詩句歌

水原秋桜子
 春雷や暗き厨の桜鯛
大倉郁子
 蝉の死の鳴きつくしたる軽さかな
富安風生
 藻の花やわが生き方をわが生きて
 なにもかも知ってをるなり竈猫
 まさをなる空よりしだれざくらかな
 満月を生みし湖山の息づかひ
 こときれてなほ邯鄲のうすみどり
飯田蛇?
 たましひのたとへば秋のほたるかな
三橋鷹女
 白露や死んでゆく日も帯しめて
杉田久女
 花衣ぬぐや纏わる紐いろいろ
鈴木真砂女
 羅や人悲します恋をして
 花冷や箪笥の底の男帯
石田波郷
 二の酉やいよいよ枯るる雑司ヶ谷
丸山豊
 日は沈むすでに冷えたる雉の胸(「月しろの道」)
岸原さや
 雪を待つ。駅でだれかを待つように。
渡辺千枝子
 うつし身の逢ふ日なからん賀状書く
 亡き人は海歩み来よさくらどき
雪はげし告げ得ぬ言葉犇めきて
 歴史には残らぬ女瓜きざむ
村上喜代子
 うつくしき生ひ立ちを子に雪降れ降れ
鷲谷七菜子
 万緑をしりぞけて滝とどろけり
及川 貞
 ある時はもの思ふまじと麦を踏む
 梅雨ふかし戦没の子や恋もせで
岡本 眸
 人はみなうしろ姿の枯木立 
橋本美代子
 ハンカチ洗ふ日中の夫を知らず
野見山ひふみ
 欲しきもの買ひて淋しき十二月
中村苑子
 置きどころなくて風船持ち歩く
飯島晴子
 童話書きたし送電線に雪降る日
鈴木栄子
 ソーダ水待たされてゐて疑はず
八染藍子
 春愁や絵よりもパレット美しき
鍵和田釉子
 春落葉えたいのしれぬものも掃く
中島秀子
 身ごもりて冬木ことごとく眩し
山間みずえ
 いつか死ぬ話を母と雛の前

 小春日を掃きのこしけり並木道
平出種作
 たんぽぽの種子ゆくりなく上昇す
蟻塚尚孝
 口思き男いきなり鶴のこと
正木浩一
 明滅の滅を力に蛍飛ぶ
海に降る雪を思へり眠るため
中村草田男
 葡萄食ふ一語一語の如くにて
司馬遼太郎
 遺伝子は畏くもあるか父母未生の地にわれは立ちたり

榊美代子
 池の岸五位鷺一羽みじろがず飛び立つ先を考へてゐる
高木佳子
 ふきのたうつくしはこべら春の菜の人ふれざればいよよさみどり
美智子
 里にいでて手袋買ひし子狐の童話のあはれ雪ふる夕べ
佐藤舞
 今日もまた父の形見のマフラーをきりりと巻いて校門くぐる
 スカートの丈気にしつつ家を出るこの日常も残りわずかか

折口信夫
 菜穂子以後なほ大作のありけりとそら言だにもわれに告げてよ
斎藤茂吉
 壁にきてくさかげろうはすがりをりすきとほりたる羽のかなしさ
土屋文明
 その石に君もしばらく坐りたまへその小さきは蕗の若萌え
窪田章一郎
 かろやかに浮かぶ夕月そら深く人のいのちは死せりともなし
三ヶ島葭子
 あめつちのあらゆるものにことよせて歌ひつくさば許されんかも
葛原妙子
 落つるものなくなりし空が急に広し日本中の空を意識する


西脇順三郎
 この水鳥の歴史も普通の現象の
 なめらかさに終わる


 眺めとの別れ ヴィスワヴァ・シンボルスカ
        ポーランドの詩人 ノーベル文学賞受賞
         (1923〜2012)

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌(も)えるのが止まったりはしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと

