことである。
・鉄は熱いうちに打て、鉄を打つときは鉄よりも強く打て。
・ものに触われ。ことに触われ。空気に触われ。
・卵を割らなければ、オムレツをつくることはできない。
・リリシズムとは、言いおおせようとして言いおおせないもどかしさの感覚の響き合いのことである。
・ヘレンケラー
・ことばは宝石以上に貴重なものだ。大抵の宝石は金の力で自分の所有物にすることができる。しかし、他者が発したことばを自分の所有物にすることはできない。わたしたちが所有できるのは自分が発したことばだけである。しかし、自分が発したことばはすでに「私」のものではなく公のものである。しかしさらに、わたしたちはホントは自分のことばしか理解できない。
・ものごとは大抵、四捨五入して考えるしかない。しかし、頭がいいつもりの人はこの四捨五入をする蛮勇がたりない。いっぽう文学は、その四捨五入によって切り捨てられた部分にきらめきを見出し、それをさらに輝かせる。君たちの学んだ平安女流文学はその典型例である。

ブッダはただ「止まるな、歩みつづけなさい」と言ったのだ。歩みつづけることはわたしたちの義務だ。
・「人は自分が知っている以上のことを知っている」(ヴァン・デル・ポスト『カラハリの失われた砂漠』)それなのに、義務が増えることを嫌がって知らないフリをしている者は卑怯者(カワード)だ。
・私たちが社会的生物であり、歴史的存在である以上、私たちは時代に拉致されるしかない。その上で思う。
・この世界は、風と光と土の三元素からなっている。だから、私たちは生を終えたのち、その風と光と土にもどる。その風と光と土という三元素が融合したとき水がしたたりおちる。同じ三元素が昇華したときい火があらわれる。水と火は物質ではなく現象である。
・この文明はエレメントを物質化する望みから興った。
しかし、エレメントが物質化されるにはなお少なくとも数万年が必要だ。あるいは数千万年が。たとえそれが神というたったひとつのエレメントであったとしても。


白川静井筒俊彦はそれぞれ独自の歩みの末に同じような地平を見た。白川は地下を掘りつづけ、井筒は天空をさまよい。白川は文学的に、井筒は哲学的に。
レヴィナスにおいても他者は自分の正面にいる。しかし、われわれにとっての究極の他者はつねに斜めうしろにいる。
 われわれにとっての究極の他者とは「見る」「見つめる」ものではなく、ただ気配を感じるものなのだ。

・地べたに寝きる。
ユダヤ人にとっては、時間の正体、それが神だったのではないか。

抽象 解体 聴いた 危急

・おもしろい人やなあ 三浦義一日記
 尾崎四郎の三浦義一
吉田健一 時をたたせるために
ヴァージニア・ウルフ ある作家の日記 
黒竜江への旅
文藝春秋 美智子さま
・ヨーロッパのはじまり

ブッダはただ「止まるな、歩みつづけなさい」と言ったのだ。歩みつづけることはわたしたちの義務だ。
・「人は自分が知っている以上のことを知っている」(ヴァン・デル・ポスト『カラハリの失われた砂漠』)それなのに、義務が増えることを嫌がって知らないフリをしている者は卑怯者(カワード)だ。
・私たちが社会的生物であり、歴史的存在である以上、私たちは時代に拉致されるしかない。その上で思う。
・この世界は、風と光と土の三元素からなっている。だから、私たちは生を終えたのち、その風と光と土にもどる。その風と光と土という三元素が融合したとき水がしたたりおちる。同じ三元素が昇華したときい火があらわれる。水と火は物質ではなく現象である。
・この文明はエレメントを物質化する望みから興った。
しかし、エレメントが物質化されるにはなお少なくとも数万年が必要だ。あるいは数千万年が。たとえそれが神というたったひとつのエレメントであったとしても。


白川静井筒俊彦はそれぞれ独自の歩みの末に同じような地平を見た。白川は地下を掘りつづけ、井筒は天空をさまよい。白川は文学的に、井筒は哲学的に。
レヴィナスにおいても他者は自分の正面にいる。しかし、われわれにとっての究極の他者はつねに斜めうしろにいる。
 われわれにとっての究極の他者とは「見る」「見つめる」ものではなく、ただ気配を感じるものなのだ。

