シンボルスカの詩

 眺めとの別れ
          ヴィスワヴァ・シンボルスカ

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと

水辺のハンノキの木立に
ざわめくものが戻ってきたからといって
わたしは痛みを覚えたりはしない

とある湖の岸辺が
以前と変わらず──あなたがまだ
生きているかのように──美しいと
わたしは気づく

目が眩むほどの太陽に照らされた
入り江の見える眺めに
腹を立てたりはしない

いまこの瞬間にも
わたしたちでない二人が
倒れた白樺の株にすわっているのを
想像することさえできる

その二人がささやき、笑い
幸せそうに黙っている権利を
わたしは尊重する

その二人は愛に結ばれていて
彼が生きている腕で
彼女を抱きしめると
思い描くことさえできる

葦の茂みのなかで何か新しいもの
何か鳥のようなものがさらさらいう
二人がその音を聞くことを
わたしは心から願う

ときにすばやく、ときにのろのろと
岸に打ち寄せる波
わたしには素直に従わないその波に
変わることを求めようとは思わない

森のほとりの
あるときはエメラルド色の
あるときはサファイア色の
またあるときは黒い
深い淵に何も要求しない

ただ一つ、どうしても同意できないのは
自分があそこに帰ること
存在することの特権──
それをわたしは放棄する

わたしはあなたよりも十分長生きした
こうして遠くから考えるために
ちょうど十分なだけ
                     沼田光義訳


 ポーランドのシンボルスカ(一九二三〜)の例の詩(未知谷『終わりと始まり』所収)の全体を報告します。解説によれば、長年連れ添った夫を失ったときの詩であろうということです。
 その本には、ノーベル賞受賞後のふたつのスピーチも載せられている。そのなかには次のようなことばがあった。他の詩からの抜粋とともにつけ加えておきます。
 
●インスピレーションは、不断の「わたしは知らない」から生まれてくる。

●もし、芸術が何かを教えてくれるとすれば、それはまさに、人間存在の私的性格でしょう。・・・多くのものは、他人と分かち合うことができます。パンも、寝床も、恋人でさえも。しかし、例えば、ライナー・マリア・リルケの詩を他人と分かち合うことはできません。


詩からの抜粋

●でもわたしは分からない。分からないということにつかまっている。
 分からないということが命綱であるかのように

●波の模様のなかを小枝が運ばれていく
 ・・・・
 頭上では白い蝶が宙を舞う
 ・・・・
 そんな光景をみているとわたしはいつも
 大事なことは大事ではないことより大事だとは
 信じられなくなる

●現実は現実を意味するだけ
 でもそれこそが大きな謎
 ・・・・
 夢を開くには鍵がある
 現実はひとりでに開き
 閉じることができない

●突然の感情によって結ばれたと
 二人とも信じ込んでいる
 そう確信できることは美しい
 でも確信できないことはもっと美しい
 ・・・・
 始まりはすべて
 続きにすぎない
 そして出来事の書はいつも
 途中のページが開けられている

●平凡な奇跡は
 平凡な奇跡がたくさん起こること
 ・・・・
 ただ見回せばそこにある奇跡は
 世界がどこにでもあるということ

●方舟に乗りなさい──明暗の調子と中間調よ
 気まぐれ、装飾、細部たちよ
 愚かな例外たちよ
 灰色の無数のヴァリエーションたちよ

●詩を書かない滑稽さよりは
 詩を書く滑稽さのほうがいい

別件
 朝の散歩のとき、フウたちと会った。フウはお母さんといっしょで幸せそうだった。お母さんも今まで以上に柔和な表情に見えた。