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 アマゾンのコンピューターは凄いと思う。
 時々、「こんな本は如何ですか?」というメールが届くが、先日は、サロモン・マルカ『レヴィナス 生と痕跡』ときた。さすがは日本の暗号を解読していた国だ。──この著者はひょっとするとオレと似た様なことを感じたのかもしれない──

 内田樹訳の何とかを読んでしばらく経って、何が書かれていたのかも丸っきり忘れてしまった頃、「あの人たち(ユダヤという国はまだなかったはずだから、一部のセム人たち)は、宙の一角に何かが居た痕跡を見つけたんだろうな。」と思うようになった。もちろんそれは既に痕跡にすぎないのだから、彼らの一神教はほとんど無神論紙一重ということになる。
 リタイアしてから、以前から気になっていた山折哲夫『ブッダはなぜ子どもを捨てたのか』を読んだ。老学者は、まるで青年のような筆致でそれを書いている。きっと、「学者」であるために長く封印していたことの蓋を開けたのだ。
 読んだ感想は、それが老学者の言いたかったことでもあると思うのだが、仏教もまたその根本はニヒリズム紙一重だということ。
 悟りをひらくためには欲を捨てなければならない。その欲にはとうぜん性欲も含まれる。ということは、仏教一途の人々はいずれ滅んでいくしかない。
 エリー・フォールの言を借りれば、ユダヤ教を去勢することによって──抽象化することによって、と言い換えるほうが分かりやすいはず──成立したキリスト教が世界に広まった。その時こんどは各地の土俗宗教と混交して生命力を甦らせた。(鶴岡カソリック教会の黒い聖母はいつか拝みに行く。)
 仏教はその成立過程当初から他の生命力あふれるものと交わり変容しながらアジア一帯に広がった。そして、それが海を渡って日本に来たときは、ブッダの時代のものとは丸っきり違うものになっていた。(ただし、まがい物はダメだという考え方はまったく取らない。)
 が、そのユダヤ教や仏教で起こったことは少しも特殊な例ではない。宗教以前の土壌なしに宗教は成りたたず、であるならば「ニヒリズムとの紙一重現象」は避けられない。成立以後もそこここの風土に合うものに変容することで宗教は広まり、生きていく。
 
 宗教に限らず、ニヒリズムとロマンティシズムを不倶戴天の敵同士のように思い込んでいたら、過去も現在も見えないんじゃないかな。現実とはむしろそのニヒリズムとロマンティシズムの二層構造なのだ。司馬遼太郎空海を天才だと評価したのは、そのカラクリに肯いたからに違いない、というのが、この頃の考え方です。
 河内長野観心寺如意輪観音にも一度会いたくなってきた。

KSへ

 本日は洗濯日和。
 大濠の再戦は11時から。この10年間見る番組はスポーツとBBCの刑事物のみ。(例外はNHKBSの『新日本風土記』。どこかの寺で、若い僧侶が泣き叫ぶように、仏をなじるかのように、お経をあげている一場面が紹介されていた。「これが本当だ。この姿に比べたら遠藤周作の『沈黙』なんて少女趣味だ。──その少女趣味がいまの世界のトレンドなんだけど──)

 のっけから横道に入るが、一年以上待ったウエルベックの『服従』(ほとんどまっさら。百数十人のなかでまともに読んだ人は幾人?)を読んでいて、コーラン法華経の、その信奉者の受け止め方は瓜二つのように感じた。きっと大川周明もそのように感じたんだ。またひとつ宿題が増えた。

 BBC刑事物『タガート』『フロスト』『モース』『マクベス』(もしも一度イギリスに行く機会があったらマクベスの駐在地ロックドゥを是非訪ねてみたい。シャーロック・ホームズの住んでいた部屋が保存されている国だからロックドゥも必ずある)。モースはとっくに死んだものと思い込んでいたら同好の士から「いや、まだ元気だよ。」最終回、ハート・アタックで倒れるシーンがあまりにも真に迫っていたから虚構が現実を塗り替えていた。
 そして、『ルイス』『ジェントリー』『シェトランド』『ヒンターランド』『ウイッチャー』『ヴァランダー』『フォイル』

 学生時代、こっちに帰ってきたときだけライアン・オニールの(彼の前世代の所のほうがはるかに面白かったが)『ペイトンプレイス物語』再放送を、とびとびなので粗筋もよく分からないままだけど深夜放送で見ていた。
 「プロテスタントとはこんなに孤独なものなのか」
 そういう感じってけっこう根深く残るもので、いまもイギリスからアメリ東海岸に生きている人たちを見る時の下地の役目をしている気がする。