・地べたに寝きる。
ユダヤ人にとっては、時間の正体、それが神だったのではないか。

抽象 解体 聴いた 危急

・おもしろい人やなあ 三浦義一日記
 尾崎四郎の三浦義一
吉田健一 時をたたせるために
ヴァージニア・ウルフ ある作家の日記 
黒竜江への旅
文藝春秋 美智子さま
・ヨーロッパのはじまり

平松礼二 夕映えの秋 睡蓮序曲
 植木茂1913T2〜1984S59彫刻

bully 弱い者いじめ
coward 卑怯者
コラグラフ
ディアボロ鼓形独楽
院子ユワンズ

1962S37全米平均所得2366ドル

・デルスゥウザーラ 長谷川四郎
小山いと子 オイル・シェール
・アレクセーエフ ウスリー探検記
菊池寛 満鉄外史 話の屑籠
・北條秀一 十河信二と大陸
加藤新吉 宣言文 



映画
 大地と自由
 ナージャの村
 アレクセイの泉
ブルース・チャトウィン
 ブラックの釣り船のつながれた海岸風景 徹底した引き算の構図


 ユンガー 放射
      大理石の断崖の上で
      日記 つづく一節は、戦争文学のなかでも醜悪さを争う場面である。モ     ネの初期の画風で銃殺隊を描いたらこうなるだろうか。
     ラヴェンシュタイン司令官 いつか、私の娘がすべての償いをする日がく                 る。淫売宿で、黒人を相手に。
 ツェラン
 ヨナス回想記
 ライシャワー ザ・ジャパニーズ
 サンソム 日本文化史
 松本佐保 バチカン近現代史
 勝田主計 菊の根分け
 小林秀雄 本居宣長補記
 河盛幸蔵 静かなる朝
 バッカイ
 ランボー詩集 岩波 中原中也
 一青妙 ママ、ごはんまだ?
 オイエ ロシアのオリエンタリズム
五百旗頭真 日米戦争と戦後日本
白石一郎 銭の城 甲斐巳八郎
隠れキリシタンの聖画 小学館
クリストファー・ソーン 松岡洋右
トルクノフ 朝鮮戦争の謎と真実
マラパルテ 壊れたヨーロッパ
久保田万太郎 春泥・三の酉
大岡昇平 朝の歌
丸岡明 静かな影絵
古川けんイチロウ 老子こうたん
半村良 産霊村秘録
スペイン市民戦争 みすず
サラエボ・ノート みすず
希望の敷居をまたぎつつ Crossing the threshold of hope
シャガール旧約聖書
ゴーギャンの手紙
ゴーギャン手稿 タヒチ・ノート
ギネア 自画像の中の画家たち
ミロとの対話 美術公論社
フランシス・トムソン
落日頌 Ode to the setting sun
ゴーチェ 蜻蛉集
クローデル マリアへのお告げ
バーネット 白い人々
岡崎武志 昭和三十年の匂い
小池真理子 玉虫と十一の掌編小説
シュタルケル自伝 チェリスト
パウル・クレー 造形の宇宙
青木和夫 奈良の都
保坂和志 考える練習
Sセンセイのこと 尾崎俊介
坂口安吾小林秀雄 伝統と反逆
対談昭和史発掘
ロバート・バイロン オクシアーナへの道 駅
柴田基孝 水音楽 耳の生活
必読 小山いと子 オイル・シェール
長谷川四郎訳 デルスゥ・ウザーラ
北條秀一 十河信二と大陸
徳川無声 天鬼将軍 簿益三
加藤新吉 三奈木村長  

