今山物語3

 南原講演の栩木先生による要約を(ざっくりとだけど)読んだ。
 読んでいて、めったやたらに気が重たくなった。
 若いころなら、きっと昂揚感に満たされたに違いない。でも、いまは、ひたすら重苦しくなる。

 南原繁もまた(当然のごとく)進歩主義者だったんだな。それを「時代の制約」として片づけていいのか、という無力感。
 社会主義に限らず進歩主義一般はいずれ世界の画一化を目指すことを、もう我々は知っている。世界中が自由であることを求めることと、世界中を画一化しようとすることは同じ動きなんだと気づくと同時に、世界中が自由であるとはただの無秩序な状態にすぎないとも気づいてしまった。
 でも、進歩を求めない科学ってあり得るのか?
 いや、進歩を拒否して生きることなんて現実的にわれわれに可能なのか?

 南原繁の言っていることが間違っているのではない。ほぼ100%ただしい。
 しかし、もう、ほぼ100%ただしいことは、実現性はないに等しいと知ってしまっている。
「もっとも宏大な理念でさえ、それを実践に移すためには、偏狭さと排外主義の力を借りるほかない。」というレオン・ブランシュヴィックの言葉を教えてくれたのは、レヴィナスだったかブランショだったか。そのレヴィナスは次のように書く。
 「〝歴史的理性〟は、あとになってから(絶対的なものを)照らし出すのである。遅れてやってくる明証性、それがおそらくは弁償法の定義なのだ。」
 そのレヴィナスは自らは社会主義者であることを公言する一方でフランス軍に志願し、ドイツの捕虜となったことで生きながらえた。その間、レヴィナスの家族を守ったブランショは自らを〝王党派〟と呼んで憚らなかった。そのブランショについて語る時、レヴィナスは謎のように言う。
「真理が彷徨の条件であり、彷徨が真理の条件である。・・これは同じことを前後入れ替えて言っているだけだろうか?われわれはそうは考えない。」──この中の〝われわれ〟が、つまりはユダヤ教徒なのだろう──

 申し訳ないけど、ブランシュヴィックやレヴィナスブランショのほうが、現実と切り結ぶことを恐れなかった気がする。

 南原繁にして、どうして、そういうことが起こるのか?
 〝言葉〟のせいじゃないかな。
 彼の使う言葉はあまりにも清潔だ。しかし、清潔な言葉であらゆるものを包含している歴史や現実を語ることが可能だとは思わない。と同時に、清潔じゃない言葉を耳に入れたがらない人々が大勢居ることもわれれはすでに知っている。
 ハンナ・アーレントは「人間とは何者か?」を考察しつづけてほとんど沈没しかけたとき、「こういうことは論文の対象ではなく、文学の役目なのかもしれない。」とつぶやいている。ひょっとしたら、そうなのかも知れない。
 須賀敦子の『シゲちゃんの昇天』は送ったことがあるよね?
 あのシゲちゃんの最後の言葉「人生ってもの凄いものだったのね。アタシたち、そんなこと何にも知らずに胸を張って歩いていた」という言葉が突き刺さってきたのは、上のような事情による。たぶん今も、何にも知らないおかげで偉そうにそこら辺を歩いていられる。
 ヴァルター・ホリチアのことばを引用していたのが誰だったか、ひょっとしたらフォールかも知れない(全部フランス人じゃないか)けど忘れた。でも、下の言葉に出くわしたときの何か救われたような気持ちはいまも残っている。
 「科学研究はリアリスティックな言語で行われる。科学者はすべての人に受け入れられる結果を得ようとしているのであって、もし滅菌した言語と厳密な論理だけを採用していたら、科学者はどこへもたどりつけなかったはずだ。」
 わが恩人のひとりだけど、ホリチアがどんなことをし、どう生きたのか、丸っきり知らないままです。
 なんだか、また自分に宿題を作っちゃった。