 昨日見たのは、妻に逃げられたマサイヤスとシングル・マザーの「イギリスの伊藤蘭(マリ・ハリーズ)」がぶつかり合いながらウエールズに生きる人々の心の闇を解明していく『ヒンターランド』で、事件そのものより脇役たちの演技が冴えわたっていた。
 町の名士を殺した犯人を、学校にもまともに行かず密漁や盗みを働いて生きている孤児だと決めつけて、村人が山狩りをする話だった。──そのとき字幕に「害虫駆除」と出てきた言葉は「Rat control」。そうか。英国史のキーワードはこの「コントロール」だ。EU加盟期のイギリスは異常だったんだ。──
 親を知らない頭の弱い女の子が誰の子とも分からない男の子を出産する。福祉の手も届かずに自分ひとりで子どもを育てようとするが幼く死亡した(それも、殺人事件の捜査中にはじめて分かったことだった)頃、村に遊びに来ていた男の子が行方不明になり15年以上が経過して或る殺人事件が起きる。
 唯一の頼りだった「母親」が亡くなったあと、(さらわれた)男の子は学校にも行かなくなっていた。が、ある少女は「この子はわたしと同じ一人っきりなんだ」とプラトニック・ラブに陥る。山狩りを指揮した男はその女の子の父親だった。(母親は夫の社会的判断の正しさと、娘の恋の純粋さとの間で揺れ動く)
 事件自体は思わぬところから解決し、父親は娘の独立を認め、男の子はマサイヤスの蛮勇によって実の母親との自然な再会を果たす。(BBCの犯罪物にはドイツや東欧物と違ってユーモアや救いが用意されている。アガサクリスティものの話が出て来ないのは何か後味がよくないから)。

 なぜ長々と書く気になったのかというと、その、父親を捨てて孤児とたった二人で生きていく道を選ぼうとした女の子に見覚えがあったからだ。
 『ヒンターランド』の前の『シェトランド』で、たったひとりの友人を「はじめて好きになった男のことをバカにしたから」殺したと泣きじゃくりながら告白した女の子だった。殺さなくても済んだんじゃないかと言うペレス警視に「だめ。あの人の悪口を二度と聞きたくなかった。」と言いつつ「I miss her」。心が締め付けられるほどに切なかった。
 その高校生が美しく成長し、こんどは男の子と生きるために敢然と家出を決行する。
 イギリスの視聴者も日本の視聴者同様感慨深く見たはずだ。

 嬉しいことに、『シェトランド』も『ヒンターランド』もこの4月から新シリーズが始まるらしい。
 シェトランドでは、ブラジル人と結婚するために海を渡っていった亡くなった妻の連れ子(何という複雑さ)のことが気になるし、ヒンターランドでは、感情をぶつけ合ってきたマサイアスと「イギリスの伊藤蘭」の激しい一夜がそろそろのはずだ。

 どんぴしゃ11時です。

博工生の選んだ歌

博工生の選んだ歌 
      複数回答制 ○数字が得票数(『てのりくじら』を全部好きと答えた三名のぶんも加算した)

⑧前向きになれと言われて前向きになれるのならば悩みはしない 『てのりくじら』/人の気も知らない      無責任な言葉でどれだけの人が苦しむのだろう/「その通りだな」/好きです。/
⑧本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当 『てのりくじら』自分が正しいと思っている大人から     理解されない子どもの気持ち/これがリアル/経験したことがある/どの世代もこのことに関しては同じなのかな?/ひどく自分に似    ている。
⑦殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である。 『てのりくじら』/共感できる/前向きに      なろうとする時同じ事を考えている!/同意/
⑦もっともなご意見ですが そのことをあなた様には言われたくない 『てのりくじら』/共感!/
   ついこの間同じ事を考えた/自分で分かっていても他人から言われるのはいやなことがある//
⑥夕闇に透(す)かし見るなり薔薇(ばら)の花いまだ生まれぬ世界のごとく 与謝野(よさの)晶子/ミステリアス/かわいい/か      っこいい/表現の仕方がきれい。//
⑥無駄だろう? 意味ないだろう? 馬鹿だろう? 今さらだろう? でもやるんだよ!
  /やる気が出る。/自分自身に言いかけたい/『てのりくじら』
⑤白い手紙が届いて明日は春となる うすいガラスも磨いて待とう 斉藤 史/「春となる」がいい。/美      しいことば/春を待つたのしさが伝わってくる/なんとなく/
⑤あの夏の数限りなきそしてまたたったひとつの表情をせよ 小野茂樹/いい!/なぜか好き!/なぜか「い      いなぁ。」/「たったひとつの表情をせよ」がいい。/対比がある。
⑤ハッピーじゃない だからこそハッピーな歌を作って口ずさむのだ 『てのりくじら』/とても前向き/ポ    ジティブ/
⑤誰からも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け 『てのりくじら』
   /ありのままでいいんですね/
⑤君を待つ午後九時すぎの駅前に微熱を孕(はら)む自販機と私 福岡女学院高/けなげに待っている恋心/甘酸っぱ    い青春してるな/待っているその人が思い浮かんできた/「自販機と私」の対比がすごい/青春ですね。
④無理している自分の無理も自分だ、と思う自分も無理する自分 『てのりくじら』/言っていることが分かっ    たら共感しかない/
④肯定を必要とする君といて「平気平気」が口ぐせになる 『てのりくじら』/自分自身のように感じた/
④とりあえずひきとめている僕だって飛びたいような夜だ 『てのりくじら』
④振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ 相手はパーだ 『てのりくじら』/なんかいいな。
④ついてないわけじゃなくってラッキーなことが特別起こらないだけ 『てのりくじら』
④平凡な意見の言いわけをしておくための前置詞「やっぱ」 『てのりくじら』
③この本に全てがつまっているわけぢゃない だから私が続きを生きる 小林理央/前向きの気持ちになれる    /なんとなく、いい。/考え方が格好いい/
②くさかげの名もなき花に名を言いしはじめのひとの心をぞ思ふ 伊東静雄/情景が浮かんできた/いいこと    を書いている気がする。
②配給の品々とともに求めたる矢車草(やぐるまそう)も家計簿にしるす  宮英子/自分の心を磨けました/現在の暮らしがどれ    だけ幸せか思い起こされる/
②信ずるとは孤(ひと)りの思いゆえ流星見しことを人には言わず 尾崎佐永子(さえこ) /いいな。/
①家出てもちつともいいことなかったと猫かえり来(き)ぬ頭を垂(た)れて 小島ゆかり