音楽
     ショパンの最後の曲 マズルカ
     高山まさ子 下館女子高等学校校歌 

映画
 大地と自由 ケン・ロー
 ナージャの村 アレクセイの泉

音楽
 ケヴィン・ヴォランズ弦楽四重奏ソングライン クロノスカルテットone9
 普門義則 城山 屋島



ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』
GFsへ
 ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』を読んだ。いい本だった。ひとりの人間がなしえたことと、なしえなかったこと。その間に彼が考えたことと、したこと。そして、その間に彼が感じたことと、感じなかったことが、ほぼ時間の順序にそって要領よく語られていく。訳語もいい。それはたぶん、訳者の手柄というよりは、原著者ジョナサン・ハスラム(E・H・カーの晩年のアシスタント)の英語がいいのだろうと思う。
 題名は、徹底的なリアリストとしてのカーと、ロマンティストとしてのカーは二重人格だったのではなく、むしろ、カーはそのごく自然な人間性を失うことがなかったことを意味している。そのロマンとは、ひとことで言えば、「人間の歴史は進歩していく」という展望だったらしい。そうでなければ歴史学は成り立たない。しかし、その展望がが現実の前に潰えたとき、かれの人生もまた終焉を迎えた。その残酷さを、じつに丁寧に(個人生活の部分も含めて)、しかも簡潔に描いている。
 その筆致は、読者にかれの仕事部屋にいるかのような臨場感をもたらす。とくに最晩年の、親友だったドイッチャーの妻との協働は、そこだけでも映画にできるのではないかと感じた。いや、イギリスのことだから、そんなに遅くない時期に映画化されるのではないだろうか。
 カーはリアリストでありつづけるために自分から敗北を選んだ観がある。だが、カーの言おうとしたこと、伝えようとしたことは、いまも傾聴するに値する。ではあるが、彼自身の著作は、『歴史とは何か』(岩波新書)だけにしておこう。そこから先は、こっちの能力を超えている。

 本当ならしばらく手許に残しておいて、も一度拾い読みをしながら反芻したかったが、図書館から借りたのもだから返すしかない。
そのかわり下に、その一部分だけ抜き出す。
ただし、それらは彼の仕事の主要部分ではない。

『誠実という悪徳』 E・H・カー
 「歴史学とは何についての学問か、この答えを発見する最も良い方法は、実際に歴史を書いてみることだと私が考えるとしたら、それはたぶん、生まれながらの私のイギリス的な経験主義のせいでしょう。あなたもそうあって欲しいと思います。そして、あなたが書こうとするものが、観念や思想の歴史であるとしたら、ぜひ、その社会的・歴史的基礎をしっかりと把握してください。我々歴史家は大いにあなたの役に立てると確信しています。だからぜひ、あなたの仕事を歴史以外の他の分野内に限定したり・・・しないようにお願いします。私はあなたのものを読みつづけるのですから──たとえあなたが歴史を書こうとしないとしても。」
──クェンティン・スキナーへ

 「心理学者は、客観的科学としての心理学を破壊してきた。──歴史家はその(※客観的科学としての歴史学の)破壊の途上にいる。」
(※かれが歯をむいたのは、「事実をして語らしめる」という態度の持つ詐欺性に対してだった。)

「1914年にあるひとつの文明が滅びた。・・・そして、第一次大戦が残した廃墟さえも破壊し尽くしたのが、第二次大戦だった。」(※カーのことば)
 彼は、残された人生の時間を、まさにこの代替物を探し求めるのに費やしたのだ。そして1980年の終わりまでに、何ら実証できないユートピアを探し求めてもまったく無駄であるという事実と自分自身との折り合いをつけなければならなかったのである。                    ──著者ジョナサン・ハスラム──




高木恭造『まるめろ』

生活(くらし)
──結婚(しゅうげ)の晩(ばげ)

あれぁ風(かじぇ)ぁ吹いで
ドロの樹(ぎ)ぁじゃわめでるんだネ
泣ぐな
泣ぐな
花嫁ぁ泣ぐ奴(やづ)ぁあるガ
銭(じこん)コねはんで泣ぐのガ
なんだて こした貧乏(びんぼ)くせい結婚(しゅうげ)サねばまいねのガ

 (みんな飯事(おふるめこ)だど思れ)

痩へだ体コくつけでも
なんも温(ぬ)ぐくねジャ
ああ 俺達(おらだづ)二人ぁ
日(し)あだりぬすむ蠅コど同(おんな)しだ
明日がらお前(め)も紫(むらさぎ)の袴(はがま)コはいで黒いまんとコかぶて役所サ行(え)ぐのガ
貧乏(びんぼ)臭(くせ)い婿(むご)と花嫁だ
泣ぐな
泣ぐな
なんも恐(おがな)くね
あれぁ風(かじぇ)ぁ吹いで
ドロの樹(ぎ)ぁじゃわめでるんだネ

        ※じゃわめで=ざわめいて