今山物語4

 初参加の同級生クリスマス会(会費千円)は楽しかった。
 ワイワイやっている内に、訃報が載っていた葉室麟の話から村上春樹カズオ・イシグロに話題が移って「読んだことないけど、どうなん?」とふられた。「うん、どっちも読んでみたけど、?オレは読まんでいいな?ち感じた。知能指数の高い人たちは自分の頭でゲンジツを作り上げて、その頭の中のゲンジツと向き合うとるようなところがあるっちゃ。」「そんならアタシたちは大丈夫やね。」「うん、オレたちは大丈夫。」

 舌なめずりをするようにして見てきたBBC『リッパーストリート5』が終わった。主要登場人が主役のリード以外は全部死んだので、もう『6』はない。現実離れした無茶苦茶なストーリーだったけどハチャメチャに面白かった。サンキューでした。

 「意識的にそれを提示しようとする真面目なものの中にあるものよりは、荒唐無稽で徹底徹尾の娯楽ものの中に潜んでいる幽かなTruthのほうが輝いている」
 60ぐらいになってから切実に思うようになったことです。──定年退職後の県下最低ランクの県立高校で出会った生徒たちには「かぐや姫」にかこつけて言ったことがある。「西洋人にとって神様というのは?ヘヘーッ?と仰ぎおがむ存在だった。でも、われわれの先祖の知っている神様はちっちゃくてちっちゃくて、自分たちが大切に守ってやらなきゃという気持ちがわいてくる存在だったんだよ」彼らが嬉しそうな顔になったから、自分の言ったことが正しいかどうかなんて、どうでも良かった。──さっそく横道に入るが、そういうことを考えるようになったきっかけは、アイルランドで出会ったキリスト像。おどろおどろしい磔刑像とはまったく逆の、まるで子ども向けの漫画のような可愛い姿だった。──
 勘九郎野田秀樹の歌舞伎がそうだった。(息子たちが演じるものが近くに来たら必ず出かける)権太楼の落語もそうだった。(あの絶品の『雪椿』はも一度聞きたい)『ヴォィツェク』もそうだ。ルバッキーテの『フランク』も、そこには何も「意味」などない。ただ音楽というTruthがある。
 ことし最後にしたいのは、そんな話です。

 『リッパーストリート5』が、廃墟で発見して抱きかかえた瀕死の少年の耳元で、リードが「Don't afraid. You are not alone. I am here.」と囁くところから始まった、という報告は前にした。ほっとした表情になって目を閉じた少年は孤児院から脱走していたことが分かったところから事件(Case)が始まる。……すみません。今日はやたらと英語づいています。
 その過程で警察署に訪ねて来た余命いくばくもない中年の街娼から、孤児院に入れたまま行方不明になった息子の捜索を依頼される。Justiceを追求するためにはIllegalな行為も敢えて辞さないリードは孤児院の児童虐待を暴くが、街娼の息子はすでに死体だった。
 間に合わなかったことを謝るリードに母親は「謝る必要はない。私はあなたに感謝している」という「だって、あの子はやっと安らかな眠りにつくことができた。ーUnder the tree. among the birds.ー」
 それを聞いたリードは彼女に、自分の妻が夫を憎みつつ孤独のままに死んだことを告白する。
 それを聞き終わった母親はリードに「もう、あなたは許されている」と優しく言う。
 その字幕は読めても言葉が聞き取れず、録画を見直したら「You were forgive.」と言っているとしか聞こえなかった。しかも「フォーギブ」は「フォーギフ」。乏しい知識ではあるが、末尾のVをFと発音するのはアイルランド訛りのはず。
 ──そうか。彼女は受け身形も使いこなせないような、まともな教育を受けられない生い立ちだったんだ。
 なんという小憎たらしい演出!
 その、まともな教育を受けられず、まともな職業に就けなかった人間のわずかな教養の中にこそTruthが輝いている。(あの方もきっとそういう育ち方をしたのに違いない)
 ──50代のときに読んだ堀田善衛『城館の人』でもっとも印象的だったのは、モンテーニュの従僕の話だった。その従僕は流行病で家族が次々に斃れたびに穴を掘って埋葬した。そして最後の家族を埋葬し終わると、その横にもひとつ穴を掘り自分が入って自分で土をかぶせたまま動こうとしなかった。「彼は私が読んだ古今のどの哲人よりも崇高だった。」とモンテーニュは書き残しているという。でも、その従僕はただ、ひとりだけ取り残されるのがイヤだったんだ。
 あの方の孤独さは如何ばかりだったろう。
 ミケランジェロピエタ像を見るたびに思うが、あれは悲しみにくれている像ではない。あの姿と表情には、やっとまた我が子を取り戻すことができた女の安息が表現されている。

『リッパーストリート5』では、ずっと未解決だったユダヤ人数学者(かれは、「数学は、無秩序に向かっている宇宙に反している」ということを数学的に証明しようとしていた。──典型的な文系的発想──)の殺害犯人が、同じリトアニアからの難民だった警察署長(危機を感じてリードを殺人犯として絞首刑寸前に追い込んだ当人)であることを立証する。数学者は自分の「Truthの証明」に夢中で、他のことには全くの無関心だったのに、署長は避難する間に自分が犯したことが告発されるのを未然に防ごうとしたのだった。
 町にJusticeを取り戻すために憎み合いながらも命を預け合った友人たちはみな故人となり、自分の命に代えて救い出した娘は夫と去って行き、リードは全てを失う。そして、彼は、もっとも大切なのはTruthでもJusticeでもなく、Trustだったんだということを悟る。
 別にそんなセリフがあったわけじゃない。
 リードはアメリカに戻った男が、おぼれかけている子ども二人を助けて死んだ、という手紙を弁護士から受け取る。そして手紙の最後には、「遺言に従い、ささやかなものを送ります」とあって、封筒を逆さまにすると机のうえに小さな指輪が無造作に転がりでる。その指輪が時価数億円することは、「1」から見ている者だけが分かる。
 そんな終わり方でした。

 同封する新聞記事をコピーしにコンビニに行った帰り、一円玉を二つも拾った。わざわざ届けに行くほどのこともないので、そのまま財布に。・・・これで今年の宝くじもスカだな。
                         2017/12/26