今山物語8

 福岡は昨日は嵐、今日は菜種梅雨。
 博工国語教員たちへメッセージを届けた勢いでこれを書きます。
 昨日、録画していたNHK『神の数式』を見た。題名が気に入らなくて、見るかどうか迷っていたけど見て良かった。実に充実した内容でした。 
 この宇宙をひとつの数式で表そうとした男たちの物語は素人にも分かりやすく、あとに付けるメッセージに書いているその「限りなく本当にちかい嘘」に引き込まれてしまった。
 簡潔に言えば超弦理論についてのことです。(でも、超弦理論は糸口になるかもしれないけど、それだけでは解決にはつながらないんじゃないかなあ。)
 2013年に放送されたものの再放送で、アインシュタインやホーキングも登場。
 アインシュタインは自分の一般相対性理論を使って宇宙を数式化(たぶん「言語化」と同じこと?)できると考えたんだけど、式の分母に0が現れてしまった(んだったかな)。
 ホーキングは、「ブラックホールの底の底」とビッグバン以前の「始原の宇宙」の二つを一元化しようとしたけど、数式に∞が現れてしまうのを解決できなかった。
二〇世紀の物理学者たちはアインシュタインの予言したブラックホールの究極の場所がビッグバン以前の宇宙とそっくりであることに気づいたのだそうです。──その「そっくり」が彼らにとっては具体的にはどのように「そっくり」なのかは分からなかったけど。

 その「ブラックホールの底の底」のイメージと、レヴィナスを読んでいて感じた(ほとんど視覚化させられた?自分の記憶では「見たくもないものを見させられた」)「ユダヤの神の位置」のイメージが重なってしまいまい、驚きでした。──「あぶらやま通信」で書きたかったことのひとつに「勘違いすることの貴重さ」がある。その構想がまとまらないうちにリタイア。その程度に読んでください。

 いま追いかけているのは、きっと、「ニヒリズムの復活」。終局的救いはそこにしかなさそうなのです。そのニヒリズムに近いのがユダヤ教であり、仏教であり、たぶんロシア正教であり、中国人が自分たちでも気づかずに信じている何か、のような気がしてきた。・・・キリスト教的神は人間がいなくなったら消えてしまう・・・。

 ここからは妄想であります。(これまでも十分に妄想的だったけど)
 いつか近い将来、ヨーロッパ人たちは、自分たちの世界観をぶち壊すそれらの「秘教」と正面から対決するときが来る。その対決自体は避けられそうにない。その対決が破局につながらないための唯一の手がかりは、その時にデモクラシィが生き残っていることだ。生き残るためにはデモクラシィは「血を血で洗う」ようなものでありつづけなければならない。けっしてママゴト化させてはならない。

 番組では、最初に「神の数式」にもっとも迫った男としてロシア人のブロンスタイン(ユダヤ人?)が紹介されていた。かれもまた数式に∞が無数に現れてきて挫折している。が、それとほとんど同時に、まだ30代でスターリンによって処刑された。
(ひょっとしたらスターリンという無神論者は当時唯一のブロンスタインの理解者だったのかもしれない。)
 それが見終わった感想でした。

ここからは土曜日に会った人たちへのメッセージ

 楽しい時間をくださった皆さんに礼状を書こうと思いつつ数日経過しました。
 ほんとうに有り難うございました。
 とくに嬉しかったのはI先生やF先生に再会できたことです。画像工学科の生徒が私のことを覚えてくれていたという報告も、とてもとても嬉しかった。
 私は「希望なんかなくても人間は生きていける」という信仰にちかい信念を絶対に手放す気のない男ですが、でも、希望はあるほうがいい。もうすぐ70歳になる子どものいない(ということは孫もいない)男の希望は次世代の人たちです。だから、是非また会いましょう。

 私の話はすぐよれて横道に行きますから、今日話したいことを、まず書いておきます。
1,「大人になる」って、どうなることなのか?
2,リアリズムが呼吸していないロマンに実現可能性はない。その「リアリズム」を日本語に言い換えるならば「野蛮さ」になるはずだ。
3,私のリアリズム。
4,今年のゴールデンウィークの自分の課題は勝手にでっち上げつつある『二〇世紀の俳句2017版』を完成させることです。完成したら、このアドレスに送りますから、K先生もF先生も、アクセスしてみてください。

