紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ

GFへ
 生徒が自習しているときに便覧をめくっていて、とんでもないことに気づいた。
 小倉百人一首は、鳥羽上皇の「われこそは新島守よ・・・」と、その皇子順徳院の「ももしきや古き軒端のしのぶにも・・・」で終わっている。
 あれっ。定家はいつまで生きていたんだ?
 承久の変のとき50過ぎ。その後さらに約20年存命している。小倉百人一首を編集したのは65歳くらいのことになる。
 その冒頭は、天智天皇の「秋の田のかりほの庵の・・・」と、その皇女の持統天皇の「春過ぎて夏来にけらし・・・」で始まっている。この編集には定家の意思がはっきり出ている。・・・・こんなこと皆は知っていたことなんだろうけど、こっちははじめて気づいた。これを無知蒙昧という。
 そうだったのか。知ったかぶりして、新古今集を平安文化へのレクイエムと教えてきたが、もっとスケールの大きいことを考えていたんだ。
 とすると、名月記に「紅旗征戎吾が事にあらず」と書いたのは、いつのことだったんだ? 
 『名月記』は図書館にはなく、アマゾンで堀田善衛の『定家名月記私抄』(ちくま学芸文庫)を取り寄せる。・・・・日記を書き始めた19歳のときの記述なのだそうだ。
 堀田善衛はその序に、「いつ召集令状がくるかわからぬ不安の日々に、」名月記に「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」という一文があるのを知り、どうしても生きているうちに読みたくなって、古本屋の親父を泣き落として手に入れた、とある。――あとでコピーを送ります。最高級の日本語だ。
 「戎」は、以仁王源頼政をさしていたのだった。

 今日、飯塚に帰る列車のなかでは、『天皇の世紀10』を読んでいた。2週間まえ、新大阪駅で2時間の空き時間ができて、暇つぶしの本をさがしていて偶々みつけた。・・・山岡鉄舟勝海舟西郷隆盛の交渉のところだった。・・・・
 どちらも、生々しい臨場感がある。その生々しさは、堀田善衛の文のほうが上回っているけど、そのぶん続けて読むにはエネルギーが要る。怠け者は、ぼちぼち並行しつつ、より道をしながら読んでいこう。

別件
 秋、山小屋にいったとき、朝の散歩中に遠くの草むらから「りりん。りりん。」という音が聞こえた。まさか草にぶらさがった鈴があるはずもないし、虫なら「りりりりり」のはず。不思議に思っていたが、日本野鳥の会『○新山野の鳥』を眺めているうちにあたった。カヤクグリという雀くらいの大きさの小鳥は「鈴を振るような声をだす」とある。「秋冬は低山のやぶでもみられる。」正確を期すために、小鳥の声のCDを注文した。
 あとひとつ、いつ頃だったか、瑞梅寺河口でアカショウビンそっくりの小さな鳥をみて、大きさが違うし首をひねっていたら、これも、「西日本には亜種で小型のものがいる。」とある。
 この550円はほんとうに安いと思う。