水辺のハンノキの木立に
ざわめくものが戻ってきたからといって
わたしは痛みを覚えたりはしない

とある湖の岸辺が
以前と変わらず──あなたがまだ
生きているかのように──美しいと
わたしは気づく

目が眩(くら)むほどの太陽に照らされた
入り江の見える眺めに
腹を立てたりはしない

いまこの瞬間にも
わたしたちでない二人が
倒れた白樺(しらかば)の株(かぶ)にすわっているのを
想像することさえできる

その二人がささやき、笑い
幸せそうに黙っている権利を
わたしは尊重する

その二人は愛に結ばれていて
彼が生きている腕で
彼女を抱きしめると
思い描くことさえできる

葦(あし)の茂みのなかで何か新しいもの
何か鳥のようなものがさらさらいう
二人がその音を聞くことを
わたしは心から願う

ときにすばやく、ときにのろのろと
岸に打ち寄せる波
わたしには素直に従わないその波に
変わることを求めようとは思わない

森のほとりの
あるときはエメラルド色の
あるときはサファイア色の
またあるときは黒い
深い淵(ふち)に何も要求しない

ただ一つ、どうしても同意できないのは
自分があそこに帰ること
存在することの特権──
それをわたしは放棄する

わたしはあなたよりも十分長生きした
こうして遠くから考えるために
ちょうど十分なだけ
                     沼田光義訳

シンボルスカ詩句集

●でもわたしは分からない。分からないということに捕(つかま)まっている。
 分からないということが命綱(いのちづな)であるかのように

●波の模様のなかを小枝が運ばれていく
 ・・・・
 頭上では白い蝶が宙を舞う
 ・・・・
 そんな光景をみているとわたしはいつも
 大事なことは大事ではないことより大事だとは
 信じられなくなる

●突然の感情によって結ばれたと
 二人とも信じ込んでいる
 そう確信できることは美しい
 でも確信できないことはもっと美しい
 ・・・・
 始まりはすべて
 続きにすぎない
 そして出来事の書はいつも
 途中のページが開けられている

●詩を書かない滑稽(こつけい)さよりは
 詩を書く滑稽さのほうがいい 




乳母車  三好達治

母よ──
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
亡きぬれる夕陽にむかって
リンリンと私の乳母車を押せ

赤い総のあるビロウドの帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふ
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道


  雪    三好達治

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。



  燕 三好達治

「あそこの電線にあれ燕がドレミファソラシドよ」

──毎日こんなにいいお天気だけれど、もうそろそろ私たちの出発も近づいた。午後の風は胸に冷たいし、この頃の日ぐれの早さは、まるで空の遠くから切ない網(あみ)を撒(ま)かれるやうだ。夕暮の林から蜩(ひぐらし)が、あの鋭い唱歌(しようか)でかなかなかなかなと歌ふのを聞いてゐると、私は自分の居る場所が解(わか)らなくなってなぜか泪(なみだ)が湧(わ)いてくる。
──それは毎年誰かの言ひだすことだ。風もなかったのに、私は昨夜柿の実の落ちる音を聞いた。あんなに大きく見えた入道雲(にゆうどうぐも)も、もうこの頃では日に日に小さくなって、ちょっと山の上から覗(のぞ)いたかと思ふと、すぐまたどこかへ急いで消えてしまふ。
──私は昨夜稲妻(いなずま)を見ましたわ。稲妻を見たことがある? あれが風や野原をしらぬ間にこんなにつめたくするのでせう。これもそのとき見たのだけれど、夜でも空にはやはり雲があるのね。
──あんなちっちゃな卵だったのに、お前も大変もの知りになりましたね。
──さあみんな夜は早くから夢を見ないで深くお眠り、そして朝の楽しい心で、一日勇気を喪(うしな)はずに風を切って遊び廻(まわ)らう。帰るのにまた旅は長いのだから。
──帰るといふのかしら、去年頃から、私はどうも解らなくなってしまった。幾度も海を渡ってゐるうちに、どちらの国で私が生まれたのか、記憶がなくなってしまったから。
──どうか今年の海は、不意に空模様が変わって荒れたりなどしなければいいが。
──海ってどんなに大きいの、でも川の方が長いでせう?
──もし海の上で疲れてしまったらどうすればいいのかしら。海は水ばかりなんでせう。そして空と同じやうに、どこにも休むところがないのでせう、横や前から強い風が吹いてきても。
──疲れてみんなからだんだん後に遅れて、ひとりぼっちになってしまったらどんなに悲しく淋(さび)しいだらうな。
──いや、心配しなくていいのだ。何も心配するには当たらない。海をまだ知らないものは訳(わけ)もなくそれを飛び越えてしまふのだ。その海がほんとに大きく思へるのは、それはまだお前たちではない。海の上でひとりぼっちになるのは、それはお前たちではないだらう・・・・・。けれども何も心配するには当たらない。私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過(あやま)ちからでなく起(おこ)ってくることが、何でそんなに悲しいものか。今までも自然がさうすることは、さうなってみれば、いつも予(あらかじ)め怖れた心配とは随分様子の違ったものだった。ああ、たとへ海の上でひとりぼっちになるにしても・・・・・。