博工生の選んだ俳句

博工生の選んだ俳句(上の○数字は投票数)※複数投票制

21見上げればこんなに広い空がある    住宅(すみたく)顕信 すごく前向き。/心がすっきりする。/ふだんは当たり前すぎて見上げたりしないけど。/美しい。/とってもいい。/希望がある。/よく分からないけどいい。
   /すがすがしい気持ちになった。/なぜか落ち着く/同感!/また空を見上げてみたい。/気に入った!/短い./シンプル。/空を見上げたら自分の悩みもちっぽけに感じる。/深い。/夢がありそう。
⑫いくたびも雪の深さを尋ねけり     正岡子規 お母さんに同じことをきいたことがある。/何度もたずねる所が好き。/雪景色が目に浮かぶ。/先生の話を聞いて
⑩分け入っても分け入っても青い山    種田山頭火 自由なところがいい。/何か気になった。/山の景色が浮かんできた。/テンポがいい。/聞いたことがある。/何となく。
豆腐屋のつばめ米屋のつばめ来る    さわらき啓子 つばめの気持ちが伝わってくる。/かわいい。/つばめを身近に感じるようになった。
⑦痰一斗へちまの水も間に合わず     正岡子規 病気の辛さ。/かっこいい。
⑦病床におもちゃならべて冬籠      正岡子規 なんか寂しい感じがいい。/ほっこりする。/「冬籠」という言葉がいい。/一生懸命俳句を作っている作者を感じる。
⑦手向(たむ)くべき線香もなくて秋の暮     夏目漱石 雰囲気がいい。/心が揺れます。/漱石の悲しい気持ちが伝わってくる。/せつない。/知っていた。
⑦うしろすがたのしぐれてゆくか     種田山頭火 どんどん遠くに行くのが伝わる。/地味に犯罪的/普通の俳句と少し違う。/すっきりと読める。
⑥つばめつばめ泥が好きなる燕かな    細見綾子 「つばめ」が三回も出てくる!/ちょっと意味がわからない感じが好き。/つばめって賢い。/いいなあ。
⑥白牡丹といふといへども紅ほのか    高浜虚子   響きや表現がきれい。/やわらかい印象。/色の取り合わせがいいなぁ。
⑤月あまりに清ければ夫を憎みけり    桂 信子 愛を感じる。/なんかいいな。/女の人のほうが強い。
③たんぽぽのぽぽの辺りが火事ですよ   坪内稔典 「ぽぽ」が面白い。
④水枕ガバリと寒い海がある       西東三鬼 「寒い海」が気になった。
④朝日まぶしくもぐら平気で死ぬ     和田悟郎   どういうこと?/「平気で死ぬ」の響きがいい。/モグラまぶしそう。/生き物のはかなさ。
③つばめ飛ぶ日よ宿題を児らに課さず   樋笠 文  かっこいい!
③遠山に日の当たりたる枯野かな     高浜虚子 まず目に飛び込んできた。/すうっと読めた。
③いつか死ぬ話を母と雛(ひな)のまえ      山田みずえ 悲しい。/「死」と「雛」という地の取り合わせ。
②蛍籠(ほたるかご)昏(くら)ければ揺(ゆ)り炎(も)えたたす      橋本多佳子 光景が目に浮かんだ。/かわいい。
②咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや    中村汀女 子どもの可愛さと母親のやさしさ。
②算術の少年しのび泣けり夏       西東三鬼 自分と重なるところがある。
②勇気こそ地の塩なれや梅真白      中村草田男 ほんとうに勇気がわいてくる。
②夏草に気缶車(きかんしや)の車輪来て止まる     山口誓子   夏らしい。/機関車の蒸気を感じる。
②炎天の遠き帆やわがこころの帆     山口誓子 なんとなく魅力的。
②蕗(ふき)の筋よくとれたれば素直になる    細見綾子
②美しい生ひ立ちを子に雪降れ降れ    村上喜代子  気持ちが美しい/「美」「生」「子」「雪」という文字が心に残った。/とてもきれいな子なんだろうな。
①どこからが恋どこまでが冬の空     黛まどか  かわいい。
①乙鳥(つばくら)はまぶしき鳥となりにけり     中村草田男
①子を抱くや林檎(りんご)と乳房相抗(さか)ふ      中村草田男  子どもの迷っている姿がかわいらしい。

あぶらやま不定期通信〈10〉

 あ ぶ ら や ま 不 定 期 通 信 10  
                        2017/3/15
 とうとうまた一年がたってしまった。歳をとるにつれて時間の過ぎ方が速くなっている気がする。今はもうたぶん君たちの2倍の速さ。10年後には3倍? そして5倍〜10倍?
 この気まぐれな『あぶらやま通信』最終回は、それ以上はないデッカい話と、それ以下はないチッチャな話をします。ただし、どちらも思いっきり抽象的な(はっきりしない)ファンタジーです。
 題して『宇宙の成りたちと私たち』