 では、話の開始です。
 私は、中等教育の主目的は、次世代の子どもたちに大人になる準備をさせることだ、と思っています。でも、私自身が自分を「大人になりはじめたな」と感じたのは50代に入ってからです。その50代とは、親に対する慈しみの情がわき始めた頃でもあります。
 わずかなアルコールに酔った勢いで言った「血を吐く思いで書くこと」とは、自分の親のことです。心貧しく戦中・戦後を生き延びた彼らの希望は唯一「子ども」だったっと思っています。その子どもたちが、「希望」に値する生き方をしたかどうかははなはだ疑問です。ですから、彼らのことを書くことに耐えられる精神力が身につくのが先か、自分のことさえ忘れてしまうのが先か、まったく分かりませんが、これは「勝負?」です。

 私の自慢(たくさんたくさんあります。わいわいお喋りをしているうちにあっという間に4時間がたつ若い友人たちを持っていることもその自慢のひとつです)の一つは、教室で生徒に「今度の日曜に、私の尊敬している小説家が福岡に来て話をするそうだから聴きに行く。アラキ先生の尊敬している人ってどんなひとだろう、と思うものは来い」と黒板に時間と場所を書き、当日行ってみると、たしか6人の生徒が会場でウロウロしているのでびっくりしたことです。
 日野啓三です。

 私の学生時代はベトナムで戦争があっていました。沖縄の嘉手納基地からは米軍の長距離爆撃機が腹いっぱい爆弾を抱えてベトナムに飛び立っていました。(「見に行ってやる」と出かけたそのときの感想は生徒にも意識的に伝えるようにしていました。ベトナムから帰って来たのであろう、ジャンボ旅客機よりも遙かに大きく見える、爆弾の重みから解放されたB52がフワァーっと着陸する姿はただただ「カッコいい」としか感じませんでした。)
 そうか、なぜ沖縄に行きたくなったのか、その動機のひとつを思い出しました。「銀座というところで呑もう」という話になって出かけたカンターバーは客がいっぱいで、横に居たのは「ボブ」と名のった戦地を離れて東京で休暇を過ごしているまだ10代のあどけなさをたっぷりと残している兵士でした。「明日はまたベトナムに戻るから今夜は飲み明かすんだ。」カタコトの英語であれこれ話しているうちにボブがお酒をおごってくれました。サボテンから作られているというテキーラでした。それを一口のんで咳き込んでみせると大喜びしました。
 そのあとのことです。われわれが立ち上がって料金を払おうとすると、バーテンダーが奥に固まっている女の子たちに日本語で大きな声をかけました。「カノジョたちィー、こっちに来て話し相手になってあげてヨォ。この子たちはもうすぐ死ぬんだからサァ。」
 あの強烈な記憶がなにかをきっかけに甦ったのです。
 どの新聞を読んでも、どのラジオを聞いても、ベトナムで何が起こっているのかサッパリ分かりませんでした。(当時テレビは持ちませんでしたが、もしテレビで映像を見ていたら、なおのこと分からなくなったはずです。坂口安吾の「新聞で信用できるのは日付と棋譜しかない」という言葉に出遭って、何か分からないことが出てきたら「安吾ならどう考えたろう?」と思う様になりました。──付け加えます。読解力とは相手の言っていることは信用できるか出来ないかの判断能力のことです。──)
 その頃、かろうじてベトナムで起こっていることのイメージを与えてくれたのが開高健日野啓三でした。(忘れないために書いておきます。さいごに、機会を捉えては生徒に読ませていた日野啓三の文章を付け加えます)

 講演が始まる前に紙が配られ、司会者が「あとで回収します。日野さんに質問のある方はそれに書いてください。」というので事情を書いて「高校生たちに何かアドバイスをしていただけませんか?」と書きました。(制服を着て会場にいる高校生は、ほかには修猶館と筑女だったと記憶しています)講演が終わったあと司会者がそれを読み上げ「日野さん、いかがですか?」と水を向けると「難しい注文だなぁ。」と言いつつ、世界中にあった通過儀礼の話をし始めました。「軍国主義の時代に育った僕たちの場合それが徴兵検査だった。それに合格したとき僕たちは〝大人になった〟と感じた。それは誇らしくあった反面、戦争に行く義務を強要されたことでもあったから身震いするような思いもした。いまの日本にはその通過儀礼に相当するものがない。だったら君たちは自分で自分のための通過儀礼を創りなさい。」
 日野さんのことばを自分なりに補足すると、「自分の生き方を誰からも強要されることない自由な時代とは実はどうしようもないほど生きづらい時代なんだ。だからその覚悟を持つところから始めなさい。」ということでしょう。それは、ベトナム戦争の取材から生き延び、帰ってきた日本で自分の寿命を意識しはじめた日野さんの次世代への率直かつ誠実な尊いメッセージだったと思っています。