  窓 草野心平

波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
陽の照らないこの入り江に。
波はよせ。
波はかへし。
下駄や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
波は古びた石垣をなめ。
波はよせ。
波はかへし。
波はここから内海(うちうみ)につづき。
外洋につづき。
はるかの遠い外洋から。
波はよせ。
波はかへし。
波は涯しらぬ外洋にもどり。
雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。
億万の年をつかれもなく。
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
愛や憎悪や悪徳の。
その鬱積(うつせき)の暗い入江に
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
みつめる潮の干満(かんまん)や。
みつめる世界のきのふやけふ。
ああ。
波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。



   麦 石原吉郎

いっぽんのその麦を
すべて苛酷な日のための
その証(あか)しとしなさい
植物であるまえに
炎であったから
穀物であるまえに
勇気であったから
上昇であるまえに
決意であったから
そうしてなによりも
収穫であるまえに
祈りであったから
天のほか ついに
指すものをもたぬ
無数の矢を
つがえたままで
ひきとめられている
信じられないほどの
静かな茎を
風が耐える位置で
記憶しなさい



I was born 吉野弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内(けいだい)を歩いてゆくと、青い夕靄(ゆうもや)の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂(ものう)げに ゆっくりと。

 女は身重(みおも)らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議さに打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳(わけ)を ふと諒解(りようかい)した。僕は興奮して父に話しかけた。
──やっぱり I was born なんだね──
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
──I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。──
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気(むじやき)として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

──蜻蛉(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね──
 僕は父を見た。父は続けた。
──友人にその話をしたら 或日(あるひ) これが蜻蛉の雌(めす)だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物(しよくもつ)を摂(と)るのに適しない。胃の腑(ふ)を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉(のど)もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々(つぶつぶ)だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯(うなづ)いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ お母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは──。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡(のうり)に灼(や)きついたものがあった。
──ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体──。  


  子 供 石垣りん

子供。
お前はいまちいさいのではない、
私から遠い距離にある
ということなのだ。

目に近いお前の存在、
けれど何というはるかな姿だろう。

視野というものを
もっと違った形で信じることが出来たならば
ちいさくうつるお前の姿から
私たちはもっとたくさんなことを
読みとるにちがいない。

頭は骨のために堅いのではなく
何か別のことでカチカチになってしまった。

子供。
お前と私の間に
どんな淵(ふち)があるか、
どんな火が燃え上がろうとしているか、
もし目に見ることができたら。

私たちは今
甘い顔をして
オイデオイデなどをするひまに
も少しましなことを
お前たちのためにしているに違いない。

差しのべた私の手が
長く長くどこまでも延びて
抱きかかえるこの悲しみの重たさ。



ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
           芥川比呂志




  ゆずり葉   河井酔茗

子どもたちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉ができると
入り代わってふるい葉が落ちてしまふのです。

こんな厚い葉
こんな大きい葉でも
新しい葉ができると無造作(むぞうさ)に落ちる
新しい葉にいのちを譲(ゆず)ってーー。

子どもたちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡(すべ)てのものがお前たちに譲(ゆず)られるのです。太陽の廻(まわ)るかぎり
譲られるものは絶えません。

輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子どもたちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどーー。

世のお父さん お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、一生懸命に造(つく)ってゐます。

今、お前たちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは延(の)びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑ってゐる間に
気がつきます。

そしたら子どもたちよ。
もう一度ゆずり葉の木下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでせう。


         室生犀星

子どもが生まれた
わたしによく似ている
どこかが似ている
声までが似ている
おこると歯がゆそうに顔を振る
そこがよく似ている
あまり似ているので
長く見つめられない



 遺 伝 

       萩原朔太郎   『青猫』所収

人家は地面にへたばって
おほきな蜘蛛(くも)のように眠っている。
さびしいまっ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
  のをあある とをあある やわあ

もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴ってる。
お聴き! しづかにして
道路の向うで吠えてゐる
あれは犬の遠吠えだよ。
  のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母さん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑているのです。」

遠くの空の微光(びこう)の方から
ふるへる物象(ぶつしよう)のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。
犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰(やいん)の道路にながく吠える。
  のをあある とをあある やわあ

「犬は病んでゐるの? お母さん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑているのですよ。」



穂高等学校校訓
 否、ためらふことなかれ
 気高さを求むることを