 大昔、ビッグバンというものが起こって宇宙ができた、ということは君たちも知っている。ビッグバンが起こるまで宇宙はなかった。ビッグバンによってはじめて空間ができ、時間が始まり、物質が生まれ、その物質から私たち生命が誕生した。(そのことを70年前に知った少
年は「宇宙はどんどんふくらんでゆく。それゆえみんなは不安である。」──『20億光年の孤独』──と詩に書いた。当時、宇宙の広さは20億光年ぐらいだと考えられていたのです。)
 では、ビッグバンのまえには宇宙がなかったのなら何があったのか?「なぁんにもなかった」らしい。なぁんにもないのに、どうしてビッグバンが起こったのか?そのことを説明した人をまだ知らない。
 なぁんにもないところに一体なにが起こってビッグバンになったのか?老教師は「破れた」んだと思っている。「破れた」のはモノではなくバランス。バランスが崩れた。バランスが崩れて破綻(ハタン)してムチャクチャなことが起こった。それがこの宇宙の始まり。宇宙ではその「ムチャクチャ」がいまも続くと同時に、宇宙はいまもきっとその自分のムチャクチャさを何とか鎮(しず)めようと必死に戦っている気がする。ちょうど世界中で数えきれないほどの戦争があちこちで続いている状態をなんとか平和にしようとするかのように。

 崩れたのは「力のバランス」だったんじゃないかな。ビッグバンで拡がったのはその「力」だった。力が空間を押し広げそこここで塊(かたまり)となり、いま私たちが「物質」と呼んでいるものになった。つまり「物質」とは実は「力の塊」のことだ。そう考えたら理解できることが、この宇宙にはたくさんあるに違いない。(「ただの力にどうして質量があるんですか?」という声が聞こえてきそうだ。いい質問。でも、質量とは重さのことではないのです。)

 数年前、「暗黒物質」がフィーバーになった時期があった。「この宇宙には私たちの知っている物質のほかに目に見えない物質(暗黒物質)が宇宙全体の40数%ある。」そう考えないと勘定(かんじよう)が合わなくなったらしい。「暗黒物質(black matter)を探せ!!」世界中が協力して巨大な観測装置を作り「一年以内には見つかるはずだ。」でも見つけられなかった。というか、それがどんなものかも分からないのだから、どういう観測結果が出たら暗黒物質を発見したことになるのかも分かってはいなかったのだ。
 そのプロジェクトは始まりから間違っていた。
 私たちが物質と呼んでいるものは実は力の塊だ。同じように暗黒物質も力の塊だ。ただ通常の物質が「おもての力」で出来ているのに対して暗黒物質は「陰の力」で出来ているという違いがあるだけ。私たちはまだその「おもての力」しか知らないのです。
 ビッグバンが起こったきっかけとは、その「おもての力」と「蔭の力」にズレが生じたという「破れ=破綻」だった。そして、科学が発達したいまも、私たちはそのわずかに上回った「おもての力」のこと以外はなぁんにも知らない。
 この先も、暗黒物質が発見されることはないままに「どこか勘定が合わない」と不安を抱えたままの状態がずうっと続きそうな気がしている。なぜなら、暗黒物質と通常の物質は別々に存在しているわけではないのだから。
 「陰の力」は「おもての力」の裏に隠れている。それを裏側から見る方法を私たちはまだ知らない。この宇宙はその2つの力がほんのわずかにズレてビッグバンが起きかけたときのままの状態が続いている。私たちが知っている物質とは「おもての力」と「陰の力」のハイブリッド体なのです。もちろんその物質なるものから成り立っている私たち生命もまた同じく2つの力のハイブリッド体なのだ。ただ「おもての力」がほんのわずか上回っているだけ。

 「宇宙の成りたち」の話は以上にして、もひとつの「私たち」のほうに移ります。
 西洋人のものの考え方を見ていて首をかしげることが多くなった。
 あの人たちは自分のことを「個」だと思っているらしい。もちろん私たちも個人ではあるんだが、「個」ではない気がする。
 あの人たちにとって個人とは「個」という他とは異なる核(アトム)の周りに、いろんな他の人々と共通のもの(つまり一言で言うならそぇが「文化」)がくっついて出来ているイメージがある。「個性」とは絶対的なもの、他とは絶対的に違うものなのです。
 でも、私たちにとっての「個」は、たとえばガス雲のなかのガスが固まって出来ているかのようなイメージがある。つまり、個々の「個」と「個」の成分はすべて共通している。そういう人たちにとって「個性」とは、他と同じ中身の表面にあるささやかな他との違いに過ぎない。
 だから、個人と個人の関係は西洋風に言うなら、「おまえと一緒にするな!」私たち風に言うなら「僕たちは一緒だよ」。
 老教師は確信をもって言うが、近い将来、東洋的なものの見方のほうが科学的だ、と人々が気づく時が必ず来る。でも、その時になっても人々は自分の「個人観」を変えることはないだろう。なぜなら『コインは円形か』の佐藤さん流に言うなら、人も文化も「その慣れ親しんだ見方を捨てることは自分を捨てることと等しい」からだ。いや、「自分」じゃないな。風景です。人は慣れ親しんだ風景のなかで生きたいのです。
 でもそれは、佐藤さんの言うように「精神硬化症」なのではない。そういう言い方じたいが「おまえと一緒にするな」文化に思える。
 「自分たちの風景を守ること」は自分を守ることよりも大切なことなんじゃないかな。この頃そんな気がしてきているのです。それもまた東洋的なのかもしれないけれど。