 人間はほんとうに大人になる必要があるのかどうか。ひょっとしたらニンゲンという生き物は唯一自分たちを大人にならずに済むようにした生き物なのかもしれません。─(それが文明化の隠された目的だったのかもしれない)としたら中等教育はなんのためにあるのか?いまの私にはもはや皆目わかりません。分かりませんし、私はすでにそれを分かろうとすることを放棄しました。なぜなら60を過ぎてからの私は加速度を増しながら思春期に邁進しているからです。それは「希望」ではなく「願い」であるように感じています。その思春期は通過点にすぎず、目指されているのはきっとそのずっと先の「父母未生のとき」──なんじゃないかなぁ。
 50歳の子ども、60歳の子ども、70歳の子どもが生き生きと生活している社会が自由な社会だ、という考え方を否定する気持ちは、これから「75歳のチンピラ」を目指している私には毛頭ありません。ただ、それは「自分の生き方の責任をひとに押しつけない子ども」のはずです。

 2の話に移ります。
 この一年間はひたすら、徳富蘇峰が「日本人の自画像」と呼んだものを読み続けました。(さっそくですが、徳富蘇峰を「右翼だ」からと無視したら、たぶんこの国は見えません)2月末にどっと寝込んだのはきっと体だけでなく心も頭も自分の能力を超えたからだったろうと思っています。それから回復していま思うことは、「日本にリアリズムがあったのは西南戦争までだ。以後の日清戦争日露戦争もママゴトに過ぎない」ということです。(それは「気が重たい」などというものではなく布団から起き上がりたくなる思いでした。)もちろんまた気力が戻ってきたら続きを読むつもりですが、シベリア出兵も日中戦争も日米戦争もママゴトでした。敗戦後、日本はかろうじてリアリズムを取り戻しました。しかしそれは在日米軍の存在抜きにはあり得ないリアリズムでした。
 でも、きっと今、世界中で熱心にそのママゴトが行われているのです。いい年をした大人たち、超一流大学を卒業した大人たちががママゴトに熱中しているのです。だって、ママゴトのほうが熱中しやすいもの。リアルなことなんて面白くもなんともありません。(ちなみに、生徒たちに「こんなことを言う引退した先生がいるよ」と紹介してみてください。かれらは大喜びすると思います。)
 そのママゴトに熱中している国のなかには、世界を滅亡させるに足る量の核兵器をいつでも使用可能にしている国が幾つもあります。
 「ほんとは怖い○○」という本が流行ったのは、そんなに以前ではありません。
 そういう本が売れ始めた頃、すでにその社会はママゴト化していたのです。だってもともとの子どもたちはその童話に息づいている危険を感知するから「怖いもの見たさ」に駆られて読んでいたのです。読んで眠れなくなっていたのです。私の場合は嫌悪感が先だって子どもの頃は絵本をほとんど読みませんでした。私の最初の読書体験は漫画から始まります。──上の「危険」を、野蛮ともリアルとも読み替えてみてください。そして「ママゴト」をロマンと読み替えてみてください。わたしの乱暴な考えがほの見えるかもしれません。ロマンを生きたものにするためにリアリズムは決して欠かせないものなのです。
 2,のところで「ロマンの実現性」と書きましたが、訂正します。実現していないものは私の考えるロマンに相当しません。それはただの絵空事です。現実性が息づいているロマン。それが言葉の矛盾である限りにおいてロマンはあります。その現実性が「危険性」であり「野蛮さ」なのです。見たくも聞きたくも臭いを嗅ぎたくもない血なまぐさくキナ臭く耳を塞ぎたくなる現実性なのです。
 徳富蘇峰は自分の書く日本の近代史を「自画像」と呼びました。そんな「自画像」にいちばん近い絵を描いたのがレンブラントだと思っています。数年前に何十年ぶりかで会った学生時代からの友人が「絵を見て涙が出たのはレンブラントの自画像だけだ。」と言いました。(この男ははいまもオレの友だちだ。)
 坂口安吾はそれらのことを「シンデレラ」や「赤頭巾」を材料に書きました。(たしか「文学の故郷」という文章です)そのこと自体はべつに坂口安吾から教えられなくとも分かっていたつもりです。ただ、安吾を「この人はほんとうに偉い人だった」と感じたのは、「文学の故郷は絶望である」と書いたそのあとに「だが、大人の仕事は故郷に帰ることではない」と付け加えていたからです。正直に言います。わたしはレンブラントの自画像には感情を忘れて見入りましたが、安吾の文章のその一節に出遭ったときは泣きました。ひとりでこっそりと泣きました。
 その部分に共感したからでしょう、檀一雄安吾忌に「狼のぱくぱく食われる赤頭巾」と詠んでいます。

