僧院の庭

2010/12/06
 向田邦子のエッセイの、「夜中の薔薇」や「眠る盃」はGもFも覚えていると思う。「童は見たり、野中の薔薇」を夜中と、「春高楼の花の宴 巡る盃」を眠る盃と勘違いしていた、という話だ。誰にでも似たような経験はあるはずで、読んだとき笑い出してしまった。ただ、あの人はものすごく早熟だったようだから、小学校に上がるか上がらないころのことだったんじゃないかな。
 わっちの場合は、もう小学校5年のときか、「螢の光」を覚えさせられた。その一番の最後の「あけてぞけさは・・」の「ゾケサ」の意味が分からなかった。ちょうど、三波春夫の「チャンチキおけさ」が流行っていたころだ。
 今日、チビたちに夜のサンポをさせているとき、ずっと思い出せなかった歌がすうっと出てきて嬉しくなった。
  木枯らしとだえて さゆる空より
  地上におりくる 奇すしき光よ
  ものみな憩える しじまのなかで
  きらめき揺れつつ 星座は眠る
 『冬の星座』という歌で、たしか小学校のときに習ったのだ。なぜ小学校だと思うのかというと、三行目の「ものみなイ肥える」の「イ」の意味が分からなくて首をかしげつつ覚えた記憶があるからだ。メロディから考えて、聖歌のなかのひとつに別の歌詞をつけたんじゃないかと思う。
 あとひとつ、いまだに完全に思い出せない『僧院の庭』という歌がある。これは中学校のときに教わった。
 ○○○○○○僧よ ひとり何を想う
 夕暮れに鳴り渡る 鐘の音も静か
うら若い尼僧のイメージが残っているから、そういう挿絵があったのかも知れない。これは、クラシックの一部に歌詞をつけたものではないかと想うのだが、まだ原曲を見つけられずにいる。
 Fの音楽の教科書にはどちらも載っていたはず。Gの時代にはもう教科書ががらっと変わっていたはずだ。お母さんだったら覚えていらっしゃるかもしれない。
 今度、インターネットに「僧院の庭」と打ち込んでみよう。
 と書いて、・・・この話は前にも書いた気がする・・・と思い始めた。とすると、『冬の星座』を「思い出した」のも、一度や二度じゃないのかも知れない。

別件
 5日でガロも5歳になった。2歳になるかならない頃に発病したのだから、もう丸3年になる。先日絶滅危惧種が月一回の定期検診につれて行ったら――月にガロだけで2万円かかるとよ。――主治医のトミー先生が、「こんなに長く元気でいられるなんて奇跡に近い。」と言ったとか。先生の処方もばっちりだったのだろうが、それ以上にお母さんの鬼のような愛情がもたらしたものだろう。こうなったら、「奇跡にちかい」じゃなくて、ほんものの奇跡になっていただきやしょう。

別件Ⅱ
 インターネットはたいしたもんだ。
 『僧院の庭』はもとボヘミヤ民謡。ただし、その人も、日本語の歌詞を探しているという。
 『冬の星座』はフォスターと同時代にアメリカで活躍した人の作曲。聖歌ではなかった。原曲は、モリーという女の子へのラブソングだそうです。日本語の詞は堀内敬三が書いた。かれは浅田飴の創業者の三男坊なのだそうです。