     タカ女(じよ)とキビョウエ

北の国にタカという美しい娘がいた。
母を早くに亡くしたので、タカは父と弟のためにかいがいしく働いていた。
タカの家は武家(ぶけ)だった。
父と弟は戦場にいることが多かった。
戦場から戻ってくると、弟は姉に甘えてばかりいた。
戦場では並の男以上の働きをしているというのがタカには信じられなかった。
家事を仕切ることと父や弟の無事を祈ることがタカの日常だった。

ある日、郎党(ろうとう)が息を切らせて駆け込んできた。
父と弟の訃報(ふほう)だった。
「父上のみならず弟までか?」
「ははぁ。」
「何故(なにゆえ)? 何故(なにゆえ)じゃ!」
タカの髪は総毛立(そうけだ)ち、眼(まなこ)は真っ赤になり、目尻は切れ、顔中に真っ黒い剛毛(ごうもう)が生えた。

以後、戦(いくさ)があるたびにタカは、父や弟の代わりに出陣した。
真っ黒い髭(ひげ)の奥で真っ赤な眼がらんらんと光っているタカの顔を見ると、敵は恐れをなして逃げた。
北の国は連戦連勝であった。
鬼女タカの名は諸国に知れ渡った。

南の国にキビョウエという心優しい男がいた。
父を早くに亡くしていたので、キビョウエは母や姉のために家長(かちよう)としての義務を忘れることがなかった。
キビョウエの家は武家であった。
ある時、臨月を迎えようとしている姉を気づかいながら、キビョウエは戦場に赴(おもむ)いた。
長い長い戦いは勝利し、意気揚々と戻ってみると、町は敵の伏兵に焼かれ、母も姉も殺されていた。
「なんと酷(むご)いことを!」
その時赤子(あかご)の激しい泣き声が聞こえた。
姉の子であった。
キビョウエが抱きかかえた赤子(あかご)はすぐにキビョウエの胸をさぐった。
お腹をすかせていたのだった。
赤子のなすままにさせていると、キビョウエの胸がみるみる膨(ふく)らみ乳がほとばしり出た。吸いたいだけ乳を吸って満足した赤子はキビョウエの胸ですやすやと眠りはじめた。
一部始終を見ていた郎党(ろうとう)たちは畏(おそ)れおののき、キビョウエを敬(うやま)った。

以後、戦いのたびに、郎党のみならず南の国の兵卒は「キビョウエさまを守れ」と結束した。
どんな難敵が襲って来ようとも、兵卒は一歩も退(しりぞ)こうとはしなくなった。
南の国は連戦連勝であった。
母男キビョウエの名は天下に知れ渡った。

ついに北の国と南の国が雌雄(しゆう)を決する時がきた。

北の国の兵卒に勝利を疑う者はひとりもなく、タカ女(じよ)を先頭に進軍した。
南の国のすべての兵卒は奇蹟の母キビョウエの加護を信じ、粛々(しゆくしゆく)と戦場に向かった。
「かかれぇ!」
将の号令一下(いつか)、北の兵卒は南に突撃を開始した。
南の兵卒はキビョウエの周りに集結した。
ところが、猛(たけ)り狂ったキビョウエの馬は、味方を蹴散(けち)らして真一文字(まいちもんじ)にタカ女に向かってって行った。
タカ女の馬もまたキビョウエのみが敵であるかのように他には目もくれず走った。
会戦場の中央で両者の馬がすれ違うかと思われた時、互いの槍(やり)が互いの胸を貫(つらぬ)いた。
ふたりは抱き合うようにして横倒しに馬から落ちた。
地に横になったタカ女の顔から髭(ひげ)が消え、美しい女性(によしよう)の顔が現れた。
「お手前(てまえ)がタカ女(じよ)殿であるか。」
「キビョウエ様ですのね。」
「お会い致しとうござった。」
「嬉しゅうございます。」
ふたりは犇(ひし)と抱き合った。
しかし、その力ははやくも萎(な)えはじめていた。
「もっと語り合いたいが、もうその時間は残されておらぬようだ。ゆるせ、タカ殿。」
キビョウエは最後の力を振り絞って、両軍に聞こえる大音声(だいおんじよう)をあげた。
「者ども聞け! 我らをともに葬(ほうむ)れ! この世ではかなわなかったふたりが、のちの世で夫婦(みようと)となるためである!」
タカは満足そうに最後の息をもらした。
タカを抱くキビョウエの腕が緩(ゆる)みはじめた。

北の国の将が兵卒たちに命じた。
「槍を地に置け! このふたりを手厚く葬ろうぞ。」
南の国の将も応じた。
「弓矢も刀も納めよ! ふたりを荼毘(だび)にふす枯れ枝を集めて参れ。」
兵卒たちからすすり泣きの声が漏(も)れはじめた。
夕闇が迫ってくる頃、北と南の別なく、兵卒たちが黙々と集めて積み上げた枯れ枝は、小さな岡のようになった。
二人の亡骸(なきがら)はその上に置かれた。
北の将が大きな声で呼びかけた。
「南の将よ、二度と会うまいぞ。」
南の将も応じた。
「北の将よ、二度と会うまいぞ。」
兵卒たちのすすり泣きは。嗚咽(おえつ)に変わった。