3,長くなりすぎましたので、あとは手短にします。
 K先生がすこぶる付きに有能であることは参加者全員異議ないと思います。しかしK先生がいなくなったあとの博工国語科に私は不安を感じていません。(職員室のことは分かりませんが)
 わたしも実は自分で自分を「有能だ」と思っていました。(ほんとうは、どうしようもないほど無能だったのですが)ただし、もし私がもうひとり職員室にいたらその学校は機能不全に陥るだろうということも分かっていました。組織とはそういうものです。それは私のけっこう悲しいリアリズムでした。
 だれが、どこで、どういう役割を果たしているのか、相当に優秀なリーダーでもそれを把握ことは出来ないと思います。その組織が生きている以上、その組成員(学校なら生徒も含みます)ひとりひとりが「有能」なのです。

 そのこととは別に、もし、もうひとりの私の存在に気づいたら、私は即座にその場から離れるでしょう。私に限らず、自分を見せつけられることに10秒以上耐えられる人って滅多にいるはずがない。
 
 つたない手紙はこのへんまでとします。
 今週末、友人たちと新潟・佐渡に3泊4日で出かけます。目的地はいくつもありますが、そのうちのひとつは鶴岡(山形県?)カソリック教会の黒い聖母です。ポーランドから寄贈されたのだそうです。
 その聖母の肌がなぜ黒いのかについては諸説あるようですが、私は印刷物ではじめてそれを見たとき、ただ「美しい」と思いました。それが日本にあるなんて、カソリックにとってはいまも世界はひとつの家族なんですね。
 その鶴岡の天主堂で何を感じるのかは、いっさいの予感を抑えきって向かいます。

 最初に書いた日野啓三さんの文章を紹介します。
 日野さんが福岡の高校生たちに「自分で自分の通過儀礼を創りなさい」と直接言ってくれたあとに書かれたものです。

 ※済みません。申し訳ないのですが、パソコンのなかをいくら探しても日野さんの文章がでてきません。たしか『変わらないもの』という題名だったと思うのですが。
 ので、今日は日野さんの文章を探しているときに(へぇ、オレはこんな文章を書いていたのか)と感じた「こくごのとも」がニンマリしそうなものを下につけます。


 小論文講座 

 作文をにがてな生徒がなんとなく好きだ。
 小学校のとき作文の宿題がでて、いっしょうけんめい書いて出したら、先生がみんなの前で読んでくれた。読み終わってから先生が言った。「みなさんは、この作文をどう思いますか? これは嘘です。小学生がこんなことを考えるはずはありません。みなさん、作文に嘘を書いてはいけません。」・・・・・そのときの先生の声まで、まだはっきり覚えている。〈大人ちゃこげんもんなとやな〉
 以後、作文はいっさい書かなかった。小学校のときだけでなく、中学に入っても、高校生になっても・・・・。文章だけでなく、自分の考えを人に伝えようとすることじたいが苦手になった。だから、思ったことを言える友達ができたのは、ものすごい幸運に恵まれたとしか思えないし、その延長として、いつのまにか、こうして文章を書くようになった自分が不思議でしかたがない。

 自分の考えていることを他人にわかってもらうということは、何とむずかしいことか。「いや、別にオレは、先生ごと、ややこしい作文ぎらいじゃないと。ただ、考えるとが面倒臭いだけなと。だいいち、普段は何も考えてとらん。」という者もいるかもしれない。でもね、実はね、そういう君もちゃーんと考えているんだよ。ただ、それを言葉に換えようとしていないだけなのだ。
 「いやいや、--人間は言葉なしに考えることはできない--と前に習うた。」と思い出した者もいるかもしれない。でも、それは間違い。勘違い。大違い。人間は言葉なしでも考えることができるのです。というか、その人にとってもっとも大切なことは、決して言葉を使って考えてなんかいないから。ただ、「オレは何を考えていたのかな?」と自分に説明するためには言葉にしてみるしかないだけなのだ。しかし、我々にとってもっとも大切なことは、言葉では言いあらわせないないこと、理屈では説明できないことだと、この国語教師は思っている。説明がつくことなんて、本当はその人にとって大したことではないのかもしれない。
 「自分は何も考えていない」「自分自身の考え方とかまだない」と思っている君も、本当はちゃんと考えを持っているし、自分なりのものの見かたを持っている。その「見かた」や「見えかた」を難しい言葉に直すと「世界観」と言います。でも本当は少しも難しいことではない。君が世界観をもっていなかったら怖くて道も歩けないし、鳥は自由に空を飛べないし、魚は水中を泳げないし、木は根を生やしたり枝を伸ばしたり出来るはずがない。生きとし生きるもの(生きているものすべて)は世界観を持っている。(いや世界観は言葉で出来ているんだ、という人たちも居るけれど、ほんとかなあ?)ただ、それらを言語化するのが面倒臭いだけだ。いや、それどころか、すべてを言語化しよう(言葉になおそう)とか思ったら気が狂いそうになる。私も君たちも十分に賢いから、決してそんなバカなことをしようとはしない。

 学生時代に、日本語を勉強してから腕試しに日本にきた夫婦の案内役をやらされたことがあった。おっかなびっくり引き受けたけど、やりはじめてみたら何ということもなくて、ふたりとも実に達者な日本語の使い手だった。その夫婦と渓谷に行ったとき、ご主人が、「美しい岩だ。」というと、奥さんが、「いや、あれは大きな石よ。」と言う。「ちいさな岩だ」「大きな石よ」と言い合っているうちに、夫婦喧嘩になってしまった。そして、「どっちが正しいか、日本人のお前が判定しろ。」
 「石でも岩でもどっちでもいいんだ。日本人はそんなことで、いちいち夫婦喧嘩なんかしない。」
 前置きばかりが長くなってしまった。けれど、「石と岩のちがいを説明せよ。」なんて課題を与えられたら、まず、やる気をなすくだろうな。「岡と丘と山はどう違うのか。」という課題だったら、「ほんとうにそれを考えたいのなら、お前が自分で考えれ。自分は考える気がないのならオレたちへの課題にするな。」とだけ書いて提出するかもしれない。

 言葉で説明するのがいちばん厄介なのは、たぶん「自分」だ。「身長170センチ。体重60㌔。17歳。」と書いても、たぶん自分を説明した気がしない。「高校生。野球部員。外野手。ベンチウォーマー。」「家族5人。住所、福岡市西区今宿、、。」いくら書いても、それは、「ある男子高校生」の姿をなぞっているだけで、自分自身にはたどりつかない。で、先生からも「なんや、これだけか? もっと考えれ。自分を見つめてみろ。」と怒られる。もともと嫌だったことだから、ムカつく。ウザい。ダルい。「オレはオレやからよかろうもん!」      
                              (次回につづく)                                       
 小論文講座〈Ⅱ〉 

前回の話
 われわれにとって最も大切なことは、言葉では言い表せないことなのではないか。たとえば、自分にとってたったひとりの「自分」を説明しろ、と言われても、「オレはオレやからよかろうもん!」と、つい言いたくなってしまう。