とっぷりと暮れた頃、枯れ枝に火が入れられた。
枯れ枝はまたたく間に燃え上がり兵卒たちを赤々と照らした。
兵卒たちの嗚咽(おえつ)は号泣(ごうきゆう)となった。
その声は夜空に響き、満天の星たちをふるわした。

 北海道の友人が教えてくれた正岡子規の歌で締めくくります。
  真砂(まさご)なす数なき星のそのなかに我に向ひて光る星あり

森山優 感想文

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 メールを読んだ。
 『法隆寺を愛した米国人』については、実はまったく同じ感想を持った。
 アメリカは日本と並んで、「やり手婆文化」が瀰漫したいまの世界のなかで、希有なほどナイーブな国。──あとひとつ、スペインを加えよう。あのアメリカ征服はスペインのナイーブさなしに説明するのは不可能な気がしてきた。──
 ナイーブさ(crap・teacher用語で言う「童貞文化」のこと)は、時として露骨さとして現れる。日本の中国侵略(あれを「侵略じゃなかった」と強弁するのはもう止めよう)がそうだったし、尻込みしていた日本を開戦に引きずり込んだアメリカの「対日制裁」もまたそうだった。フーバーのしたこともそうだ。いまトランプがしようとしていることも、そうでなければいいのだが。
 ヨーロッパのやり手婆たちは、日本とアメリカの凄惨な戦争を「いい気味だ」としか思っていなかったんじゃないかな。なぜなら彼らは、アメリカの田舎者たちに、表向きだけにしろ、お追従を口にする自分たちが、すでにナイーブさを失っていることを痛烈に意識していたはずだから。
 そのやり手婆たちの国で、いったいどのくらいの数のアメリカ(そのなかには日系人も混じっていたのだが)の若者が血を流したことか。──「自由」のために? でも、「自由」って何だ?アメリカ人の「自由」とは自分たちが脱出してきた現実からの自由ではなかったのか?(「一世が語りたがり、二世が聞きたがらなかったことを、三世は思い出したがる」と言ったのは誰だったか?でも、日系在米三世は例外に見える。)
 二百万近いという日本の戦死者には「故郷の母親や妹たちや子の日常を維持するため」という幽かな動機を信じる自由があり得たから、まだしも一抹の救いがあったと思いたい。

 『日本はなぜ開戦に踏み込んだか』に東条英機のことが書かれている。
 陸軍大臣だった時強硬な主戦論者だった東条は、首相になったとたん慎重派に成り変わり、陸軍からは裏切り者視されたという。その正直さが天皇の信頼を得た。東京裁判では、天皇に累が及ぶのを防ぐため、「赤心」東条は罪を一身で背負う。
 陸軍大臣だったときも、首相として戦争を指揮したときも、東京裁判の被告になったときも、そのナイーブさは、嫌になるほど何ら変わりがなかった。

 前にも書いたことがあるが、当時の日本の最大の失策は日独伊軍事協定を結んだことにある。なぜ日本は旗幟鮮明にしたのか? 松岡たちの意図とは別に、日英同盟解消後の日本は自分の曖昧さに耐えられなかったからだ。(戦争でも平和でもない曖昧さに耐えられなくなった日本は戦いに訴えた。開戦を知った野見山暁治さんが「なんだかホッとした」という回想は実に正直だと感じた。「どうなるかは分からないけど、これで遠くない時期に、ともかく決着がつく。」ただし、そのとき、自分が徴兵されるかも知れない、ということには思い至らなかったらしい。)
 アメリカの「門戸開放」を受け入れなかったことも、「中国膺懲」の看板を下ろせなったことも、「万一に備えて」戦争に必要な物資獲得に動いたことも(いったん動き出したらそれはもう「万一」ではなく既定路線化する)、ナイーブと呼ばずにどう説明ができる?
 陸海問わず、長を持たない軍部の責任の肥大化とともに、この国の童貞文化は筋金入りだし、それは今も変わってはいまい。

 でも、だからと言って「だから日本はダメだった」とは結論付けたくない。
 マーガレット・サッチャーは「1000年にわたって私たちは自分たちの歴史を書き続けてきた。私たちの子孫はその歴史を書きついでいくのか?それとも書かれる側に回るのか?」と言い残した。いまイギリスは果然と「自分たちの歴史を書き継ぐ」選択をした。
 が、フランスは、韓国や中国同様に「自分たちの現代史」を持ち得ない。ドイツは「ナチ史」でそれを代用することにした。EUはひとつの歴史を共有化するために「科学的歴史」を定めた。でも科学的歴史って何ですか? 
 固定された歴史は、大統領が変わったらひっくり返される法令同様に紙切れに過ぎない。
 かれら(そのなかには、天皇東条英機を含む)はそれがどんなものになるかを見通す能力はなかったが、あるいは見通す度胸はなかったが、「自分たちの歴史を書き足す」ほうを目をつぶって選んだ。その「歴史」を「国体」と言い換えたら、今日言いたいことが伝わるだろうか?
 そしていまや21世紀。その渦中で連綿と続く自分たちの歴史を書き続けている国が日本やイギリスのほかにどこかあるのかな?