 そう「オレはオレ」「岩は岩」「石は石」なのだ。それが一番正確な言い方なのだ。
 と同時に、それでは何を説明したことにもならない。つまり、「説明する」とは、限りなくウソをつくことにちかいのだ。私たちは、「できるだけ本当にちかいウソをつく」ことを「説明する」と呼んでいる。
 ウソが嫌いな人は、ふつう黙っている。黙ったままでいることで、自分を、自分の誠実さを守ろうとしている。そして、ぺらぺらしゃべっている人を胡散臭(うさんくさ)く――どことなく疑わしく――感じている。
 もし、「何も言わなくても自分のことを分かってくれる」友達だちや家族がいたら、どんなにいいだろう。そんな先生がいたら毎日の学校が楽しいのに。――ほんとうにそうだろうか?――もし、「何も言わないのにオレの考えていることがわかる先生」がいたら、それこそウザくて、もう学校になんか行きたくなくなるんじゃないかな。
 ウソをつくぐらいなら黙っているほうがましだ、と思っている君も、実は、薄くて邪魔にならない程度のオブラートのようなウソにつつまれているから、安心して日常生活をおくっていられる。そのことを大人は「演じる」と言う。
 人間はみな「自分」を演じているのだと思う。その演技がまだ不自然な間は未成年。「自分」を自然に演じられるようになった者を大人と呼ぶ。
 こんなことを書いている61歳の教員も、別に生れつき教員だったわけではない。27歳のときに教員になって、なった以上はと、一生懸命「センセイ」を演じてきた気がする。一生懸命センセイをやりながら、心のどこかで、それ以外の「ほんとうの自分」がありそうな気がしていた。でも、あるとき気がついた。AさんやBさん、C君やD君がそれぞれ見ている「自分」は全部ほんとうの「オレ」なのだ。それらを全部ひっくるめたものが、「ほんとうのオレ」なのだ。
 「半端なウソやらつきたくない」と思っている人も、「だれも分かってくれんでもいい、オレはオレたい」と思っている人も、実はそういう「自分」を演じていることに変わりはない。
 じゃあ、その自分。人が見ている自分。先生が思っている自分、社会が期待している自分ってどういう人間なんだろう?
 ものごとは全部、同時進行ですすむ。同時進行だから、ひとつひとつが全て100パーセントなんてことは最初からありえない。
 けっして、100パーセントを求めるな。60パーセントで十分だ。60パーセントだけ自分の考えをまとめよう。(言葉にしよう)それができたら大成功だ。その考えのまた60パーセントぶんだけ人に説明できから大成功。0.60×0.60=0.36パーセント説明できたら大々成功なのだ。
 さあ、今日も「小論文」

追記

 最近思うこと。

 日本語でものを考えるときに必要なもののひとつは、「口ごもる能力」であるようだ。口ごもることによって、われわれは考えるための時間稼ぎをしている。その「時間をかけて考える」ことが大切なのだ。考えることに時間をかけない「頭のいい人」たちとは、できるだけ疎遠(そえん)にしていたい。じっさい、口ごもることがにがてな人は考える能力じたいが劣る気がする。
 もともとの日本語の論理は西洋の論理とはずいぶん様子がちがっている。「たゆたふ論理」「やすらふ論理」(「たゆたふ」「やすらふ」の意味がわからない君は古語辞典をひきなさい。)で昔の日本人はものを考えていた。日本人が西洋流の直線的論理でものを考えるようになって以来、この国ではロクなことしか起こってはいないんじゃないかな。
          

 今日の追加です。

 クリア・ファイルをめくっているうちに芥川賞を受賞した直後に朝吹真理子が新聞に寄稿した(日付は2011、2,15)『書くこと──静かなる梱包』と題された文章が出てきました。
──「言葉」を用いてつくりあげたものが何であるのか、どういう「意味」を持つのか、そうした問いは、書き手に問われてもわからないことのように思う。(私は)署名をし終えたら、後は何も言わず、そっと世界に差し送りたい。
 その中に「敬愛しているアーティストのアトリエをたずねた」話が出てきます。「作品を無言でつくりつづけることが最も厳しい選択であると思い知った。そして真のエレガンスというのは野蛮さをおおいに孕むものであることも」
(いったい誰だろう?)
 あれこれネット検索しているうちにYouTubeで「きっとこの人だ」と思う人物に出会いました。
 マニュエル・ゲッチング
 その音楽を聴いていると、ところどころ意識的に滞ります。「こんな音楽があったのか。」
 私が60を過ぎてやっと気づきかけていることに、彼女はごく若くして気づいているらしい。
 驚きでした。
 でも彼女に限らず、もう小説を読むことはないんじゃないかな。加速度がついてからは信じがたいほどに「忙し」くなっているのです。



最近知った男(だと思う)の俳句を付け加える。──このスゴいヤツはどこのどいつだ?

郷恋しましてや祖母の蓬餅       『玉子酒』不詳
黄水仙優しき日々のありしこと 同
街角によく似た人や春兆す 同
風鈴を買いて新たな風を待つ 同
雨になり首かしげたる案山子かな 同
独り分冷えたるを食う根深汁 同