 いつものことながら、少しズレて終わります。
 なにか、明るい未来について語りたい。
 日本は自分の曖昧さに耐えられなかったと書いた。そして孤立にも耐えられなかった。とてもじゃないが大人ではなかった。
 ただし、この国に象徴的な神道を見た時、その曖昧さというか、ほとんどいい加減さに、(そのいい加減さは、自分自身のいい加減さでもあるのだが)驚くのを通りこして感心してしまう。
 神道は、いくらソフィストケイトしてみても土俗宗教そのままだ。その土俗宗教は権力や外来の新興宗教と摺合することによって現代まで生き残った。その曖昧かついい加減な、宗教と呼んでいいのかどうかも判然としないものお陰で我々は魂の在りかをイメージすることが出来る。
 ことば遊びに取られるかも知れないが、「ピュアではないがナイーブ」であるお陰で現代人のなかで生き残っている宗教はほかにもある。
 スペイン(あるいは中南米)のカソリック。イギリスのアングリカン・チャーチ。アメリカのゴスペル。
それらと日本のソフィストケイトされた土俗宗教や密教は、どこかで心を通わせ合うことが可能なのではないか?

KS

 ずいぶん気が重たいが、メールをします。
気が重たい理由のひとつは、いま『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮選書)を読み始めていることにある。(これは名著です)まだ半分ほどまでだけど、当時の日本中枢部の錯綜ぶりが実証的に活写されている。政治家も軍部も官僚も、よく気が狂わなかったものだと感じる。気が狂わなかったのは、彼らの頭脳が頑強だったことと、彼らがそれぞれ拠って立つ所をもっていたからなんだろうなと感じる。(政治家、とくに近衛秀麿の場合はよく分からんが)拠って立つ所とはつまり陸軍や海軍や省庁(その中は諸派分立どころか対立で意見の統一などまるっきり不能な状況だったようだが)。それぞれが「自分たちの利益」を追求して暗闘どころかバトル・トライヤルを飽くこともなく繰り返す。
 アメリカからみたら「日本には明確な意志なぞない」としか見えなかったろう。ハル・ノートを突きつけられて当然だった。(そのハル・ノートもまたアメリカ中枢部での自分の生き残りをかけてのパフォーマンスだった、ときっと著者の森山優は後半で書いているはずだ)
 別の本だったが、真珠湾攻撃成功の報が入ったとき日本の株価が急騰したという話にはガッカリを通り越した。と同時に、朝鮮銀行の株をつかまされ(それが全財産だったという)「はやく手放せ」という助言に「いやぁ、みなが頑張っているときに、そんなことは出来ない」とそのままにしていたという人物にシンパシーを感じもするんだが。

 今日は、メールにあった〝屁にもならぬ〟が効果をあげたアベの「花火」や「イメージ戦略」や「プロパガンダ」についてだ。
 
 政治家は出来もしないことを平気で「やる」と言う。(じっさいにそれを可能にする力を手に入れたとたんにスルッと忘れるならばまだマシなほう。)
 北に拉致された人たちを「取り返す」もそのひとつ。申し訳ないけどそれが実現するのはいつの話かわからない。それどころか福岡ではもっと悲観的な噂が広まっている。
 沖縄の米軍基地について「最低限でも県外に」もそうだった。
 福島の放射能汚染物質を「全量県外に」もそうだった。
 小学生が考えても無理だと思うことを、どうして政治家は口にするのだろう?

 トランプがTPP脱退の大統領令に署名したそうだ。
 いわば「太平洋共栄圏」構想であるオバマのTPPには(個々の具体的な事柄には全くの無知ながら)基本的にEUよりも「未来」を感じていた。
 それに真っ向から異を唱えるトランプが現れたとき、TPPに絶対反対だった共産党民進党が「トランプ頑張れ」と言ったという話を聞かない。彼らにとってTPP(反対)は政争の具であって政策ではなかったのだから。

 PKO法案の時も、あの騒ぎを聞きたくなかった。
 我々の10代の途中まで、共産党も(たしか民社党も)自衛隊違憲だという立場だった。では、どうやってこの国を守るのか、「平和を愛する諸国民の信義に委ねる」という憲法に従って「現在の自衛隊を国連軍予備軍に改変しろ。それなら認める。」
 学生時代に朝日が「自衛隊を合憲化することで、憲法の枠内にとどめさせよう」という社説を掲げた時、ほとんど感動をもってそれを読んだ。「こんなに変わったのか?」
 (横道になるが、同じく学生時代──といっても、あなた方はもう社会人になっていたはずだけど──たまたまNHKの深夜放送に当時の外報部の核だった人(顔は出てくるけど名前は出て来ない)を登場させた。あとで分かったがその人は癌で余命幾ばくもなかった。「これから日韓交渉が始まるが、日本政府は朝鮮戦争を起こしたのは南なのか北なのかはっきりさせてから交渉に臨むべきだ。」当時はまだ自民党内部でさえ見解が対立していたのだ。)
 自衛隊違憲と考えていた人々は、「国際主義」を唱えていた。国連至上主義と言い換えても良いと思う。その人たちがいまは、国連軍どころか重火器を持てないPKO活動に加わることにも「平和憲法違反だ」と異を唱えている。表現を変えるなら「国連脱退」時代の「帝国至上主義」が「平和国家至上主義」になっただけで、その発想はなにも変わっていない。国際主義を維持しようとしているのは現政権側だし、大半の有権者はそれを支持している。

 TPPの話に戻る。
 日本はトランプに「日本とアメリカの間には〝公平なルール〟があり、それはいまも機能している」と言うつもりらしいが、相手は聞く耳を持つまい。肝要なのはルールではなく数的な結果だと考えているはずだから。結果が不公平だったらそのルールは不公平なのだ。
 クリントンのときがそうだった。
 かれは日本にごり押しを仕掛けた。それを露骨に言えば「金をよこせ」だった。
 あの頃は小泉だったんじゃないかと思うが、小泉は、日本の銀行や保険会社を縛っている法令を残したまま、アメリカの金融機関(銀行や保険会社)が日本で自由に商売することを認めた。言葉を変えて言うなら、日本政府はアメリカの金融機関に治外法権を与えた。彼らはこの国でやりたい放題のことをやり巨富を得た。クリントンは二期目に立候補するとき胸を張って「俺の仕掛けた武器を使わないマネー戦争で日本を打ち負かした」とアメリカ国民に報告し喝采を浴びた。
 トランプが狙っているのはそのパタンだ。
民進党員が国会で「TPP成立のめどがたたないのに、TPP対策費数千億円はそのまま執行するつもりなのか?」と質問した。(その金の過半は農業強化にではなく農協保護に回されるのだろうが)トランプのごり押しのターゲットの一つは日本の農業。TPP以上の「開国」を迫ってくるはずだ。「ルールではなく実質的な金額で開国度を測る」。それを拒絶することは不可能なのだから、何とかして緊急に農業の強化を図らなくてはならない。
 共産党民進党もPKOやTPPをたんに政争の具として自分たちの利益を守ろうとしている。自分たちは少数派だから、日本全体のことを考える必要がないのだ。
 新聞を読んでいると、連合が非正規雇用者に加盟を呼びかけはじめている。連合は、公務員や大手企業の労働者、つまり富裕労働者の利益を代弁する組織だった。だから正規労働者の組織に非正規労働者が加われば相反する利益集団が併存することになる。それでも方針変更をしたのは、べつに「日本の将来」のことを考えたからではない。共産党が非正規雇用者を取り込むことに成功しつつあるのを見て、危機感を覚え、みずからの組織防衛に乗り出したのだ。
 それ(表に出てくる政治家たちの自分の利益を守るために汲々としている姿。──表に出ない人の中には日本全体のことを考えている例もきっとあるはずなのに)が露骨に見えるから、あの軽い過ぎて嫌になるアベからも徹底的に馬鹿にされる。
 
 テレビに中曽根が出てきて「俺のときは日中の首脳同士に信頼関係があった。それさえあれば難問も乗り越えられる」と偉そうに言っていた。が、当時の中国は、日本の技術と金を喉から手が出るほどに欲しがっていた。その時のカウンター・パートへの態度を「首脳個人」の問題で説明するのは間が抜けすぎている。こんど日中間が密接になるのは中国が日本を必要とするときだ。
 アメリカについても同じ。
 アメリカにとって日本が、英国同様に必要な存在であることを、理屈でではなく、どうやって感じさせるか。
 その方法のひとつは、まずイギリスと緊密なパートナーになることなんじゃないかな。イギリスと利益を共有している国ということになれば、日本のイメージ(あなたの言葉でいうなら「屁にもならないイメージ」)が変わるんじゃないかな。イギリスほど打算にたけた国はない。──その打算を捨てた国がどんな悲惨な目に遭い、周辺の国にまで災厄を拡げたことか。──イギリスがEUからの離脱を目指している今こそがその好機なのではないかという気がしてならない。
 この国にも優れた官僚がたくさんいるだろうから、きっと今、「EUをとるか、イギリスをとるか」で激論が交わされていることを期待する。その時のキーワードは「損して得とれ」。目先の利益に惑わされず、先々で得られる利益を重視せよ。

 一昨日の6時間目、教室に入った。もともと苦手なクラスである上に、5時間目が体育なので最悪の時間。
 入ってみたら予想通り着替えながらわいわいやっている。「先生、とうぶんはまだ無理です。」
 仕方がないから最前列でまだ髪を整えている女の子に話しかけた。「えらく、いい顔色をしているけど、体育はなにをやったんだ?」じっさいに顔は上気してピンク色。唇は紅を塗ったかのように赤い。(この年齢はまだ化粧なんかする必要はないな)すると「サッカーです」と答えたあと、その子の顔色がもっとよくなり、隣の男の子から「わぁー照れよる。照れよるゥ!」とからかわれて下を向いてしまった。
 なんだか気の毒になったので「いんやんか。いいものはいいんだから。」と言うと小さく頷いた。
 その翌日の昨日、漢字などの小テストをやって回収しようとしたらその生徒が「今日はきっといい点数です。」一番前なのでその場で採点すると20点満点で14点。「わぁー、スゴい。先週は4点だったんですよ。」
 授業は「レトリックのの有用性」について。「見たり触ったりできないものを存在しないと決めつけていいのか?」
 黒板に大きく赤で、
 「レトリックを有効化するポイント=口に出していってみること」と書いてから、
 同封するプリントを念頭に「サンタクロースはいると信じている者は手を挙げてください?」生徒がリラックスするのが分かる。
 そうだよね。サンタクロースを見たり触ったりした者はいないもんね。そして板書。
 「愛は存在するか?」
 生徒たちの顔つきが変わる。
 君たちは、じつは私もなんだけど、愛そのものを見たことはない。お母さんのおっぱいに触ったことはあるけれど、愛そのものに直接触ったことはない。でも、「だから愛は存在しない」と決めつけことができるのかな?
 下をむいて首を横に振っている生徒がいる。
 ざわついていた教室がシーンとなる。
 
 そんな極上の時間もあと少し。